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468 「良心の自由」とは何か(1)
宗教の壁を越えるために
2006年4月8日(土)



 古田さんの公正で誠意にあふれた知的姿勢と、その理論の緻密で強固な論理性 にすっかり魅せられてしまった。古田さんをもっと早く知るべきだった。 最近そのことをつくづく悔やんでいる。

 いま新刊書店で手に入る古田さんの著書は朝日文庫の5冊(古代は輝いていた 三部作・盗まれた神話・「邪馬台国」はなかった)だけのようだ。私はそれ以外 の本を古書店で探し出している。その中に毛色の変わった一冊がある。

『神の運命―歴史の導くところへ』(明石書店、1996年刊)

 中心の論文は「近代法の論理と宗教の運命」で「三十代のはじめ、一気に物した 小篇」だという。1964年に発表されている。これに出版時に書き下ろした序説 「宗教の壁と人間の未来」と終章「古代の倫理と神話の未来」を加えて一冊と している。

 通読して、私が自らの課題の一つとしていた「宗教の明暗」を考える上で格好の一冊 であると思った。改めて精読しようと思う。内容が豊かなので、私の読み方もい ろいろな枝道に分け入ったり戻ったりしながらの長い道のりになることが予想さ れる。たぶん、今追いかけている他のテーマにも立ち寄ることになると思う。 煩をいとわず気長にやっていこう。

 序説や終章も興味深い話題に満ちているが、まずは本体の論文を読んでいく。 この論文のテーマを古田さんは序説の最後のところで次のように述べている。

 かって、イエスを「マリアの不義による私生児」とののしり、バイブルの中 のイエスの事績を「架空」化して笑いものとする。そのような所業が流行した こともありました。18〜19世紀の「啓蒙主義」の時代です。
 否、最近まで、ソ連時代には、その種の「反宗教宣伝」が公の機関で行わ れていました。
 しかし、こんなものは「児戯」です。幼稚です。だからこそ「ソ連邦の解体」 と共に、消滅し去ったのです。
 このような一種幼稚な「宗教批判」とは全く別の場所で、わたしは「宗教が 人類に対しもった役割」の分析と批判が重要だと考えています。
 宗教は、人類の生んだ至宝です。魂の痕跡です。限りなく貴重なものです。

(中略)

 けれども反面、宗教は人類に対し、多大の損害をもたらしつつあります。
 最近の、日本における某新興教団のことはいわずもがな、イスラエルでも、 ユーゴでも、英国とアイルランドでも、宗教の「恵み」より「害」を痛感する。 それは地球上の多くの人々のもつこころではないでしょうか。
 「ベルリンの壁」は崩壊したけれど、このような「宗教の壁」を人類は乗り 越えられるか。「克日」ならぬ、このような「克教」に成功するかどうか、こ れこそ21世紀の人類にとって、不可避の課題ではないでしょうか。


 古田さんは、この問題意識は「わたしの人生を一貫してきた」ものであり、 「この問題に正面から深く鎮静したい」と述べている。古田さんの専門の研究 テーマは「親鸞」だという。

 ところで、ブッシュのイラク侵略も宗教の「害」の一つだ。ブッシュを操って いるのはキリスト教原理主義だという。

田中宇の国際ニュース解説

によると

「聖書には、イスラエルと反キリスト勢力との最終戦争(ハルマゲドン)が 起きるとき、ローマ時代に昇天したキリストが再び地上に降臨し、至福の時代 をもたらしてくれるという預言が書かれているが、この預言を早く実現するため、イスラエルの拡大 や、中東での最終戦争を誘発しているキリスト教原理主義の勢力が、アメリカ 政界で強い力を持ち、ブッシュ政権を動かしている」

という。
 ブッシュはキリスト教原理主義の熱心な信者だそうだし、ブッシュの 背後にキリスト教原理主義の勢力があることは確かだろう。しかし、ハルマゲドン を早く実現するために政治政策が決定されているという点にはチョッと首を傾げ たくなる。もし本当にこのようなばかげた思い込みを軸に人類の現代史が紡がれ ているとしたら、全くやりきれない話だ。世界最強のならずもの国家がオウム真 理教と同じ妄想にとり憑かれている?!






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469 「良心の自由」とは何か(2)
憲法第19条
2006年4月9日(日)



 北海道の美唄市立中央小学校の卒業式では教員に「不起立」をさせないた めに、教員には椅子を用意せずに立たせたまま式を行ったという。 こんな事を得々として行って権力に阿諛追従する校長のなんという醜悪さ!、 滑稽さ!
 しかしこんなことがまかり通ってしまうほどこの国の民主主義は瀕死の状 態にある。自分で自分の首を絞めている権力への阿諛追従者が多数派を占めて いる。

 本題に入る。(以下断りがない限り引用文は『神の運命』からのものである。 また傍点を振って強調をしている語は太字で替えた。)

 古田さんの議論は憲法19条の吟味から始まる。

 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 この条文の内の「良心の自由」という言葉は『一般の日本国民にとって決して 熟した表現ではありませんし、むしろ、よく考えてみればますますはっきりしな くなるような、単語のつらなり方です。』と指摘している。
 「良心」を広辞苑は次のように解説している。

『何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪を退ける個人の道 徳意識。』

 そして「良心の自由」という項を置いて次のように言う。

『自分の良心に反する信念や行動を強制されないこと。多くの国の憲法で保障されている。 』

 「多くの国の憲法で保障されている」はずの「良心の自由」がなぜ日本国憲法 ではしっくりしないのだろうか。裁判の判例や憲法学説はこの「良心の自由」どう解釈しているのか、見てみる。 主に三通りの解釈がある。

第1 最も一般的な判例上の解釈。
 条文の「思想及び良心の自由」は「<思想の自由>と<良心の自由>」と 二つの事項が並立としたもの読むのが文法的には正しい。しかしこれを 「<思想及び良心>の自由」と読み、「良心」は「思想」の一部分で、思想 と良心は程度の差異に過ぎず、<思想及び良心>は「思想」と同じ意味にな るとしている。
例 東京高等裁判所判決昭和24・12・5第4特別部
 「良心の自由とは思想の自由のうちその遺徳的判断に属する部分を指して いうのであって広い意味での思想の自由の中に含まれる」

 すっきりしない部分を「見てみぬ振り」をしたことになる。これですっきりはし たが、「それなら、初めから<思想の自由>と簡潔に言えばよいではないか」と いう疑問が残る。

 この第1の解釈は『実際的な適用の場としての判例』には利便さを提供するが、 一字一句を厳密に解釈する憲法学者には納得できないだろう。

第2 憲法学者の解釈
 条文を常識どおり「<思想の自由>と<良心の自由>」と読んで、その違いを 次のように解釈する。
「思想とは人があることを思うこと」「良心とは人が是非辧別をなす本性により 特定の事実について右の判断をなすこと」をいう。
 これに対して古田さんは次のようにコメントしている。

 「思うこと」が思想で「判断する」ことが良心、そういった良心の意味は 少なくとも現在までの日本国民の辞書にはない語意ですが、その上、そうい う「良心」の「自由」となると、世界法制史上に類を見ない珍奇な立法となり…

 古田さんは、佐々木惣一著『日本国憲法論』(有斐閣)から引用している。私の 手元にある佐藤功著「日本国憲法概説」(学陽書房)は第1の解釈と第2の解釈 のどちらをも立てようとした苦心惨憺たる解釈をしている。
 「思想」の自由と「良心」の自由との区別については、思想の自由はいわば 論理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であり、良心の自由はい わば倫理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であるということ ができる。また良心の自由は、思想のうちその道徳的判断に属する部分であり、 さらに根底的な部分であるともいえるであろう。しかし、両者の関係は密接不 可分であって、その境界はつけ難く、特に両者を厳密に区別する必要はないと いうべきであろう。

「思想」は「論理的判断」であり、「良心」は「倫理的判断」で「思想のうち その道徳的判断に属する部分」だという。ますます混迷を深めていると言わざる を得ない。

第3 英語の‘conscience'の訳語として解釈する。
 ヨーロッパ・アメリカの近代立法に見られる'conscience'はもっぱら 'liberty of conscience and worship'という表現で用いられている。 この表現はロックを嚆矢とする。(1690年"Letters concerning toleration")
 ここでは、『良心〈conscience〉というのは外形的な宗教行為たる「礼拝」 〈worship〉に対立する「内心の信仰」という意味』になる。田中耕太郎はこの 立場で「良心の自由」を解釈しようとしている。
 この伝統的な用法で「良心の自由」を解釈すると、むしろそれは「信仰の 自由」と言った方がぴったりということになる。これなら世界的用例に従った 解釈であり、意味はすっきりとするが、日本国憲法内の整合性からは全く すっきりしない。なぜならそれは次の第20条と重複することになって はなはだ奇妙なことになる。

第20条 @信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体 も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。






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470 「良心の自由」とは何か(3)
二つの「不可侵性」
2006年4月9日(日)



 前述のような迷路は現行の憲法内のみでの理解・註釈をする必然的な帰結であり、 『いったん巨視的見地に立てば一目瞭然の理解を一挙に獲得することが出来る』と 古田さんは『日本国憲法作製の思想の分析的理解』を試みる。

 その立場の大前提は次の2点である。

第一
 日本国憲法は英文の方が原文的意義をもった点が少なくないこと。
第二
 この第19条、第20条は当時の占領軍政部G・H・Qにとって特に力点の置 かれた部分の一つであると思われること。
 これは新憲法成立の政治的歴史的背景であるポツダム宣言に明言されている。

第10条 言論・宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立せらるべし。

 第一の項からは「良心」はやはり'conscience'の原語から世界史的に 理解すべきだということになる。
 第二の項からは、「良心(conscience)の自由」は当然第20条に含まれる にかかわらず、特に第19条にも書かれた理由を考察することができるとし、 古田さんは第19条と第20条の述語の違いに注目する。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

「侵してはならない」
 ここに大きな意味がある。旧欽定憲法の屋台骨の第3条「天皇は神聖にして 侵すべからず」と対応する。新憲法では、まず第2条で「この憲法が国民に保 障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として」とあり、 第2条、第19条以外では次の三カ所で使われている。

第15条 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
第21条 通信の秘密は、これを侵してはならない。
第29九条 財産権は、これを侵してはならない。

 ここで注意すべきは、世界立法史上、基本的人権、つまり自然法としての 人間の自由権は、その立法史上の淵源の位置に「良心の自由」を見出すとい うことです。
 だから、第19条の「良心の自由……侵してはならない」は「思想の自由 ……侵してはならない」の一部として独自の意義を解消してしまうべきもの でなく(昭和24・12・5第4特別部の東京高裁判例のように単なる「道徳的判 断」を指すような位置に矮小化することは、とりもなおさず独自の意義を解 消することです)、むしろ新憲法中の「不可侵」性をになう基本的人権中の 淵源的中核として、旧憲法の天皇の不可侵性、言いかえれば、天皇信仰(天 皇統治の神聖国家帰依)の不可侵性に対決する重大な意義をになっているも ので、新憲法の中核的生命と言わねばなりません。

 ここには法的には米英的近代法体系の基本概念よりする、天皇神権的明治 憲法体系への批判が横たわっています。とすれば、この新憲法の第19条の「不 可侵」性は決して偶然でなく、むしろこれなくしては新憲法の意義の中心的 部分が失われるものと、米英的近代法体系の上に立つ者(占領軍側)からは 見えたに相違ありません。

 この点、明治憲法に一応「信教の自由」が認められつつも、安寧秩序ヲ妨 ケス及臣民タルノ義務二背カサル″限りであったこと、そしてその「臣民タル ノ義務」の核心が天皇の神聖「不可侵」信仰にあったことを想起し、そ のため、旧憲法条文上の「信教の自由承認」が本質的に潰滅に帰した歴 史的事実に思い至れば、新憲法が第20条での「信教の自由の保障」のみに安心 できず、第19条に「良心の自由」の「不可侵」を置いたことの歴史的、心理的 理由とその意義はあまりに明瞭であると言わねばなりません。


 この欽定憲法と新憲法との「不可侵性」の対比の必然性を、古田さんは当時 のアメリカにおける日本研究の様相から論証している。

 次に古田さんは「憲法内部から見ると不透明だが外から見ると透明に見えるという『魔術鏡的 性格』は、一体何にもとづくのだろうか。」と問う。

 「良心の自由」という言葉がまだ熟していないような ― そういう近代化の 伝統をもたない、現代日本の基底的非近代性がその原図だ、と言うのが一番通り のいい説明かもしれませんが、それならば日本が基底的に近代化すればするほ ど、この言葉 ― 「良心の自由」は日本国民にとってわかりやすくなってゆく でしょうか。
 そういう見地を保証するような論証を求めても、残念ながらそれが未来への 楽天的予想にもとづく他、何の論証ももたぬことは到底おおいかくすことはで きません。
 しかし、わたし達はこの魔術鏡の表裏の姿を注意深く観察し、分析すること によって、事柄の思いもかけぬ真相に気づくようになるでしょう。その手がか りはアメリカとヨーロッパにおける'Leberty of conscience'の素性を刻明に 客観的に批判的に洗い上げてみることです。






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471 「良心の自由」とは何か(4)
魔女裁判(1)
2006年4月12日(水)



「魔女の秤」
 あらかじめ被疑者の体重を予想する。実際にはかってみて予想体重と 一致するか、それ以上の場合は潔白が承認され、それより下の場合は、魔女と 認定される。

「水審判」
 女を縛って水に入れ、水中に沈んだら潔白、浮かんだならば魔女として判定 される。

 日本の古代には盟神探湯(くがたち)という正邪判定法があった。それと同種 であり、どちらかというと古代的観念の所産だ。私たちにはまったくの迷妄とし か思えないが、『一般的な「権威ある」魔女判定法とされ、実際の法廷で使用せ られていたもの』だという。

 古田さんはもう一つ、つぎのような判定法を紹介している。

「魔女刺し」
 みんなの見ている前で衣服を頭の上にまくしあげて腰まで裸にし、 からだに針を刺さすという拷問。
 こした拷問で自己を魔女と認める自白を強要し、しかも自白しないことが また魔女の証拠であるとする。
 あるいは、拷問で糾問されても「泣かないこと」が魔女の証拠であると同時に 「泣くこと」も魔女が自己を魔女でないかのように見せる詐術とした。

 結局は一度「魔女」という嫌疑をかけられたら「魔女」と判定される以外にな い。古田さんは『魔女であるかどうかよりも、魔女というレッテルをはられた 犠牲者の存在がいかに社会的必要物だったかを示しています。』と指摘し ている。

 魔女裁判による犠牲者はどのくらいいたのだろうか。

 ドイツの一地方に任命された審問官はさして長くない、自分の任期のうちに、 数百人の魔女を発見し、審問し、処刑したことを刻明に冷静に報告してる。

 『魔神崇拝論』の著者ニコラ・レミ(1530〜1563年)も大審院で15年の在任中 に約900人の魔女に処刑を宣告したと報告している(平均一週間に一人以上)。

 『これらは決して異例ではなく、全ヨーロッパ各地の通例の状況の一例に過ぎ ない』という。

 ではなぜかくも不条理で残酷な宗教裁判が行われねばならなかったのか。その 現実的社会的意義は何だったのか。
 まず第一に考えられるのは『ローマ法王を頂点とする中世的封建的ヒエラル ヒーの強制的圧力』『人民を恐怖心でしめつけることによって階級社会を強力 に維持する裁判』というとらえ方であろう。この見地は欠くことのできぬ必 要な要件であるが、この裁判の歴史的性格を理解するにはこの見地からだけの 説明では十分ではない、と古田さんは言い、この見地だけからは説明しきれない 魔女裁判の歴史的な経緯を指摘している。

(1)この裁判が中世ヨーロッパ内で地域的に濃淡の存すること、特にスカ ンジナビア半島ではほとんど皆無に近かった。逆に近世的先進地域イベリア 半島で最も盛んであった。
(2)魔女裁判が猖獗を極めたのは、8世紀以前の封建制度形成期や、9〜13 世紀の封建制度完成期(10〜13世紀が法王極盛期)でなく、13世紀を起点とし て17世紀に至る近世期にあたっている。
 中で最も大規模な魔女狩りが行われたのは17世紀全期間。1590〜1610年、 1625〜1635年、1660〜1680年の三期にわたり、約10万人の魔女が焼き殺され ている。
 魔女裁判による最後の処刑は1781年、完全消滅は1834年。

 このような蒙昧な裁判がつい百数十年前まで行われていたとは、驚きだ。 私(たち)は「中世は暗黒時代」という間違った歴史観を刷り込まれている。 その先入観が根強いので、魔女裁判のような極悪非道な人権無視の権力行使は 中世の出来事だと、つい思いがちだ。中世が一般に言われるような暗黒時代では なかったことは、たとえば網野善彦さんの諸研究がそれを証明している。

 さらに次のような事実も第一の立場だけでは不十分であることを示している。

 「魔女」に擬せられたのはどのような階層の女性かというと

ヴュルツブルクの司教管区にある被処刑人名簿によると、火刑になった者の 身分は「小刀研ぎ師」や「橋門の見張番の女」といった、貧しい階級の者と共 に、「洋服屋の太った妻」「パン屋の妻」「収税吏の妻」から「シュルツ博士 の幼女」「太った貴族の女」に至るまで各階級に対しはなはだ「博愛的」な 一面を有するのも、階級主義的見地のみからは尽くせぬ要素を感じさせます。

 「ところで、魔男」(?)というのはいなかったのか。いたそうだ。ただし全体の 10%ぐらいだという。






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472 「良心の自由」とは何か(5)
魔女裁判(2)
2006年4月13日(木)



魔女裁判の現実的社会的意義は何だったのか。『サラセン世界 の三面包囲下にあるヨーロッパ』というイスラム教対キリスト教という問題 がその第二の見地である。

(1)
 1270年の十字軍の敗北的終結の5年後、トゥールーズで最初の魔女焚殺が行われ ている。以後、宗教裁判・魔女裁判が確立していく。
(2)
 スレイマン一世の中欧侵入後の十六世紀末から一世紀間に最も大が かりな魔女狩りが行われている。
(3)
 最も宗教裁判の盛んだったイベリア半島がヨーロッパで最もながらく回教世界 であった地域だった。逆に、宗教裁判がほとんど全く行われなかったスカンジナ ビア半島が回教世界の三面包囲から最も遠い地点にあった。
(4)
 711年にイスラム教徒がジブラルタルを占領して以来、イスラム教世界とキリス ト教世界との長い攻防が続く。その間、キリスト教世界が回教世界に勝利したと される事件もあるが、それはイスラム世界の脅威の決定的打破でなかった。 (肝心のキリスト教の聖地イエルサレムが1917年まで結局キリスト教世 界の手に奪還せられなかった。)
(5)
 イスラム教世界は中世・近世初頭のヨーロッパに対して文化的にも優越してい た。ヨーロッパ近世・近代のギリシャ復帰、自然科学の発展は直接の古代復帰 でなく、サラセン文化内のギリシャ、自然科学発展を媒介して継承したもの である。
(6)
 宗教の自由に関しても、イスラム教世界は一種の政策的寛容に達していた。 キリスト教世界のような野蛮酷烈な宗教裁判でなく、異教徒に対して寛容を もって臨んでいる。例えば、北アフリカではその慣例の中でキリスト教への勝利が達 成せられていった。

 以上のように、あらゆる面で優越していて強力であったイスラム教世界に とりまかれた、文化的にも軍事的にもより劣ったキリスト教世界の 支配者たち(ローマ法王や諸国王など)の深刻な恐怖心の生んだヒステリー現 象、それが魔女裁判だった。

 続いて、古田さんは次のように述べている。

 この点、わたし達は近い経験を見ています。それはロシア革命後のソヴェト体 制内部のスターリン独裁と苛烈な粛清裁判です。それを解く一つの鍵が全世界の 帝国主義諸国――少なくともこの段階では文化的・軍事的に圧倒的により強大で あった国々――の包囲下の社会主義国という情勢から来たことは今ではよく知ら れています。絶えずねらわれ、三面を包囲されている、いつ帝国主義武力の侵 入があるかもしれぬ、という恐怖心は、スターリンの個人的独裁下の強力軍事 体制、そのための思想統一、スターリニズムという戦闘的「精神の核」の形成 の要請を生み、そのために苛烈な異端への粛清がヒステリカルに連鎖的に遂行 されたのです。





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473 「良心の自由」とは何か(6)
魔女裁判(3)
2006年4月14日(金)



 以上の2つの見地からは、なぜ「魔男」ではなく圧倒的に「魔女」だったのか、 という疑問には答えられない。第3の見地が必須である。

 私(たち)が「魔女」という言葉から喚起されるイメージは、例えばシェーク スピアの「マクベス」の冒頭に登場するあの薄気味悪い、大釜で得体の知れ ない麻薬らしいものを煮立てている老女だ。だが魔女裁判で魔女とされた 女性たちはそれとは似つかない。上品なご婦人もいれば、いたいけな少女もい る。これはどうしたことだろうか。

 古田さんは古代ゲルマン族の宗教とその歴史から、「魔女」の本質的意味を 次のように読み解いている。「良心の自由」あるいは「信仰の自由」の意味を読み解くための重要な 手がかりになる部分なので、少し長いがそのまま引用する。

 古代ゲルマン諸族のブルグンドの説話にもとづく「ニーベルンゲンの歌」に おいて、魔法・魔術が決して薄気味悪い、怪奇をものでなく、古代的種族の宝 物の守護者の役割を果たしていること、つまり古代的種族の精神的中枢として あらわされていることを思い起こします。
 このように、キリスト教から見た魔法はゲルマン諸族の民族宗教的所産その ものであったことが示唆されています。

 「彼らは、女には神聖にして予言者なる或るものが内在していると考え、而 してそれゆえに、女の言を斥け、或はその答を軽んずることをしない。我々は 大ウエスパスィアーヌス帝の当時、〔ゲルマーニアの〕多くの人々から永い 間神と崇められたウェレダを見たことがある。しかし彼らはその以前にも、 アウリーニア、およびその他、おおくの女を崇拝したのである」

 これはタキトウスの『ゲルマーニア』(八)(岩波文庫)にしるすところで す。田中秀央・泉井久之助氏の註するところによれば、ウェレダはゲルマンの バターウィー族で神として尊崇せられた女予言者で、常にリッぺ河(ライン河 の一支流〉畔の塔上に棲み、ここより予言を伝え、対ローマ抗戦の命令を下し ていたとせられます。彼女はローマに生け捕りにされ、さらし者としてローマ に送られたとあります。
 が、ストラポーン(前1〜後1世紀、ローマ時代のギリシア人歴史家・地誌 家)の『地理書』にもキンブリー族の女予言者の話が伝えられているところを 見ても、幾度ローマに送られ、さらし者にされ見せしめにされても、彼女等は 次々とゲルマン社会の中から産出せられていたと思われます。

 事実、ウェレダ(Velaeda)の「Vel-」はゲルマン語でもケルト語でも 「見る」を意味し、前者のアングロサクソン語Wlitan「見る」、後者のコーン ウル語gweled「見る」の基本となっています。つまりウェレタとはSeher−S eer「予見者・予言者」(女性)の意味の普通名詞なのです。

 当時のゲルマン社会は「その(姦通の)処罰は立ちどころに執行せられ、そ の夫に一任されている。夫は妻の髪を切り去って、これを裸にし、その近親の 目前においてこれを家より逐い出し、鞭を揮って村中を追いまわす」(『ゲル マーニア』岩波文庫)というように、もはや完全に男子専制社会を呈していま すが、女子尊重という母系制の遺風は血縁意識、民族宗教的風習の中に根強く 根をおろしていたようです。また、宗教信仰の面で、ゲルマーニア神話の神々  ― ヘルクレース、マールスなど ― やエジプト神話の神々 ― イース ィスなど ― 等、異国より流入した信仰が多神教的に混在していますが、そ れらと融合して、それらを背景として古来の女予言者達が活躍していたものと 思われます。

 諸宗教の混合宗教として有名なマニ教異端の一派カタリ派への弾圧を通して 宗教裁判の正統性が確立した(11〜12世紀)という史実が興味深く思い起こさ れます。
 そしてヨーロッパにおける宗教裁判の中に魔女裁判が特異の位置を占めるこ とが理解せられます。そしてそのいわゆる魔女裁判で九割を魔女が占める ―  10%は魔男でした ― という女性優位(?)も理解せられます。

 福音書(共観福音書)の中のマリアはわが子イエスの仕事の意義も理解でき ず、おろおろと心配する、無知の女(イエスも母親に対し、冷淡なつっぱなした 態度で対しています)として描かれているのに、段々崇高な光をあてられはじ め、ことにヨーロッパ・ゲルマン諸族の中において聖母としての未曾有の位置を 獲得していった事情と表裏をなすのが魔女だったわけです。

 15世紀未、スペインの国家的組織の中に設けられた宗教裁判所長官はユダヤ 人、イスラム教徒迫害を任務とした(16世紀以降は新教徒迫害)ことでわかる ように、回教圏の三面包囲をうけたヨーロッパ・キリスト教社会は外に対して は回教徒の恐怖に対抗してキリスト教を守ると同時に、自己の内部粛清として ヨーロッパ内の異教・異端へのヒステリックな迫害、粛清裁判を幾世紀にもわ たってつづけ、内には純粋な、キリスト教権力への絶対服従に満たされ、外に 対しては戦闘的なキリスト教専制社会を形成し得たのです。

 つまりヨーロッパ内部ではもはや「キリストの神」以外の神々はすべて形式 的にも質的にも駆逐され、憎悪で焼かれてしまったのです(サンタクロースの ようにキリストへの忠実無害な従僕に変身転向した民族神のみがわずかに生き のびることを許されています)。






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474 「良心の自由」とは何か(7)
キリスト教単性社会
2006年4月15日(土)



 一般に宗教裁判とは異端審問という名目で行われたもの全てを指す。 すぐに思いつく事例にガリレオ・ガリレイ等の科学者に対する裁判がある。 聖書の説く世界観(天動説)と異なる研究成果(地動説)が糾問されてい る。ガリレオに対する第1回目の裁判は1616年であった。なお、ガリレオ 以前に、ジョルダノ・ブルーノ(イタリアの宗教家、哲学者)がその無限 宇宙論を異端とされ、1600年に火あぶりの刑に処せられている。
 また、カトリックとプロテスタントとの抗争(宗教改革)の過程で行われ た凄惨な異端審問がある。「魔女裁判」がキリスト教に先行する土着の宗教 に対する弾圧なのに対して、これはキリスト教の中での異端(分派)狩りと いうことになる。中でも1562年から始まったフランスでの宗教戦争では、15 72年にカトリック側がプロテスタント側のおよそ4000人を大量虐殺したという 事件(セント・バーソロミューの大虐殺)があった。この宗教戦争は1598年 のナントの勅令(アンリ四世)によって終結している。そのナントの勅令に次 の条項がある。

第6条
 余が臣民の間に騒乱、紛議のいかなる動機も残きぬため、余は改革派信 徒が、余に服する王国のすべての都市において、なんら審問・誅求・迫害され ることなく、生活し、居住することを認める。
 彼らは、事、宗教に関してその信仰に反する行為を強いられることなく、ま た本勅令の規定に従う限り、彼らの住まわんと欲する住居、居住地内において、 その信仰のゆえに追求せられることもない。

 「信仰の自由」の宣言であるが、あくまでもキリスト教内のことである。 「魔女」やキリスト教以外の自由には何も触れていない。「宗の自 由」ではなく「宗の自由」である。

 さて、「信仰の自由」の古典的典拠となっている「寛容についての 書簡」をロックが発表したのは1689年だった。大がかりな魔女狩りの最後の時 期(1660年〜1680年)が終わり、異教はすっかり狩りつくされていた。古田 さんは『異教が狩り尽くされ、異教的な臭気すら殺されたキリスト教』の神の みを唯一の神とする社会を『キリスト教単性社会』と呼んでいる。

 その書簡の中でロックは「信仰の基本事項に関する異端や公共の秩序を乱す もの」だから「許すべきではない」として「寛容の対象から除外すべきもの」 を4項目あげている。

l 国家に危害を加えるもの
2 他の宗教に対して不寛容なもの
3 外国の権力への服従を主張するもの
4 神の存在を否定するもの

 「1」でいう「国家」は「イギリス教会の首長たるイギリス国王にひきいられ る国家」である。
 「2」はピューリタン(プロテスタント)派の傾向への戒めであり、
 「3」は英国に圧力を加えつづけて来たローマ・カトリック教会への牽制である。
 「4」の「神」とは「キリスト教の神」である。ここで否定しているのは キリスト教以外の異教である。(もちろん無神論者をも含んでいよう。)

 つまりロックが言う「寛容」とは「イギリス教会の首長の支配下における各派の容認」 という意味である。ロックの「信仰の自由」はキリスト教単性社会内のそれであ り、やはり「宗の自由」ではなく「宗の自由」にすぎなかった。

 『異教・異端の徹底的粛清によって合一されたキリスト教単性社会』という暗黙の 前提は、1949年に制定されたドイツ連邦共和国基本法にまでも真直ぐに貫流していると、 古田さんは指摘している。

 および人間にたいする責任を自覚し、その国民的・国家的統一を維持し、か つ合一されたヨーロッパにおける同権の一員として、……ドイツ国民は、過渡 期について国家生活に新秩序をあたえるために、その憲法制定権力にもとづき、 このドイツ連邦共和国基本法を決定した。(前文の冒頭)

 日本などの非西欧世界では「諸宗教の自由」の明々白々の侵害でしかあり得な い、この表現が、ここでは 「信教の自由=神の中の宗派の自由」の明々白々の 根拠とされているのです。






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476 「良心の自由」とは何か(8)
欧米の憲法における「信仰の自由」
2006年4月17日(月)



 「自由について(1)(2)」(第138回-2005年12月30日〜第139回-12月31日) で私は、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」から欧米各国の宣言や憲法における 「自由」について条項を取り上げた。古田さんもそれを取り上げている。 それらを今回は「キリスト教単性社会」という視点で読むことになる。

 「ペンシルヴァニア州憲法」第9条、第3項
「すべての人間は、その良心のすすめに従って全能の神を崇拝する不滅の権利を 自然から受けとったのである。そして何びとといえども、その意に反して何らか の祭祀または勤行に従ったり、それらを創始したり、それらを支持したりするこ とを、法律によって強制されることはできない。人間的権威は、それがいかなる もの、いかなる場合でも、良心の問題に干渉したり、精神の力を支配してはなら ない。」

 ヴァージニア権利章典(1776年)、第16条
「宗教、あるいは創造主に対する礼拝およびその様式は、武力や暴力によって ではなく、ただ理性と信念によってのみ指示されうるものである。それ故、す べて人は良心の命ずるところにしたがって、自由に宗教を信仰する平等の権利 を有する。お互いに、他に対してはキリスト教的忍耐、愛情および慈悲をはた すことはすべての人の義務である。」

 合衆国憲法修正10ヵ条の修正第1条(1791年、現在も有効)
「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは宗教の自由な礼拝を禁止する法律 を制定してはならない。」

 (マルクスは)こういう北アメリカの自由諸州で「宗教の国家にたいする関 係は、その特質をもって純粋にあらわれることができる」と言い、「政治的解 放が十分におこなわれた国でさえも、宗教が存在しているばかりでなく、はつ らつとして力強く存在していることがわかる」としているのです(「ユダヤ人 問題によせて」)が、ここに「純粋にあらわれ」ているのは、マルクスが考え たように「信教の自由」そのものではなくして、実はあくまでキリスト教単性 国家内の信教の自由″に他ならないのです。

 さらに言えば、「信仰の自由」とはキリスト教内での「礼拝(の仕方)の自 由」に他ならない。

 こうしたキリスト教単性社会内の思考から一歩踏み出した、というより踏み出 さざるを得なかったのはフランスだった。

 「1946年第4共和国憲法」の前文
「フランスは、海外の人民と種族、宗教の差別なしに権利および義務の平等に 基礎を置く連合を形成する。

「1958年フランス共和国憲法」第2条
「フランスは、不可分の非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。
フランスは出生、人種または宗教の差別なくすべての市民に対し法律の前の 平等を保障する。
フランスはすべての信条を尊重する。」

しかしこの場合も『真の必要にして十分な信教の自由″』というわけでは なかった。

 ここでは「神の面前で」という、フランス代々の憲法、宣言のきまり文句は 消えて、代りに「非宗教的」という言葉があざやかに表われます。

 これはこの憲法がド・ゴール氏によって「共和国に結合する意思を表明する 海外領土に対し、その民主的進化を目的として案出され」た(前文)ことにも とづきます。つまり、フランスは「国内であるアルジェリア」にもっぱら回教 徒であるアルジェリア現住民を有しているという事情に他なりません。

 ですから、「非宗教的」となったのはド・ゴール氏の頭脳ではなく、フラ ンス固有の領土たるヨーロッパ内のフランスでもなく、もっぱらアルジェリア との関連において言われているのです。

 この場合、形式的には、多宗教間の信教の自由″が当然ゆきつくべき「非 宗教性」が定義されながら、実質は、地理的、人種的の相互不侵触性によって 従前と何等の変更を見ていない点が特徴的です。


 キリスト教単性社会にとって、もう一つの厄介な問題がある。

 1848年のフランス革命では「神を信ずる者も信じない者も」一致して闘った。 その革命後に成立した1848年憲法の前文には

「神の面前で、およびフランス人民の名において、国民議会は、つぎのように 声明する」

という文言がある。「神の面前で」という決まり文句に続いて置かれた「フラン ス人民の名において」には「神を信ずる者も信じない者も」とのニュアンスを 読み取れる。
 「キリスト教単性社会にとって、もう一つの厄介な問題がある。」とは「無神 論」の問題である。