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294 日本の支配者は誰か(1)
国民は息がつまりそうに感じている
2005年6月7日(火)



 タイトルを変えましたが「民主主義とはなにか」の続編です。 前回までがいわばその理論的な解明で、今回からはその応用篇というつもりです。

 社会的経済的支配層(財界・各種産業・業種団体・資本家など)と政治的支配層(議会・政府 ・官僚・政党など)との縦横の結合・離反・闘争という相互関係、つまり今日における統治形態の実態を 現実に即して解明できるとよいのだが、マスコミが報道する情報は氷山の一角に過ぎず、私たちの ような一市民には水面下の動きを知るよしもない。また最近のマスコミの多くは、いろいろの人が 指摘しているが、大政翼賛化しており支配階層の統制下にあり、その情報は一面的に過ぎる。心ある ジャーナリストの仕事を期待したい。

 ところで、今日における統治形態の実態は当然歴史的な変遷経緯の結果としてある。一応戦後の 統治形態のスタートは敗戦後の占領軍・アメリカによる統治に規定されて始まった。一時的に追放 されはしたが大日本帝国時代の支配階層が生き残り、戦後においても隠然たる勢力を残した。これは アメリカの占領政策の結果ではあるが、日本人民は敗戦という 大きなチャンスを、真の意味での「主権在民」を獲得する大きなチャンスをものにすることが出来 なかった。その日本人民の敗北の連綿としたつながりの結果として今日がある。このものいいは敗北 主義ではない。私は厳然とした事実として言っている。

 過去を顧みることも現在を照射する有効な手段である。戦後の統治形態はどのように形成されてき たのか、戦後初期のころの実態を見てみたいと思う。
 手元の「『天皇制』論集」(三一書房)に「日本の支配者は誰か」という論文が収録されている。五人の報告 者の調査・研究をまとめたものある。「概括と執筆」を担当した方は堀江正規、報告者として、小倉 正一、木下半治、黒川俊雄、小池基之という五氏が名を連ねている。不勉強な私には始めて知る名 ばかりだし、どのような思想的立場の方々なのかも、もちろん、知らない。しかし、通読したところ 私の今のテーマにピッタリの内容であった。これを利用させていただく。論文の発表は「中央公論」1953年 4月号、敗戦後まだ8年たらずである。

 政治や社会の問題にほとんど関心を持たなかったノンポリの私の耳目にも、政財界・官僚たちのス キャンダルは絶えることなく入ってきていた。今にして思えばなんら驚くとことではない、ブルジョ ア民主主義の本性であり、その限界が露呈しているだけなのだ。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は、序言「われわれの課題」(副題<国民は息がつまりそうに感じ ている>)を当時の外相・岡崎の選挙違反というスキャンダルから書き始めている。事件の核心を 握っている出納責任者が逃走していて、この男がつかまらない限り、岡崎本人は結局選挙違反に 問われないですむだろうと書いている。もうこの頃から時には自殺者を出すこの種のスキャンダル は絶えることなくあったのだ。
 (出納責任者が)うまく逃げおわせれば、岡崎氏は結局選挙違反に問われないですむだろう。 その代り、岡崎氏への疑惑はいつまでも国民の胸から消えない。−
 だが本当のことをいうと、国民の疑惑はこんな三段論法から生れてくるわけでは ないであろう。国民は岡崎氏がとどのつまりは「時効」を獲得するにちがいないと 直感しているのであって、検察庁が「時効停止」をやっても取り立てて公正だと思 う気持にはなれない。岡崎氏を真剣に追及しえない何ものか が現存することを見てとって、積極的にせよ消極的にせよ、それの片棒をかついでいる すべてに対して、不正を感じているのである。この感じには都合のよい解決や 救いはあたえられないのだが、その内容は鋭いものである。これは − この種の叡智は、 国民が職場や街頭でつねに感じているチクリチクリと背後から電気で刺されるような圧迫 感によって呼びさまされるもので、いつでも不幸な予感をふくんでいる。不幸ではあるが現実 的であり、それゆえ正しいといわざるをえないものである。

 多くに国民が感じ取っているであろう「追及しえない何ものか」を明らかにすることがこの論文の テーマの一つであろう。
 だが現時点では「チクリチクリと背後から電気で刺されるような圧迫感」を日常的に感じている人は 一体どのくらいいるだろうか。街中で行き交う人たちからは、一見、圧迫感を受けていると思えるような背中を 見出すのはむづしい。自足している背中ばかりと見るのは私の僻目か。背中は自分には見えない。私の背中も同 じだろうか。真に満足しているなら芽出度いこと だが、一昨日、自殺者が7年連続で3万人を超えたとの報道があった。日に80〜90人もの人が自ら命を絶っている。これは 大変は事態ではないだろうか。



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295 日本の支配者は誰か(2)
いつの世も、なぜ支配者は冷酷なのか
2005年6月8日(水)



 年間3万人を超す自死者も支配者どもにとっては、もちろん、ただの数でしかない。時には 破廉恥にも「人ひとりの命は地球よりの重い」などという心にもない歯の浮くような台詞をはくが、 彼らにとって、戦場の兵士と同様、自死者の命は鴻毛ほどの重さもない。彼らの頭の中には、あたかも、 どのようにして支配の永続化をはかるかという問題しかないようだ。

 時は45年の春、すでに硫黄島陥ち、沖縄も亡んで、本土決戦が叫ばれていたころのことである。 時局の収拾に大きな影響をあたえた重臣Aと新聞記者Bとの対談、彼らはほとんど定期的に情報の 交換をしていた。

B、食糧問題を考えても、もう敗け戦をつづける根拠は全くありませんね。昨日出あった政治家某も 考えているようでしたが、最後は、陛下にラジオ放送をやっていただくほかはない……

A、お上は御先祖に対して深く責任を感じておいでのようだな。しかし陸軍がいつ折れるという見透し がつきますか。国民は苦しくなっているだろうが、これは固まった政治力にはならないし、それを使 うことは問題にならんでしょう。(手帳をめくって)いまソ満国境でソ連が急速に兵力を充実させて いる。八月ごろには彼我の兵力比が多分三対一以上になるでしょう。(つまり戦争がはじまる公算が つよくなる)そのとき果して軍がどうでるか。そこでしょうねえ、問題は。

 遠山茂樹氏は戦争政治にあらわれた日本支配層の政治意識を分析して次のように書いた。

 深夜ひそかに訪い、遊びに事よせて集まり、互に腹の中をさぐり合いながら、さりげなく、婉曲に 意を通じあい、人から人へと同志を結びつけてゆくという終戦工作が、いつも戦争のテムポに立ちお くれてしまい、ついに原子爆弾の悲劇を招くに至ったことは、太平洋戦争史を読むものの心を痛まし めることである。(『改造』三月号)


 言ってみれば、そういうことである。(中略)その当時天皇制支配機構の最上層にあって 事態の収拾にあたった一指導者は、何百万、何千万の飢餓を黙殺しながら、凄惨なもう一つの機会の 到来を待ちうけていたのである。
 この言語に絶する冷酷さはどこから生れてくるのだろうか。現在の支配体制 は将来とも動く筈がないし、動かすべきでない、それをいかにして無傷で維持するかのみが関心事である、というおそろし くねじ曲った「信念」以外には、このような考えを裏づける根拠はないのである。


 支配体制維持のための冷酷さは、何も天皇制ファシズム下の為政者に限ったことではない。

 問題はどこにあるのだろうか。戦後の出発点においては ―― 国民はほとんどそれを信じな かったが、政治の方から、国民に対して国民との結びつきを強めようとする呼びかけがおこなわ れた。たとえ上からであろうが、外からであろうが、「民主化」とはそういうことでなくてはな らぬはずだった。もしそれができるならば、社会の矛盾を力ずくで押えつけるというやり方にか わって、矛盾を取り上げ、それを具体的に解決しようとする近代的な方法がわが国の政治生活に 取りいれられるわけであった。近代的な方法といっても、それは所詮社会的に対立している諸勢 力を将来の発展に適するような形で社会の表面に引き出してくるだけのことかもしれない。だが、 それは重要なことであり、またそれだけのことをするのにも、おそらく支配者の顔ぶれを取りか えるという問題がおこらざるをえないだろう。ところである意味ではたしかにその顔ぶれもかわる にはかわったが……たとえば、われわれは国会で公然とのべられた次の言葉を何ときけばよいのだ ろう?
 例の破壊活動防止法案の審議に際して、労働組合、民主団体、学界代表等が、戦争防止および人 権擁護の立場から猛然と反対したのに対し、吉田首相の答弁はこうだった。

「この法案に反対するものは、暴力団体を教唆し、煽動するものである」 (朝日 52/7/2)


 戦前と戦後とその政治のありようは、何が変わり何が変わらなかったのか。
 戦後の日本再生は、良かれ悪しかれ、敗戦国日本が受託したポツダム宣言規定のもとで行われる はずであった。ポツダム宣言には次のくだりがある。
 われわれは無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは平和、安全および正義の新秩序が生じ えないことを主張し、この理由で日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出るような過誤を犯させた者 の権力および勢力は永久に除かれねばならない。

 われわれは日本人を民族として奴隷化しようとし、または、国民として滅ぼそうとする意図はな いが、われわれの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える。日 本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなけれ ばならない。言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立しなければならない。

 以上のような事実を列挙した上で「日本の支配者は誰か」の筆者はいう。

 過ぎ去った七年間を顧みると、中身を失った単なる言葉の山うずたかい。口にと なえられる政策と実現される事実との間の背離は、戦後の「民主化」の過程におい ては、むしろ必然性であり、「原則」であったとさえいえるだろう。

(中略)

 今の政治が国民との間の緊密な結びつきを振りすてて、軍国主義やファシズムの 方へますます移行しつつあることは周知の事実である。それは国民の頭を次第に低 くたれさせ、言葉を失わせるような傾向をまねいている。だが、そのような傾向が、 日本資本主義のいかなる矛盾によって生み出され、またそれをいかに深めてゆくか、 つまり、それが日本社会の歴史的な運動をいかに発展させるかということは、まず 第一に、支配者の階級的な性格と、彼らのおかれている実際的な客観条件の特徴に 依るところが大きいのである。日本の支配者はだれか? 彼らはどうして反民族的 な反民主的なコースを選ばねはならなかったのか。われわれは権力の所在に対して 政治分析のためのラジオ・カーを次々に巡廻させてみたい。

 この論文の研究者たちは戦後7年目にしてすでに「軍国主義やファシズムの方へます ます移行しつつあることは周知の事実である」という認識を持っていた。
 建前と現実は、戦後7年たった当時、どのようにどの程度に背離するに至っていただろうか。 A級戦犯を問われた岸信介が総理大臣になるのは、この論文が発表された4年後であった。
 次回から、敗戦時から戦後7年当時までの政治状況、とくに統治形態の推移と実態を見ていくこ とになる。



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296 日本の支配者は誰か(3)
占領体制は天皇と官僚を利用した
2005年6月9日(木)



 敗戦はたしかに天皇制官僚に大きな打撃をあたえた。とくに日本の天皇制は、軍 事警察的天皇制の異名があったくらいで、その厖大な官僚的=軍事警察機関に大き な特徴があったのだが、敗戦はともあれ、それらを一応は骨抜きにした。最後まで 象徴的な形で残されて、いかにも名残り惜しそうだった三千名の禁衛府部隊もつい には解散されたし、内務官僚は内務官僚で、特高陣はもとより大政翼賛会から武徳 会関係までが追放の憂目をみた。

 大日本帝国の圧制に抵抗していた人たちや圧制に苦しめられていた人たちが連合軍を解放軍だ と思い込んだことを、今なら甘い幻想に過ぎなかったと批判できるが、当時としては当然の受け止め方と 言ってよいだろう。
 その幻想は1947年の2・1ストの挫折と、その後に続くレッドパージではかなくも潰えていくが、 実はアメリカの占領政策は当初からその幻想とは遠いものであったのだ。
 だがそれにもかかわらず、打撃は部分的であり、一時的なものだったといえよう。今日、官僚は 税金と公債に基礎をおく寄生機構=弾圧機構として、またかなりの独自性をもった政治勢力として、 相対的に昔以上と思われるほどの権勢を示しているが、彼らが容易に打撃から立ち直りえた第一の原 因は、アメリカ占領軍がいわゆる「間接支配」の道具として彼らを使ったことにある。
 たとえば安本を中心とする統制官僚の一派は、現にダレスードッジのラインに沿って「民主化」の 推進力となり、自由主義の「体制」をまもるためと称して国民経済軍事化のお先棒をかついでいるが、 (戦前の)内閣資源局時代この方、彼らの歩んできた足どりをみると ―― 企画院 事件のように「赤」だといってしめ出されるという場合もあったことは事実だが ――  ほとんど一貫して軍部と提携し、国防国家体制の中心となり、いわゆる天皇制ファシズムの物質的 基礎の方を受けもってきたことは明白である。
(中略)
 アメリカが「間接支配」の道具として日本の官僚を使ったということは確かにそれだけのこと  ―― たとえば、虎の威をかる封建的小役人根性の温存に役立ったということをあらわすにす ぎないが、その官僚が、ただの官僚ではなく、日本資本主義の矛盾の特殊な産物である天皇制官 僚だったということは、問題を単なる技術や組織の問題とはちがった、もっと複雑な政治的連関 の下においているのである。

 アメリカによって「民主化」のコースに引きいれられ、米日両支配勢力間の媒介として働いた 官僚が日を経るにしたがって元の天皇制にたどりついてゆく必然性を、「日本の支配者は誰か」の 筆者は、当時の日本資本主義の状況から説明している。
 日本資本主義は、その内的矛盾の解決を、中国をはじめとするアジア諸地域への 侵略に求めたが、その結果は、競争相手である米英帝国主義に打ち敗られ、また社 会主義のソ同盟からは数十年にわたる植民地侵略の成果を、一挙に、かつ全面的に 「解放」させられた。しかも問題はそれだけではない。日本帝国主義の敗退は、同 時にアジアにおける帝国主義の植民地体制の崩壊過程を意味するものであり、とく に最も重要な市場である中国には新鮮な生活力をもった対立的な経済圏があらわれ た。これらの事実は、日本資本主義の存在条件として、「全般的危機の第二段階」 がいかに形成されていったかをあらわすものである。
 そこから日本資本主義の前途に提起された根本問題をあげてみると、
 第一、日本資本主義は前進的なアジアで旧世界にしがみついている孤児のような 存在になってきた。日本独占資本主義と半封建的土地所有との宿命的な結びつきを 打ちこわすことができない以上(敗戦はそのことを少しも解決しなかった。農地改 革については後にふれる)日本は天皇をバック・ポーンとする古い体制の復活へと もどってゆくほかはない。
 第二、日本資本主義は敗戦というだけではなく、「全般的危幾の第二段階」をさ まよってゆく孤児としても、アメリカの「援助」なしにはやってゆけないことを 「発見」した。独占資本と地主勢力とそれらのバック・ボーンたる官僚のブロック にとっては、アメリカの戦争体制への従属以外に生きのびる道は映ってこない。逆 にいえば、アメリカ帝国主義は、日本の古い体制とその軍国主義をまるごと抱えこ む以外には、自分の同盟者を見つけ出すことができなかったと言ってもよい。

 「天皇をバック・ポーンとする古い体制の復活へともどってゆくほか」はなかったが、 その現実過程は単純ではない。次回はその現実の発展過程を詳しく見ていくことになる。



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297 日本の支配者は誰か(4)
「民主化」の実体は何か
2005年6月10日(金)



 前述のような条件の下で、復権をしていく官僚たちのさまざまな活動経緯はおよそ次 のようである。

 統制官僚はアメリカ帝国主義の資本輸出のパイプ(余剰物資の輸入と資本化、見返 資金等々)として、経済復興、半戦時体制を名とする独占資本の強奪的な蓄積の吸上げポンプ (重税とインフレ、物資の割当統制と補助金、物資の隠匿や払下げに関連したスキャンダル等々) として、戦時中にまさるとも劣らぬ「指導性」を発揮したが、官僚磯構の中枢神経である弾圧機 構もまた、比較的早くから復元されていた。この点は目立たぬようにおこなわれたが、重要である。 次の表は、全官僚機構の中で、平和的な行政機構や国営事業の従業員は次々に行政整理の名の下に 減員され、国警や予備隊(保安庁)、税務官吏などの特別職だけが、逆に年毎に拡大されてきたこ とを示している。

  一般会計(単位千人)
       46年  47年  48年  49年  50年  51年
  一般職   225   217   177   155   151   149
  特別職    149   217     205   280   269   356

  特別会計(単位千人)
  郵 電   487   436   443   405   406   412
  国 鉄   607   604   627   500   493   469
  専 売    33   36   41   38    41   40
 
   合  計  1619   1599   1677   1458   1539   1519

 47年を境に、一般職と特別職の増減は逆比例している。1947年は時の総理・吉田茂が年頭の 放送で、労働組合の左派指導者を「不逞の輩」と非難することで明けた。議会はまだ「帝国議会」 だった。2月には「2・1スト」の挫折。一方、憲法・教育基本法をはじめ、戦後の法整備が 一挙に進んだ年でもあった。いずれにしても、戦後の日本のありようを規定する大きな結節点と なった年だ。

 敗戦下の資本主義国という制約の下での施策だから当然、官僚的軍事警察機関 の復元にはさまざまな障害があったはずである。また、日米の支配階級の政策が、さし当りは矛 盾点よりも一致点を多くもっていたとみられるが、その日米関係においてもさまざまな齟齬・摩擦 があった。しかし、この時点でこの論文の筆者は「基本的な条件が天皇制の全面的な復帰に 向っているとすれば、すべての障害や抵抗にもかかわらず官僚の復位はいずれ貫徹 されるとみなければならない。少くともそういう方向で問題にしなければならない。」と当面の 予想と警告を書きしるしている。
 官僚勢力は、一時追放された場合でも、さまざまの外郭団体を根城にして温存された。たとえば、
 内務省関係でいえば中央・地方の教化団体、農林省でいえは農林・漁業関係の諸団体、大蔵省では 特銀をはじめ納税・酒造その他の諸団体、商工省は一時にくらべてアンチ・トラスト法その他で 凋落したことは争えないが、戦時中の統制諸団体がいろいろに姿をやつして存続していたのは事実で あって、このような温床に依存しつつ、官僚は自分たちの背後を固めることができたし、また追放者、 退職者などのいわゆるOB組はいつでも第一線に復帰できるような足場をつくっていたのである。

 このような隠然たる官僚勢力の復権の仕方のひとつとして、1952年10月の総選挙での官僚出身者の 目覚しい進出を取り上げている。
 出てきた顔ぶれをみると、警察機構の上に立っている内務官僚、徴税機構の上に立っている大蔵 官僚、農業団体の上に立っている農林官僚など、すべてが官庁の地方機構と密接に結びついたもの ばかりである。彼らは現役時代に売り込んだ「顔」を使っているだけではなく、官庁の下部機構を直 接選挙に動員する。そして首尾よく当選した場合には、国会における官僚の利益代弁者となる。 彼らはたとえば自由党員かもしれないが、その前に農林官僚だというわけである。

 ここで指摘されている票の集め方や議会構成の構図の中での官僚出身者の役割は、そのまま現在に 引き継がれていることは言うまでもないことだろう。
 ちなみにこのときの総選挙の結果を掲載する。

第25回衆議院議員総選挙。自由240、改進85、再建連盟1、右派社会57、左派社会54、労農4、協同2、 諸派4、無諸属19、共産党0、計466。投票率76.43%。

 投票率が76.43%とは、驚きだ。投票率100%で政治が変わるという期待を持っている人はこの結果から 何を読み取るだろうか。「まだ100%じゃない、100%になれば」とあいかわらず期待し続けるだろうか。

 官僚の政界進出は、もちろん官僚としての第一線復帰とは違う。しかし、官僚勢力の権力を 維持・伸長するためのおおきな源泉のひとつである。
 一度第一線を引いた官僚はいわゆる「現役」には戻れない。政界進出を選ばなかったものは、 これもいわゆる「天下り」をして、そのまま第一線に復帰したのと同じほどの権力の座に居座る。 彼らの役柄は、上は国会議員(政党幹部)、外郭団体の役員から、下は国警、特審のスパイにい たるまで、あらゆるところへ復活してゆくが、それらによって官僚の勢力と機関は補足され、完成 される。つまりこういう過程を通して、天皇制の全組織がふたたび日本社会を網の目の中につかまえ、 そのすべての気孔をふさいでしまう。そういう過程の一つがここに示されているとみたいのである。

 しかし、戦後のこうした官僚体制の復元は、すべてが全く元通りのところへ逆行しているわけでは、 もちろんない。戦前にはなかった明らかな変化があり、そこには小さいながらも希望の芽があった。 その芽は何であり、今はどうなっているだろうか。



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298 日本の支配者は誰か(5)
労働組合運動と天皇の権威の低下
2005年6月11日(土)



 「戦前にはなかった明らかな変化と希望の芽」とは労働組合運動と天皇の権威の低下 である。

 官僚権力の復権に対しては、下級官僚を中心とする官公労の運動を対置することができるだろう。 当時の組合運動の状況は次のようであった。
 現在の段階において、もしも官僚の民主化がカッコなしでおこなわれ、そこに公僕意識のごとき ものが生れるとしたら、その現実的な基礎の一つは確かにここにあることが考えられる。過去何年 間かの経過をみると、いわゆる「官公労の闘争」は、二・一ストをピークとして衰退過程をたどり、 レッド・パージによってさらに追撃を喫した形になっている。労組運動の中にさえ官僚意識が残 っていて、それが「引き廻し」という表現をとることにより組合の団結をそこなったのが挫折の 原因の一つになっているが、むろんそればかりではない。官公労組の小ブル性とか、政府の統制 強化とかいうこともあわせて考えなければならぬであろう。しかしいずれにせよ、官庁の「民主化」 という問題との関係で現在の労組運動をみるとすれば、それの沈滞が、官僚の公僕意識の減退と符節 を合わしているというように、むしろ否定的なメルクマールとされる方がスワリが良いことは事実であ る。だからといって、労組運動がなければ逆コースがさらに激化されることはいうまでもない。


 現時点でも、闘う労組はわずかしかない。詳しい事情を知らないものの偏見を含んでいるかもし れないが、多くの労組はむしろ企業・官僚機構の御用組合に成り下がって労働者の統制管理に血道を あげているという認識を、私は持っている。これを「協調路線」と言うらしい。
 しかし、わずかではあっても闘う労組がなお健在であることは、希望の芽である。闘わない労組の中 にも希望の芽がある。多くの労組で、高邁な意識をもった組合員が労組の再生を目指していることと思う。 闘わない「都高教」の中にも、「日の丸君が代」の強制と闘っている教員が、闘うことで「ダラ幹」を 厳しく批判している。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況を「進歩は小さく後退は大きい、という感じがするわけ で、結局は軍国主義とファシズムの方向に結びつけられてしまうのであるが、さりとてこの小さい変化 は決して無視されてよいとはいえない。」と希望をつないでいる。そしてもう一つの「小さな変化」、 天皇と天皇制官僚のプレステイジ(権威)に対する国民意識の変化を表すものとして取り上げる。
 第一、戦前は、むろんハラの中では馬鹿にしていたという面はあるが、 やはり天皇と天皇制官僚に対して一種のプレステイジを感じていた。ところが戦後 になると、表面的には頭を下げるが、ハラの中では官僚について、自分達のエイジ ェントとまではいかなくても自分達の利益のために利用するという面がつよくなっ ている。官庁の汚職事件などにはこういう「親しさ」の反映とみられる点もある。

 第二、天皇についてのプレステイジは、今のところ、経済的な利害関係の薄いと ころや、とくに青少年の間では「老人達」をおどろかせるほどになっている。一つ の事例 ―― 先日天皇が護国寺にある秩父宮の墓に参拝したとき、あの辺の中学で学 生をならばせたが、むかしとちがって、今は「礼」をさせない。そこで学生の方は お辞儀をしないで見ているが、天皇の方はえらく愛想がよくて、しきりにお辞儀を したらしい。そうすると、高等学校二年生のある生徒が、「彼は参議院に立つのか しら」と言ったという。これは言った当人が見たままをしゃべったにすぎないとい うことで、かえって実に皮肉な指摘になっている。ここには、天皇の神格化という ようなことが自然の理法をねじまげたものであるだけに、いったん破れたとなると、 雲間から紺碧の空を仰いだような感じになることをあらわしている。国民の間に生 れ、ひろがっているこういう合理主義的な気分は、目立たないところで、非合理的 な天皇制の再興を絶えず引きとめる方向に作用するであろう。

 しかし、このような「変化」にもかかわらず、戦前とはその内実に違いはあっても、 天皇制官僚の全面的な復権への過程が積み重ねられてきて、現在に至っている。
その分掌上の理由から文部科学省が特に突出していが、全官僚勢力を挙げて天皇の権威 復元に懸命である。もちろん官僚だけではない。支配階層全体が、天皇を利用した国民の 支配統制の施策をむき出しに打ち出してきているといえる。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は当時の状況をどう認識していたか。
 だがこのような「変化」にもかかわらず、基調は天皇制官僚の全面的な復位に向 っているといわねばならない。それは国民の「抵抗」が今のところ、まだ幼弱で、 部分的だということを反映しているのかもしれないが、それよりも、天皇制が支配 階級の支配体制だからそういうことになるのである。天皇制およびそれをささえる 官僚のプレステイジが、国民の目にますます馬鹿らしく見えるようになったことは 事実であっても、危機が深まれば、天皇制とその官僚的=軍事警察機関は、従属的 で、エセ民族主義的で、軍国主義的なその本質をますます前面に持ち出さざるをえ なくなる。国会の無能さとか、官僚、財閥の腐敗とかが、軍国主義とファシズムへ の導火線に使われやすいことは、過去にわれわれが経験したことと全く同じである。 だが新しい天皇制は軍国主義とファシズムのためにどんな構図を描きはじめている のか。それは政治体制の全部面にわたることであり、現在の客観情勢下における日 本社会の全領域に関係したことである。われわれの分析もこの辺で場面をかえてみ る必要があるようだ。

 次回から、本来のテーマである「統治形態」の実際を具体的に見ていくことになる。



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299 日本の支配者は誰か(6)
政党と国会はアメリカの意志で動いたし、動いている
2005年6月12日(日)



 ここで考えてみると、われわれは敗戦この方、実に奇妙な混乱の中へ入りこんで きたことがわかる。われわれには生れてから今日になるまで「市民」(シトワイア ン)と呼ばれる名誉をもった経験もなければ、市民的自由を享受することのよろこ びに浸ったおぼえもない。しかるに一方ではブルジョア・デモクラシーの限界性な どということを問題にしなければならないばかりか、さらに帝国主義ブルジョアジ ーの反民族的・反民主的な性格に直面せざるをえない。しかもその帝国主義は、前 時代的な半封建的な日本に対して「民主主義的生活様式」を導入しようというので ある。重苦しい擬制が名目的な饒舌とからみあい、重なり合って、とんでもない虚 構が生産される。それはいかんともしがたい事実だが、しかも民主とか自由とかを もとめる国民のねがいにいつわりがあるはずはない。なんという混迷か。だが、い ずれにせよ、われわれはこの虚妄の海を渡ってゆかねばならない。

 1950年前後の進歩的知識人が直面していた社会的・政治的問題意識の代表と見てよ いだろう。「重苦しい擬制が名目的な饒舌とからみあい、重なり合って、とんでもない虚 構が生産」されているのも「民主とか自由とかをもとめる国民のねがいにいつわり」がな いことも現在とて同じである。
 また、私は現在イラクの人たちが強いられている状況をも重ねて考えている。
 しかしわれわれが知りたいのは、現実の日本社会に対する政治支配の実体であり、 そのすべての特殊性でなくてはならない。だから、われわれはより具体的なものへ 進んでゆく必要がある。この場合、まず第一にはっきりしなければならないことは、 国会や政党が全支配機構の中でどんな位置をあたえられているかということである。 われわれが、「支配者はだれか?」という問いを発するとき、それは「生々流転」の 機会を待ちかまえているような新憲法の規定がどうかということよりも、実際の権力 がどこにあるかということでなくてはならぬからである。

 新憲法は国会を「国権の最高機関」と規定したが、「主権在民」の実質は確保されていた のだろうか。
 「日本の支配者は誰か」の筆者は、「占領期間中を通じて国会と政党がアメリカの完全支配をうけて いたことはすでに周知の事実だ」と述べ、次のような事実をあげている。

法案の提出、修正、可決、否決等のすべてについて、GS(軍政部)のコミットメントが入用だった こと。

 しかも、このような政治を動かしている本当の裏の体制が単独講和=「独立」後もいっこう 崩れていない。
 予算の編成にあたっては、閣議決定の前に蔵相が大使館へ「念のため」「敬意」を表しに出かけ ていた。

 さらに次のように詳述している。
 一事が万事である。現在の日本では、政権がいつまでもつかというようなことも、 アメリカの世界政策、とくに極東政策がどんな状態になっており、それと内閣の施策 との関係がどうなっているかということ、また総理に対するアメリカの評価がどういう 風に動いているかということが、終極的な重さをもってみられる。このことは「独立」 を達成したという日本が、「援助」によって財政を把握され、アメリカ軍の特需で 国際収支をやりくりするような立場に立たされ、おまけに軍事、外交その他たいていの 部門で、アメリカ人顧問の直接的又は間接的な引き廻しにあっている事実からいえは、 何も不思議がることはないといえるだろう。
 前にもどって、日本人の間では「吉田はあちらさんの信用があるから……」というような 表現が今でも残っているが、本当のところは、人間としての吉田が信用されているのではなく、 むろん、支配と従属という特殊な関係で結ばれた米日支配階級の同盟だけが問題であり、 吉田はそのような関係における日本支配者層の統一の人格化という点でだけ評価されるという のが真相であろう。もう一度言いなおすと、アメリカはアメリカの意志を従順に遂行してゆく ような政治上のまとまりが出来れば、その事実関係を評価するのであって、現在は吉田政府と 自由党がそういう意味の「信用」を博している。その次が重光になるのか、まかり間違 って河上丈太郎になるのか、それはどうでもよい。というのは、問題が政権担当者 の人物や思想(「赤」はダメとしても)にあるのではなく、もっと客観的な、いわ ば道具としての価値に近いようなものであることは、占領期間中、吉田ワンマンの 性格がGSのウィロビー一派から徹底的に嫌いぬかれたにもかかわらず、いまだに命脈を保って いることからも明らかに察知されるであろう。(しかしまた、アメリカ側が次期政権工作など に超然と不干渉の態度をとっていると考えるのは事実に相違するようだ。現におこなわれている 保守連携工作は世上「大使館筋」の斡旋によるものだと伝えている)

 ここで述べられていることも現在に通じる。コイズミがブッシュのポチであることはいやというほど 思い知らされているが、今国会で争われている「郵政公社民営化」もアメリカからの強い要請による という。森田実さんのホームページ
から引用させてもらう。

 『月刊日本』2005年6月号に「郵政民営化は『米国による日本改造』プログラムの一環だ」と題する 関岡英之氏のインタビュー記事が掲載された。すぐれた迫力あるインタビューである。そのポイントを紹介 する。

 (1)《現在、我が国の様々な分野で構造改革が進められていますが、これらの多くは米国の国益極大化を 目的とする、米国政府からの要望に基づいたものです。私はそれを「米国による日本改造」と命名しまし た。》

 (2)《おそらく最初は日本の官僚も米国の対日経済戦略に気づき、必死に抵抗したものと思われます。 しかし経済制裁という脅しに譲歩を重ねているうちに、いつの間にか日本側が妥協するというパターンが できてしまった。こうした状況が続くと、官僚の頭の中には米国の内政干渉に応ずることが当然になって、 何も疑問をもたないようになったのです。》

 (3)《1993年の宮沢喜一首相とクリントン大統領の首脳会談で、日本側が米国に譲歩する形で (年次改革要望書の交換が)合意された。(米国側はこの年次改革要望書に)日本の産業、経済、行政 から司法に至るまですべてを網羅し、米国は様々な要求を列挙しています。》

 (4)《司法制度改革は「日本改造」の突破口として位置づけられています。目指すのは自由放任で何 でも裁判で白黒を決めるアメリカ型社会です。百戦錬磨の弁護士を雇う金銭的余裕のない人は裁判で 争う前に敗北し、社会から疎外されてしまう。目指す社会は「強者のパラダイス」ですが、大多数の 日本人にとっては、いたたまれないようなすさんだ世の中です。弱肉強食で貫かれた発想といえるで しょう。》

 (5)《郵政民営化の背後に明らかに米保険業界の要求がある。米国が最初に公式文書で郵政民営化に ついて言及したのは、対日「年次改革要望書1995年版」です。「郵政省のような政府機関が民間保険 会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する」といった要求が出されました。》

 (6)《米国の狙いは、まず郵便事業と簡保を切り離して完全民営化することで、全株を市場で売却しろ と要求しています。切り離された新簡保会社はたちまち外資の餌食になるのは間違いありません。》

 (7)《米国当局者は、次の日本のターゲットとして「医療・保険制度」とともに「教育」もあげている。 教育特区で全教科を英語で教えることを可能にする動きも予想されます。(この動きが広がれば)日本 の古典文学や歴史、文化をどう教えるかという問題が生じる懸念もあります。》

 (8)《こうした一連の「米国による日本改造」を拒否するためには、問題の本質をシッカリと把握 して議論し、日本の国益を守るために大奮闘している国会議員を、日本国民は支持してゆく必要がある と思います。》

 以上が、関岡英之さんのインタビュー記事の要旨です。正論です。

 アメリカのハゲタカファンドが狙っているのは簡保と郵貯を合わせて350兆円と言われている 市場(=国民財産)だという。



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300 日本の支配者は誰か(7)
政党と「金づる」との依存関係
2005年6月13日(月)



 前回明らかにされた事実をまとめると次のようになる。
 「国権の最高機関」であるはずの国会の背後には日本支配階級のバック・ボーンとして 官僚勢力が大きな影響下にある。その官僚をアメリカが自らの政策遂行の媒介として利用 している。
 しかし、米日両支配階級の間の関係は、単にアメリカの支配者に日本の支配機構が従属 しているという主従関係だけで成り立っているわけではない。それはやはり二つの異った 受益集団の協定であり、共同利害を基軸とした同盟関係であろう。

 それでは当時(1950年前後)、政党が国内支配層のどのような勢力と利害をを代表し、その支配層と どのように相互依存をしているのか。次はそのくだりを読んでみよう。
 第一、戦後の政党(とくに自由党)におけるいわゆるアプレ(戦後派)とアヴァ ン(戦前派)のどちらが有力かという問題。
 この場合、アヴァンは待合政治的なかけ引きにすぐれ、アプレは小粒ながら戦後の空白期を もたなかった点が強味だといわれているが、残ってきているのは大体有力な金づるをもったも のばかりである。
 アヴァンの復活ということは、前田、大麻、松村、緒方、それから岸というような 名前によって想起される旧翼賛・翼壮的な戦争協力者たちの公然たる復活という点 でのみ意味があるといえよう。また戦前と戦後で大粒小粒をきめるというのは事大 主義的な感覚にすぎないのであって、政界の現状に関するかぎり、大勢をアメリカ 一辺倒の方へもっていっているのは ―― その意味における「主流」は ――  吉田側近の官僚と小物グループだと言いうるのである。

 第二、政党の金づるについて。
 政党の軍資金はむかしは財閥の献金(主要な方法は株の操作)、はげしいのになると軍部から 逆に鞘をとったという豪傑もあったが、戦後は財界再編成で(というよりも、国家独占資本主義 の形態がもう一進展をとげる過渡期にあたっていたために)従来の資金源は一応涸渇した。現在 重役の数は多いが、個人資産はせいぜい一億どまりで、自家用のキャデラックなど持っているも のはほとんどないといわれているが、それは右の資金源の状態に対応したものである。
 そこで戦後は、大きな政府の撒布資金、たとえば電源開発とか造船とか、そういう大きな政府 投資、特銀関係の融資などのかすりをとるほかないので、そういうところへ顔の利く池田などが Bクラスの大蔵官僚から一挙に大物閣僚への転化をとげるにいたったというわけである。
 戦後の閣僚番附をみると、官僚のほかにいろいろとインフレ事業家、銀行家などの顔ぶれが出 たり消えたりしているが、第四次吉田内閣ではかつての三井財閥の総帥向井忠晴が蔵相の椅子に 坐って、財閥復活のはっきりした傾向を具現してみせた。財界も、表面は財閥解体やパージで尾 羽打ち枯らしているというが、そうした事態の裏側で進められたいわゆる「経済復興」や国民経 済軍事化の過程は、とりもなおさず最大限利潤追求の過程であり、世の中は不景気でも巨大軍需 コンツェルンは巨利を博してきた。そしてそれは直ちに再編を終った財閥のふところに流れこんで いた。向井蔵相の就任は正にそのことをあらわすものにはかならない。

 第三、政党の金づるには、このほかに個々の事業会社、山林所有者等と代議士と いったような個々のつながりが幾重にもできている。これは独占資本と地主勢力と の同盟関係の下に生み出されている全国的な経済上のヒエラルヒーを反映するもの である。ある新聞社の平凡な政治記者の一人は「自由党の前身である政友会はむか しから地主党といわれるくらいで、幹部とか代議士には農村出身者が多かったが、 いざとなると高橋是清のような都市の金融資本と結びついている者の発言が物をい うようだ」と頭をかしげていた。ここにいう金融資本に近い勢力とは、必ずしも金 融資本そのものをさすのではなく、いまものべたような支配階級のブロックの下に 形成されたヒエラルヒーの最上層をしめるもの、ということではないだろうか。
 支配権力の道具としての政党はこのヒエラルヒーに沿って国民を上から下へつかんで ゆくのである。そこにブルジョア政党の本領がある。
 国家財政を糧に財閥が蘇生していく過程と、農村を基盤とした保守政党の支持母体が 形成されていく過程が、「金づる」というブルジョア民主主義の真骨頂を通して述べられている。
 つまり、政党=ブルジョア政党は国民の上にたつ支配権力としては官僚勢力と相互補完的な関係 にある。官僚群が弾圧と徴税の諸機関を一手に手中にしているのに対して、政党の方 の役割は政治上の組織者としての役割であり、社会的にはさまざまな個別的特殊利害の 衝突の緩衝機能を果たしている。そして国会は、形式的には「国権の最高機関」であるが、 ブルジョアによる間接支配を貫徹するための「煙突」の役割を果たしていることになる。
 しかし一方、戦後の議会政治の中で、はじめて社会民主主義政党が権力の一隅をしめるようになり、 共産党がはじめて合法舞台に出てくることがみとめられた。これらいわゆる革新政党も含めて、 次回は各政党ごとの役割の分析に進む。



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301 日本の支配者は誰か(8)
政党にはどんな役割が振ってあるか。「改革」の意味はどこにあるのか
2005年6月14日(火)



 「以上のような前提をおいて、政党の全社会的な配置について簡単な描写を試みよう。」と、 論文の筆者は各政党の性質役割を次のように素描している。
自由党
  政府与党として、支配階級を正式に代表する。したがって全体的な立場は向米一辺倒が 本質となる。しかし党内分派は一種の野党とみるべきである。

改進党  幹部の大部分は向米一辺倒的な思想の持主だが、彼らの存在は野党である。軍事占領と 植民地化という条件の下では、反動主義者やボス、ダラ幹の類にも、それなりのフンマンや 不平がある。野党は政府に対してそれを鳴らさなければ政権の座につく可能性を失うことに なる。マーフィーにすすめられたという保守提携が容易にはかどらないのも、また党内「民族 資本派」が ―― この一派は見方によっては不当に進歩的であるかもしれないのだが ――  党を出たり入ったりしてつづけていられるのも、その根本は右にのべたような基本条件の反映 である。

右派社会党
 右派社会党は今では自由党の「社会主義分派」という色彩を強くしており、一部は完全に社会 ファシズムへ移行した。労働運動の中でも、愛労運動を中心とした労働組合の産報化と分裂工作 を受けもっているが、そのやり方が労働階級から嫌われはじめているので、たよりになる「支柱」 としての真価を疑われそうになっている。

左派社会党
 日本の左派社会党は、左右を区別する場合の国際的な基準である容共統一戦線派か、否か、という 点で特別の態度をとっている。民族革命の路線における統一という中心問題について、左派幹部 (とくに統制官僚を中心とする一派)は、思想の上では民族戦線の側へ改良主義的なやり方で接近 しているように見せながら、行動の上では共産党との統一行動を頑固に拒否している。これは共産党 が左派幹部の思想を叩きながら、傘下の勤労大衆に対して絶えず統一戦線を目ざす共同行動を呼びか けているのと正に背中合せの形になっており、このあたりが危機の激化と共に支配階級からの期待を 増しつつある所以である。しかし昨年下期の炭労ストあたりを境目とする最近の傾向は、下部の幹部 批判が盛んになった点にあらわれており、それが労働組合の政党に対する「不信」という形でひずん でゆくような危険性もあらわれている。左派社会党が統一への展開をはばめばはばむほど、大 衆をファシズムがさらってゆく可能性も強まるということを、すでに最近の情勢の発展が示している。

 自由党と改進党は55年に合同して自由民主党となり、憲法「改正」・再軍備をその基本政策とした。 その保守党の政策を阻止するために、同じ年に左右社会党も日本社会党に統一される。いわゆる55年 体制である。ちなみに、小熊英二さんはここまでを「第一の戦後」といい、その後の「第二の戦後」 と区分している。

 さて、「日本の支配者は誰か」はこの政党の分析を踏まえて、次のように続けている。
 支配階級の権力機関とみる場合、政党の配置は、議会主義の枠の中へ大衆の政治 的エネルギーを封じこむためにのみ、評価され、その目的に合するかぎりのエセ民 主化が取り上げられる。終戦後いまにいたるまでの経過は正しくそういうことだっ たのである。しかしブルジョア・小ブルジョア政党は権力機関の一部として育成さ れるものにはちがいないが、それぞれに社会的基礎(地盤)を維持してゆかねばな らないので、そこに一種の逆作用があらわれ、党の階級的本質と若干の喰違いをお こす場合が生ずることも敢えて怪しむには当らないわけである。しかるに支配階級 の基本政策が軍国主義と戦争準備体制を目ざしている場合には、このような逆作用 は決して消化されないわけで、矛盾はもっとはげしく内攻してゆかざるをえなくな る。矛盾の発展はブルジョア的代議機関(国会・政党)に対する国民の不満をこめ て、ファッショ化の危機をさらに前面に押し出しつつある、というべきであろう。

 「支配階級の基本政策が軍国主義と戦争準備体制を目ざしている」とか「矛盾の発展は ブルジョア的代議機関(国会・政党)に対する国民の不満をこめて、ファッショ化の危機を さらに前面に押し出しつつある」とかいう文言は、私には、まるで現在の状況を言い表して いるように読める。



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302 日本の支配者は誰か(9)
財閥はどのように生き返ってきたのか
2005年6月15日(水)



 敗戦直後の官僚と政治党派および天皇制の危機・動揺・復活の諸過程をたどって来た。 当然のことながら、現在の深刻な諸問題のほとんどが、第一の戦後のときにその種を 胚胎していたことがわかる。
  「日本の支配者は誰か」は次に経済構造(下部構造)に照準を向ける。戦後政治の性格をきめ ている日本独占資本主義の根本的な要求と特徴とを分析するのが目的である。

 まず、日本独占資本主義の再建が軌道にのってきたことが国外からの目にも明らかに なってきたことを示すものとして、ソ連共産党19回大会(1952年10月)でのマレンコフの報告 を紹介している。
 億万長者の連中はブルジョア国家を動かしてこれに新戦争準備と軍拡の政策を指令し、 今や厖大な利潤をえている。……イギリスの独占成金、フランス、イタリア、日本その 他各国の独占資本は、自国経済が長期にわたって停滞しているにもかかわらず、莫大な 利潤をあげた。

 それは莫大な利潤がふたたび生産されはじめたこと、したがって、また、強烈な搾取が 再現されたことを物語っている。どうしてそういう過程がひらかれたか。なぜそうならざるを 得なかったのかと問い、次のように分析している。
 まず第一に検討しておく必要があるのは、戦争の影響である。 戦争によって非常な打撃をうけたのは、国民大衆の富でこそあれ、 独占資本の蓄積ではなかった。戦災をうけたとか、戦時補償の打切りが痛かったとか、 表面的には非常な価値の喪失があったように言いふらされているが、たいていは事実を過大に 見積っていたのである。ことに安本統計などは、「科学的」な誇大宣伝を一手に引受けた感が あった。後になって「朝鮮戦争ブーム」がおこった時、安本関係の一資料は、日本経済がな ぜかくも急速に快復しえたかを示す理由の一つとして、彪大な遊休設備の存在をあ げていた。それこそ問わず語りというものである。

 「安本」なる人物をまったく知らないが、御用学者だろうか。いつの世にも支配者に揉み手をして近づき 支配者に都合のよい資料をでっち上げる御用学者がいる。そのような御用学者が垂れ流すインチキ情報 を見抜くためにも、政治社会の問題の歴史的論理的な解明を目指す営為に学ぶことは多い。
 だが、これほど大きな遊休設備をかかえたままで、軍事力は破壊され、輸送手段 は寸断され、植民地市場(原料・輸出)は喪失し、おまけに国民は窮乏のふちに喘 いでいるという状態は、たしかに経済体制そのものの危機期をあらわしていた。独占 資本の前には、荒廃し、破壊された経済諸条件を恢復し、生産諸部門が相互に市場 となり合うことができるような方向を見出さねはならぬという困難な課題がおかれ ていた。それを解決しなければ、独占資本主義は、「多かれ少かれ規則的に」拡張 再生産をつづけてゆくことができなくなってしまうだろう。つまり資本主義体制の 枠の中では、必然的な死滅がまっているということであった。

 そこで日本の独占資本主義は、火事場の荒かせぎからはじめて、あらゆることを やってのけた。まだほんのこの間おこなわれたばかりのことで、罪障消滅とはいか ないだろうから(どなたの記憶も全く消えうせてはいないだろうから)、時間的順序 などにはあまりこだわらないで思い出すままにならべてみよう。

(1)
 戦争に敗けた44年の財政支出は1582億円で、当時の国民所得の二倍に及んでいた。 これは出鱈目な価格で軍需品を買上げたり、出来もしない商品への前払いをやったりし たからである。進駐軍はその年の九月に、財政金融に対する厳格な統制を指令したが、 二ヵ月もするかしないうちに、方針を転換した。「和解」のテムポはずいぶん早かった わけである。

(2)
 新円交換による500円生活の強制。無力な国民は500円の枠の中でちぢこまっていたが、 独占資本主義は、財政支出や日銀貸出をうけて大いに自由を享受した。国民の「繰りの ペられた需要」は、これらの「措置」によって、国民のやせたふところから最高利潤率の 運動の中へあっという間に移転させられた。

(3)
 「進歩的」な学者が官僚と協力して経済復興のための傾斜生産を考え出した。これは賃銀 水準の「安定化」とも照合しあうものであった。この場合も他の場合と同じく、表面は技術 的な問題として ―― 少い「もの」を使って、いかに拡張再生産の筋道をつけるか、とい う風に ―― 説明されたが、その結果、莫大な利潤にあずかったのは事実として石炭、鉄、 肥料の独占諸部門である。

(4)
 財政上の価格差補給金などという手段もあった。これは、巨大独占資本が寄り集って、お手 盛りで原価計算をやり、通産省、スキャップとも然るべく連絡をとるというやり方だったから、 赤字をようやくトントンまでうめてもらっているはずの企業が、いつの間にやら工場設備全部の 補修を完了していた、などの事実が48年ごろにはもうあらわれていた。こういうお手盛り会議の 事例としては、鉄鋼資本の箱根会談、肥料資本のどこそこ会議などが今でも噂に上るほどである。

(5)
 復金融資。あまりにも有名だから説明を省略する。

(6)
 見返り資金。―― 粗悪な外国の食糧を買って、社会的な「動揺」を抑圧し、それを貧困なる 国内市場に流して、資本蓄積を促進した。その売上げは価格差補給の名の下に税金と合体され、 積立てられて、資本支配の原動力となった。まことに目覚ましいほどの一石数鳥ぶりで、戦後型 外資の範例とすべきものである。断わっておきたいが、この場合、範例となるかならぬかの基準は、 援助物資あるいは見返り資金が、アメリカ独占資本主義の最高利潤率の引上げにいかに貢献したか で決まるだろう。

 筆者は「まだほかにもあげろといえば、いくらでもあるが、あまり多すぎても無意味だから止め ることにしよう。」と述べている。以上の事例だけでも、国民からの搾取と資本蓄財のからくりがよく 分かる。それは資本主義の本性から発する必然的な要求であり、正に根源的なものにほかならない。
 「独占資本主義は重税をとり上げ、インフレーションを利用し、また従属産業に貸し倒れの苦しみを 味わせる。さらに彼らの利潤の大きな源泉を上げれば、独占価格、低賃銀と低米価である。――  つまり労働者たちは生産者としても消費者としても繰返し搾取の対象にならざるをえないのである。

 もちろん現在はその搾取がいよいよ露骨で、資本の膨張はいよいよ激しい。富を生み出してい るのは労働者の労働力(知的労働や精神的労働も含めて)だ。年収何億なんていうものがいる一方で、 毎日90名もの自殺者がいる。無論すべてが経済上の理由によるわけではないだろうが、これはもう狂った社会 というほかあるまい。
 資本主義の矛盾はますます深刻になっている。富への際限のない欲望とそれゆえの人民支配の冷血性から 自ら解放されない限り、支配階層には人間解放という根本的な解決をする能力はない。かって、『自己の 内部矛盾の解決を「乾坤一擲」の侵略戦争にかけて、まんまとやりそこなった日本資本主義』は、いまま た戦争を準備している。今度はどのような戦争を企んでいるのか。アメリカの尖兵をつとめるつもりか。



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303 日本の支配者は誰か(10)
その時、労働組合運動は?
2005年6月16日(木)



 当時の国民所得に関する統計は次の数字を残している。日本の総国民所得のうち、資本形成に当てられる分は二十数%、 増加国民所得についてみれば資本形成に入る分は実に四十数%。これについて筆者は次のように述べている。
 こんな比率は世界のどこの国にも全く例がない。これは国民が非常な低質銀と低米価と重税とを必然的なものとして背負 わされていることを明白に示している。それらがなければ日本独占資本主義もないというわけである。これはまことに困難な、 非人間的な圧迫を前提としないでは成立しない関係だといわねばならない。

 「非人間的な圧迫」は「非常な低質銀」だけではない。先日、JR西日本の列車事故に関する報道で、社員が「研修」という名の 屈辱的な精神的圧迫を受けている映像があった。人間性を圧殺し、企業の金儲けに従順に従うような鋳型にはめ込もうとしている。 ほとんど奴隷状況だと、私は胸が痛んだ。「日の丸・君が代の強制」と闘っている教員たちが強いられている無内容な「研修」も 然り。見せしめであり、思想変更を迫るものでしかない。
 それでは「非人間的な圧迫」を強いられている側の状況はどのようだったのだろうか。
 戦前の労働組合運動は、会社の労務課、警察の特高課、それに憲兵隊までを加えた野蛮至極な弾圧と真正面から対立し、異常に 真剣な、その反面きわめて犠牲の多い闘争を展開してきた。
ところが、戦後は打ってかわって、労働組合の設置が「奨励」されることになった。労働組合運動は「民主化」政策の中でも最 も重要な部分の一つだということだったからである。しかるに、初期の占領政策の中心になぜ「民主化」が入らねはならなかった かというと、それはひとロにいって、危機の深さと植民地的支配の困難さとが見越されていたからであって、その根本的な動機の 中に、「民主化」が民主化でなくなる、反対物に転化する契磯をふくんでいた。
 このことは何よりも事物の発展によって論証された。労働組合運動に合法性をあたえて、その自由な発展を保証したのはアメリ カ人であったが、戦後の再出発の当初から「教育と指導」 ―― 別の言葉でいえば、干渉と弾圧にのり出したのもまたGHQのア メリカ人顧問たちだったのである。(この体制は「独立」後は一応うしろの方へ引っこんだ。しかし現にアメリカ大使館のエド ガーという人が新聞記者に対して「最近の総評は反米的だから親米的な総評をつくるべきである」などと述べているところをみる と、それだけの根拠が残っているのかもしれない。)
 事実、占領期間中を通してアメリカ人は労働組合運動に対して、非常な関心をもち、「教育と指導」に力をそそぎ、それが一定 の溝の中へはまりこんでゆくように終始努力をおこたらなかったのである。

 GHQが「一定の溝の中へはまりこんでゆくように終始努力をおこたらなかった」という「教育と指導」とはどうのようなもの だったのか。「一定の溝」とあどのような「溝」だったのか。「日本の支配者は誰か」の筆者は五つの事例を挙げている。
(1)
 戦後労働運動は職制的な総同盟と自由な産別とに別れて発展したが、両者による運動の分割をもっとも支持したものの 一つはアメリカである。そしてその当時GHQとの連絡にあたった人たちの記憶によると産別に対してはサンジカリズム的な 非政治主義へもってゆく政策がとられ、その線で結実したのが細谷松太の産別民同だったという。

(2)
 「経済安定に関連する大きな問題の一つは、その政治的および社会的反響の問題である。問題は現在の実質賃銀を維持し、 あるいはわずかだけ増額を確保することによって、破壊的な名目賃銀増額の要求の口実を抑えつける点にある。」(1951年 会計年度ガリオア歳出要求に関するジョセフ・ドッジのステートメント)
 しかし生活水準が戦前水準をはるかに割っているときに、そのままこれを固定化しようとする要求が激しい抵抗を呼ぶの は当然であり、経済的な交渉の範囲内で片付かなくなることも必至である。こうして二・一スト以来、アメリカは労働組合に 対する圧迫と干渉の前面にたち、官公庁労組に対するベース賃銀(ベーシック・ウェィジが日本では平均賃銀になってしま った。言葉の魔術である)と職階性と人事院の確立、民間企業に対するへプラー勧告という形の弾圧、企業整備、行政整理を 名目とするレッド・パージなどが次々にあらわれた。なお暴力的な圧迫やスパイ政策とならんで職場内部の徽妙な対立を利用 するという方法も採用された。たとえは、賃上げ要求をおさえるための家族手当が、熟練・古参労働者の不満をよびおこして いることを見るや、生活給か能率給か、という問題を出して職階制再建への道をひらいた。

(3)
 この辺になると独占資本もGHQの袖の下から出て公然と振舞うようになった。政策の基調は改良主義的な幹部を買収又は懐柔 して、分裂政策を運動内部にもち込むこと。組合の闘争を中央に集約して、これを職場闘争と切りはなし、労組の官僚化、ひ いては会社組合への転化をはかること ―― であったが、そういう政策の必然的な結果は下部大衆の組合幹部不信を呼びおこ し、逆にいえば組合の「統制力」を骨抜きにする傾向を生む。しかも単独講和以後、客観情勢は急激に発展し、民同系で固め た総評が「にわとり」から「あひる」への転化をやってのけるにいたった。
 左派民同の幹部も、多くは職制出身でシンは小ブルジョア意識が濃厚だが、口先では革命的な大言壮語をやっている。組合 指導者はある程度までそうしないと大衆を引きずれなくなったのだ。

(4)
 こうして問題はふたたび職場組織のところへ下降してきた。労働組合の枠をこえて、勤労課特審部などというものが、直接職 制幹部と連絡して職場組織(「職場防衛」という名のスパイ・暴力機構)をつくり出す。これに対して総評幹部は、組合の統制 力を強化することによって職場の産報化に対処しようとしているが、下部の闘争は現にもうはじまっているのだ、という点を見 ることが重要である。

(5)
 職場の半軍事体制は職制幹部に基礎をおくものであり、また農村における封建制の残存、構成的な失業人口の圧迫などとの組合 せによって、労働者の上に重くのしかかっている。しかもこの際特に注意しなければならないのは、軍管理工場や基地の請負事業 場での労働が半軍事体制のイデアル・ティブス(典型)をあたえ、全国の工場をこれにならわせていることである。たとえは某基 地では、労働関係法規の無視は日常茶飯事である。また賃銀は民族別、性別をふくめて最高11万3640円から最低4400円までの287段 階になっている。(他の軍管工場では六、七千人の労働者の全給与の三割に等しいものを五十人の外国人がとっている)
なお、こまかいことをつけ加えると、このような職場ではアメリカ式の点数制度を採用しているが、それが職制の手でめくら報奨 金にかえられる。そこに職制の権威が生まれ、低質銀が保証される。

 「細谷松太」、「ガリオア歳出要求」、「へプラー勧告」『「にわとり」から「あひる」への転化』、前回にでできた「復金融資」 とか、いろいろ知らない人名や事項があるが、その当時の情勢は垣間見る事ができる。
 現在の労働運動の実態はまさにGHQと総資との企みどおりになってしまっていると思える。「日本の支配者は誰か」の筆者はその時 点でにおいて今日を次のように予測していた。
 国民経済の軍事化はいまのところ基礎部門を中心に展開されており、直接兵器生産については端緒がひらかれたという程度にす ぎない。それは敗戦後の再軍備という特殊な条件から来ているもので、従属的下請軍需工業の最大の利用者であり顧客であるはず のアメリカとの間にさえ、多くの問題点が存在していたし、今もって現存しているという状態である。しかし客観情勢の展開は、 米日両独占資本間の矛盾をここ当分は表面化させないで、むしろ急速に一致点をつよめる方向に作用するであろう。財閥企業が 全面的な軍事化にのり出すことはすでに日程に上りはじめたとみてよいわけで、それにつれ職場の軍事体制が一層普及化され、強化 されることは当然予想されるところである。




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304 日本の支配者は誰か(11)
農村の支配者・地主権力
2005年6月17日(金)



 「日本の支配者は誰か。」この論文の最後の対象は「地主権力」だ。資本の浸蝕を受けて、 旧来の共同体基盤を崩されてきたとはいえ、農村が保守政党の最も強力な支持基盤であることには 変わりがないだろう。また、地主が小作人や零細農民の生殺与奪の権を握っていた時代とはさま変 わりしているとはいえ、「地主権力」が温存されていることも変わりがないだろう。こう判断する 確かな根拠=情報を持たないが、私はそのように思っている。
 「日本の支配者は誰か。」の「地主権力」の分析を参考にしてみよう。
 戦後の日本政治の真の民主化に最強のブレーキをかけていたのはアメリカだが、「ブレーキを 狭い耕地の畔道で立往生させないように」手を尽くしたのはほかならぬ「地主勢力」であった。 「戦後7年間の経験でかなりはっきり判っている。」と筆者は述べる。地主たちは「耕地の畔道を手 引きするばかりではなく、保安隊の衛門を出入りし、軍管工場の職制幹部に目くばせをする。 日本政治のあるところ地主権力の陰気な姿を見ない場所とてはない。地主勢力はどうしてそんなに 珍重されるのか。」
 論文「日本の支配者は誰か。」はその答を、農村を外国帝国主義の視線と独占資本家の視線でな がめることで探っている。
 外国人から見れば、農村こそは豊富で勇敢な人的資源そのものである。また戦争が始ったとき には食糧の戦略備蓄でもある。
 独占資本の目からみれば、農村はタンス預金と税源であり、労働力の価値を切り下げるための 低米価であり、独占価格を実現するためのシェーレ(ハサミ状の価格差)であり、下請軍需工業と ダンピング的な輸出産業を成立させるための其の基礎条件でもある。
 だが、このような条件を帝国主義と独占資本のために充足させる農村とは、過少農制と過剰人口 の古い世界 ―― 半封建的な土地所有と高率地代によって支えられていた古い生産関係でなくて はならない。
 その半封建的な土地所有制度は、GHQによる最大の事績といわれた「農地改革」で崩されたのでは ないか。いや、農地改革はその古い世界を「揺り動かしただけなのだ。」と、「日本の支配者は誰か。」 の筆者は言う。
 冒険戦争をやりそこなって、体制的な危機に乗り上げた日本資本主義を救う道の 一つは ―― 農村の力を押し強く汲み出すことだった。しかし農村は戦争経済からう けた収奪のために荒廃し、従来からの矛盾が一層激化され、そしてついに供出拒否 の形があらわれ、46年3月には栃木県の芳賀郡で最初の強権発動がおこなわれた。 土地問題に手をつける以外には策のない状態だった。
 しかし、農地改革は小作地の所有権を置きかえただけだから、農民にとってその こと自体は何も与えないのと同じだった。ただその後のインフレーションと恐慌が 農民の階層分化をうながし、特に朝鮮戦争下におこった麦、野菜、柑橘、輸出農産 物などの価格下落が、貧農層の零落に拍車をかけた。中農の無気力化と貧農中心の 闘争が現在の特徴である。(中農といっても、日本の中農にはブルジョア的上向の 見透しがほとんどない。)

 農地改革によって地主の耕地に対する寄生化の根拠がせばめられたのは事実だ。次のような数字が 提示されている。
 終戦時、貸付農地をもっている農家の数は1251,000戸、その貸付反別は1258,000町歩だったが、 改革後の世界農業センサスでは(これは農家の数の取り方が少し違うが、一つのメルクマールと しては意味がある)、142,000千戸、446,000町歩となっている。
なお48年から50年にかけて耕地を売ったものの中で元地主の割合は22.5%、逆に買方の地主の割合 は1.2%であった。

 しかし、これによって地主勢力の物質的基礎がなくなったとは言えないという。なお「山林所有、 用水、役畜、農機具など」にもとづく半封建的な収奪の根が残存していた。また地方ブルジョアと して資本主義的な諸関係の中に半身を浸している地主層が農業生産の外側からの地主支配をつよめ ていた。結局生き残った地主層の構成は大体次のようであった。
 地主勢力の中核になるのは大きな山林をもち、地方産業に関係があるような大地主、そのま わりに中(富)農とか、あるいは没落をまぬかれた中地主がある。つまり地主的勢力の延長と して、乃至は保証としてあるわけだ。(もっとも基地問題などの場合に直接被害者の役割をさせ られた中小地主が、民族運動に参加しているという事例もある。今日の条件の下では、これを 偶然的なものと見ることはできない。)
 しかもこれらの勢力は分割地を別けてもらえなかった元通りの零細農民(中には中農として インフレ過程で若干の蓄積をすることに成功し、地主勢力に追随しているものもあるにはあるが) の間に配置されている。したがって、一つの村をとってみても、地主的土地所有が小さくなった からといって、また地主自身の村会議員が減ったからといって、すぐに地主勢力が無力化したとは いえないわけで、郡単位なり、県単位までもってゆけは、完全に地主支配の網の目にはまりこんで いることがわかる。エンゲルスがのべているように、バラバラにされたジャガイモを一つ の袋にいれているのは、正しく元の地主だ、というわけである。

 その地主勢力の実際の支配系統は、「県の地方事務所→村」という行政系統、「農協の県連→単協」 という生産関係の系統幾重にも重って強固な網の目をかたちづくっている。それを資本関係が外側から 援助する。また国家の警察力、占領軍の圧力など、内外の弾圧機構が大きな防御壁となってそれを保護する。
 こうなれば農村にあるすべての古い諸関係 ―― 本家・分家の姻戚関係や部落団体、 五人組など一切の亡霊どもが二度のつとめにかり出される。小作地や山林はいうまでもなく、 供出の場合でも、徴税の場合でも、農民が対決しなければならない相手は地主勢力とそれへ の追随者たちである。外国帝国主義や独占資本が道案内もなしに裸のままでくるわけでは ない。
 こうして農村では、現在、自由党の「全盛期」がデッチ上げられている。考えて みれば、地主党が勝つことに不思議はないのである。戦後の地主は、農村内部の物 的地盤をある程度まで弱めてきたが、日本資本主義と日本農村の危機をのりきるた めには、この弱化された地主層が反動的な支配者たちにとっての唯一の拠りどころ である。
 地主層は弱化された。それ故に、また危磯の深刻さの故にも大がかりなメカニズムが必 要になるのである。
(中略)
 農村の支配者である地主権力の政策は、アメリカの植民地支配の線にそって戦争 準備体制の方へ、農村をずるずると引きずってゆき、そこで何がしか目先の利益に ありつくというやり方にならざるをえない。農村の失業人口を、二、三男対策とい ぅ名で動員しようとする開発青年団、軍用道路建設のための土木工事などは、農業 危磯の急所をなでた仕事にはちがいないが、結果は農村の半プロレタリアートの手 に、都市の失業者に対する有名な「ニコヨン」以下の極端な低質銀をコポしてゆく だけである。
 はからずも「ニコヨン」という懐かしくも悲しい流行語?にであった。いまもなお失業者は 資本主義が自らが招いた危機を乗り切るための緩衝剤の役割を担わされている人的資源である。 支配層にとっては単なる消耗品に過ぎない。



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305 日本の支配者は誰か(12)
弱いは強い、強いは弱い
2005年6月18日(土)



 独占資本や地主などの支配階級は、戦前と比べて戦後は、いったい弱くなったのか強くなった のか。例えば独占資本の場合、資本の集中力はここで見れば戦前以下であるが総体では戦前より はるかに大きいという。だが、問題の核心はそこにあるのではなく、むしろ、「彼らは弱くなった、 そこで強い支配体制が必要になった」、という点にあると、「日本の支配者は誰か」の 筆者は指摘している。

 それに対して根本的な経済関係の矛盾の方はどういうことになるか。食糧問題を例にとって 次のように述べている。
 日本では食糧が不足ではないのに、外米外麦が輸入されて高い価格をはらってゆく。 それは戦略備蓄のためであり、またアメリカのいうことをきくシャムの反動政権に財源を あたえるためである。しかも一方で強制供出をやりながら、他方では米麦が朝鮮に送られ る。都市の大衆は戦争経済の影響をうけて次第に購買力を失い、そこから農村に過剰生産 があらわれているというときに、その打撃をもっとも深くうける貧農は高い飯米を買わね ばならない。
 農村における地主勢力の支配はこのような悪循環を無限に重ねてゆかざるをえな い。それは不可避的に一切の政治的自由から ―― 民主主義と自由主義からますます 遠ざかってゆく道であり、そのことによって社会の内部に現存する矛盾をとんでも ないところまで発展させてしまうやり方である。

 このような矛盾を糊塗するための支配階級によるさまざまな政治支配の方法の一端を 見てきたわけであるが、支配階級にとってもうひとつ重要課題があった。支配イデオロ ギーの再建問題である。それについては次のように述べている。
 それは植民地化の現況にふさわしく、古いショーヴィニズムの復活とタイハイ的なコスモ ポリタニズムの二様の展開を示している。ショーヴィニズムは農村から、コスモポリタニズ ムは都会からというわけで、それが基地を背景に全国いたるところで混り合い重なりあってい る。支配階級の目から見れば、それは、現実の矛盾に目をつぶりながら、国民を軍国主義と ファシズムの彼岸へたどりつかせるための興奮剤とみられるかもしれないが、ここにも 危機感はみなぎっているわけで、うけとる側の国民は生酔い本性違わずである。イデオロギー攻勢 の中身もむかしほどではない。けだし、支配的なイデオロギーというものも支配体制の有するす べての強さと弱さ、その矛盾を反映しないわけにはゆかぬからである。

 「ショーヴィニズム」=「排外的で偏狭なナショナリズム」、「コスモポリタニズム」= 「アメリカ一辺倒の単細胞的国際感覚」と解すれば、これも現在にまで尾を引いている日本の支配層の 陥穽である。いま日本の支配層はかってないほどの強固な体制を完成しているように思えるが、その 内実は、これもかってないほどの矛盾を抱え込んでいて、粗悪な上にチグハグな材質で建てられ た巨大ビルディングのように脆弱なのではないか。

 最後に、「日本の支配者は誰か」の「結び」の一節を引用して、このシリーズを終わる。
 われわれのリストによれば、日本の支配者たちは誰も彼も、ずいぶん古くさい帽 子をかぶっていた。世界で一番新しいというアメリカ人までが、この国の支配階級 にまじると、大名社会のサムライに似てくるように思われた。彼らは前方を見るこ とをやめたためにそうなったのであろうか。  だが思うに、中世紀の特徴は、住んでいる世界がせまいこと、世界の外が見えな いこと、明日も今日のごとしと思いこんでいること、等等である。中世紀が頭の中 にへばりついているかぎり、危機も、滅亡さえもが、其の意識には上らない。まこ とに物騒千万である。しかもわれわれにとっては、これを百年前のむかし語りと聞 き捨てることは不可能である。



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