トップへ戻る   目次へ戻る

281 日本のナショナリズム(32)
知識人のナショナリズム・大正期
2005年5月25日(水)



 「吉本論文」に戻る。

 吉本さんが描いた知識人のナショナリズムの変遷の図式を復習しておく。
 維新以後の資本制の急速な浸透により、大衆はそのナショナリズムの心情的な核を喪失していった。 それは政治的主題や社会的主題の喪失というように表れた。その喪失過程は、知識人のナショナリ ズムが、西洋からの輸入思想(デモクラシーやマルクス主義)をもまき込みながら、社会ファシズム をへて昭和10年代のウルトラ・ナショナリズムりへと過激な思惟を構築していった過程と対応してい る。おおよそこのようであった。

 さて、国権意識と民権意識とのわかちがたい混合から、資本制生産力「ナショナリズム」 (社会ファシズム)へと合流していった明治期の知識人ナショナリズムは大正期に入ってどのように 変貌して行ったか。
 大正期の知識人によってとらえられた「ナショナリズム」は、大衆「ナショナリズム」の主題の 喪失に対応している。そこでは抽象的世界主義にたいして、具象的民族主義が、不安や世紀病的悩 みに対しては生命主義が、観念にたいして体験が、神経にたいして筋肉が、理性にたいして本能が 対置される。

 このように述べて、第一次世界大戦期に書かれたという中沢臨川著「新文明の道程」 (私にはまったく未知の人であり、未知の書物) から次のような文を引用している。
 現代における民族主義の勃興は生命の自覚に芽ざしている。従ってその要求する愛はより 具体的でなければならない。郷土を離れ、家庭を離れ、国家を離れて何処に人道の花が咲くか。 生命は汝の隣人から始まる現実の愛を要求してやまない。われらは余りに理想や抽象を重んじ 過ぎた。本能の力に(かえ)らなければならない。われらは人道の 愛なる空漠たる観念の夢から覚めて、生命の伝統の肥えた土に立脚し、卑近な、しかし切実な 愛からだんだん大きな愛を体験せねばならぬ。要するところ、抽象的人道主義・消極的世界 主義の魔酔郷を離れて、経験の愛に生き、そして具象の人道主義を樹立せねはならぬ。

これは一見すると具体性を強調しているようにみえるが、思想の肉体主義への退化ともよぶべき もので、実は政治や社会にたいして喪失された主題を語っている、と吉本さんは指摘している。
 事実、大正期の知識人によってとらえられた「ナショナリズム」は、生命・本能・体験・具象・愛 というような次元でしか、現実社会との接触感をもつことができなかった。そして、この裏目には、 観念・理性・抽象などが当然想定せられたのである。また、大正期知識人の唱える「現代における 民族主義」は、その裏目に「社会主義者によって『世界労働組合』が結ばれた。彼らにとっては自国 の富豪よりも外国の同僚が親しいものであった。国と国と戦ってお互に干戈をとる羽目に陥るよりは、 同盟罷業のほうが彼らには意味があった。」(同)というインターナショナリズムが想定され ていた。こういう位相で存在している大正期知識人の「ナショナリズム」を、わたしたちは、 古典マルクス主義のインターナショナリズムと同義対照として理解するものである。いずれも、 全否定の媒体となりうるにすぎない。
 このような知識人のナショナリズムと知識人インターナショナリズムが、どうして「全否定の媒体」に すぎないのか。
 知識人の「ナショナリズム」は、大衆のナショナルな心情から孤立する。それは、ひとつの必然的 な経路ともいえる。しかし、この孤立に、ひとつの意味があるとすれば、知識人がその位置から大衆 の「ナショナリズム」を論理づけるという点にあるのではない。おなじように、知識人のインターナ ショナリズムは、大衆・労働者のインターナショナリズムから孤立する。ここでも、知識人がその位 相から大衆のインターナショナリズムを論理づけることにレーニンのいうような意味は存在しないの である。これは、対称的な場所から、おなじように大正期の知織人たちをとらえたひとつの錯誤で あった。それらは、両方の車輪のように大衆の「ナショナリズム」からも、その逆立ちした鏡で ある支配層の「ナショナリズム」からも外れたところで、夢を織るほかはなかった。そして、夢を 織りながら、共に、それ自体が社会の現実的な動向から乖離していったのである。
 「共に、それ自体が社会の現実的な動向から乖離していった」知識人のナショナリズムと 知識人インターナショナリズムは、それゆえに『大衆「ナショナリズム」の象徴としての 「天皇」』の大正期における役割を否定的にとらえることもできなかった。
 大正期の停滞しながら膨脹した資本制は、大衆「ナショナリズム」の象徴としての「天皇」を、 自己利潤の手段として用いた(天皇機関説)ろうが、「天皇主義」としてウルトラ化する 段階にもなかったし、その必要にもせまられてはいなかったと考えられる。ここでも、支配層に、 一種の主題の喪失があったはずである。そこにあった資本制の禁制(タブー)としての「天皇」は、 ただ社会的自然としての禁制(タブー)であって、ひとつの独立した思想としての天皇制ではなかった。 このような過渡性をとらえうるものは、知識人「ナショナリズム」でもなく、知識人インターナショナ リズムでもないことは明らかである。「天皇」が資本制にとって、社会的自然としての禁制(タブ ー)にすぎないことは、肯定的には美濃部達吉の天皇機関説によってとらえられたといえるが、 否定的にこの意味をとらえることは、知識人「ナショナリズム」によっても、知識人インターナ ショナリズムによっても不可能だったのである。美濃部の天皇機関説に、意義をみとめる見地は、 この意味ではまったく無価値なものというべきである。



トップへ戻る   目次へ戻る

282 日本のナショナリズム(33)
ウルトラ・ナショナリズム
2005年5月26日(木)



 昭和期の知識人にとって「満州事変」以後の帝国主義戦争という「事実」を追尾するためには 大衆が喪失した「ナショナリズム」の主題を思想化(ウルトラ化)することが必須の条件だった。 なぜなら現場で帝国主義戦争を担っていたのは大衆以外ではないのだから。そういう意味で昭和期の 知識人「ナショナリズム」の思想は、一見すると逆のようにみえても、やはり大衆「ナショナリズ ム」の主題の喪失を基盤とするものであった。
 その昭和期の知識人ナショナリズムの「もっとも傑出した思想化作業のひとつ」として、吉本さんは 橘樸(たちばなしらき)の「国体論序説」(「中央公論」昭和16年11月)を 取り上げている。
 橘においては、第一に「国体」の概念は、西欧の「デモクラシー」の概念とまったく同位的な意味を もつものとして「創造」される。すなわち、「国体はたんに一部の人々の情意的把握の対象となるばか りでなく、デモクラシーと同じく理知的に、すなわち歴史的・科学的に把握しうるものだということを 明らかにするのが、吾人の国体明徴工作の第一の目標である。」とされる。
 ところで、「国体」という概念は、おおむね神授説に根ざしてきたが、現在では科学的に「国体」の 発展法則をとらえ、そのうえにたって具体的な「国家改造」の方法がかんがえられねばならないとして、 橘があげている国体発展の三つの基本法則はつぎのようなものである。

一、
 民族組織の単純性(一君万民)を完成する傾向。この傾向を、仮りに超階級維持性の法則と名づけ よう。
二、
 全体と個体、すなわち統制と自由との調和の法則。ひとり日本または東洋ばかりでなく、西洋のデ モクラシーも常にかかる調和を求める強い傾向を持つのであるが、ただ西洋が、個人主義と社会主義とに 論なく、個体を基軸とするに対し、東洋は日本と大陸諸民族とを通じて全体を主調とするところに なお互に苟合(こうごう)することのできない間隙がある。
三、
 異民族との関係を規定するもので、仮りに民族協和、または通称にしたがって八紘一宇の法則と名 づけよう。西洋の対立を原則とするのに対し、東洋は融合を原則とする。満州建国の標語たる 「民族協和」は当事者の企図したところは全くこの原則の実現にあった。」

 このような橘の「国体発展の法則」と称するものが、天皇の地位を超越的にして、支配階級を除去する という結論と、一種のアジア協同体論にゆきつかざるをえないのは当然である。そして、この結論は、 当然、北一輝・大川周明らの農本主義ファシズムの結論と、軌を一つにするものとならざるをえな かった。
 このような「国体発展の法則」と称するものの裏面には、天皇制国家の大衆にたいする歴代の暴逆と 階級支配の法則が厳存し、「民族協和」の背後には、東京裁判によって暴露されたような阿片売買に よる大陸の大衆への圧制と、南京虐殺に象徴されるような無惨な現実が付着している。
 橘の思想にとっては、事、志と反したということになるかもしれないし、現実主義者にいわせれば、 理想と現実とはちがうというのが政治運動の実体だということになるだろう。しかし、わたしが、 とりあげたいのは「ナショナリズム」とインターナショナリズムの同位的対立、理想と現実のくいちがい、 「デモクラシー」と「国体」思想の同位的対立というようなものではない。
 じつに、橘に象徴される昭和の知識人「ナショナリズム」が、大衆の「ナショナリズム」を、 その鏡としての支配層の「ナショナリズム」(「国体」、天皇制)と直結しようとして、近代知識人 の存在自体の基盤である資本制支配そのものを排除しようとする指向をしめしたという点である。 橘が「国体」神授説を「国体」の科学的・理知的・歴史的な論理におきかえようとしたことは、 日本的「自然」信仰(、、)を、たんに日本的「自然」の 理念(、、)におきかえただけであり、橘のいうように「西洋社会が自然に できた社会であるのに対し、われらのものは意識的に計画的に作られた社会でなくてはならない。 作った社会はできた社会よりも一段高次の存在であるといえるだろうし、また東洋社会をかくのごとき ものとして創造することは、吾人の努力次第充分に可能であると思う。」 という意味はまったく もっていなかった。ここに橘の第一の躓きの石が存在した。かれは変革の理念と原理をもとめたのだが、 そこには連続性の理念しかなかったのである。

 橘がいかに「科学的・理知的・歴史的」であることを標榜しても、その思想は日本的「自然」 信仰(、、)以外のものではなかった。

 橘の思想は、『すでに主題を喪失した大衆の「ナショナリズム」を蘇生させようとして、それを その逆立ちした鏡である支配層の「ナショナリズム」(天皇制・国体主義)と直結し、両者の間から 資本制支配そのものを排除しようとするものであった。』この思想的な傾向とその現実運動を 「ウルトラ=ナショナリズム」と呼んでいる。近代日本の社会ファシズムと農本ファシズムは このような試みに近づこうとした知識人「ナショナリズム」の両輪であった。



トップへ戻る   目次へ戻る

283 日本のナショナリズム(34)
天皇制をめぐる二つの錯誤
2005年5月27日(金)



 コミンテルン (Comintern、Communist International) =第3インターナショナル。1913年3月レーニンの 指導のもとで設立。共産主義思想の普及、革命家の育成、ロシア革命の世界革命化などが目的。
ナチスに対して反ファシズム、人民戦線路線の立場をとり、第二次世界大戦中にはアメリカ、 イギリスとの協調のため1943年5月に解散した。

 1922年に日本共産党が承認された。(日本共産党はコミンテルン支部となる)
 当初、日本共産党では君主制廃止をめぐる内部意見の対立から綱領(テーゼ)は作成されなかった。 コミンテルンの作成した綱領(案)が活動の指針になった。

コミンテルン22年テーゼ 。1922年にブハーリンが起草した「日本共産党綱領草案」。
コミンテルン27年テーゼ 。関東大震災で打撃を受けた日本共産党は1926年に再建し、 1927年コミンテルンで採択された「日本問題に関する決議」が活動方針になった。
コミンテルン32年テーゼ。コミンテルンと片山潜、野坂参三、山本懸蔵らの討議を経て、 1932年に「日本の情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」が採択され、日本共産党の 新たな活動方針になった。

 吉本さんはコミンテルン27年テーゼと32年テーゼの天皇制についての部分を引用している。
27年テーゼ
 「天皇はただに厖大な土地を私有しているばかりではない。天皇はまた幾多の株式会社・企業連合 の実に多額の株を所有している。最後にまた天皇は、資本金一億円のかれ自身の銀行を持っている。」

32年テーゼ
 「1868年以後に日本に成立した絶対君主制は、それの政策には幾多の変化があったにもかかわらず、 絶対的権力を掌中にたもち、勤労階級に対する抑圧と専横支配とのための、その官僚機構を不断に完 成してきた。日本の天皇制は一方主としては地主なる寄生的、封建的階級に依拠し、他方にはまた急 速に富みつつある貪欲なブルジョアジーに依拠して、これらの階級の上部と極めて緊密な永続的ブロ ックを結び、かなりの柔軟性をもって両階級のえせ利益を代表しながら、同時にまたその独自の、相 対的に大いなる役割と、わずかに似而非立憲的形態で軽く覆われているに過ぎぬ、その絶対的性質を 保持している。自分らの権力と収入を貪欲に守護している天皇主義的官僚は、国内に最も反動的な警 察支配を維持し、なお残存するありとあらゆる野蛮なるものを、国の経済および政治生活において維 持せんがために、その全力をかたむけている。天皇制は国内の政治的反動と封建性の一切の残存物と の主柱である。天皇主義的国家機構は搾取階級の現存の独裁の警固な背骨をなしている。これを粉砕 することこそ、日本における革命的主要任務の第一のものと見なされねはならぬ。」

 吉本さんはこの二つのコミンテルンテーゼを比べて、  27年テーゼが大地主であり、それ自体大ブルジョアであることをのべているにすぎないのに対して、 32年テーゼは「大土地所有者と資本制を代表するそれ自体独自の権力としてとらえられている。こ こには法的な国家規定の要素が介入してくる。資本制における階級対立からつつき出され疎外された 幻想としての天皇制が、封建的な階級対立(地主と小作人)をも随伴しているというふうに理解され ている。」と言い、天皇制に対するこの理解は、「コミンターン的(スターリン主義的)天皇制理解」 としては頂点にたつものである、と評価している。
 しかしこの理解は、昭和の知識人「ナショナリズム」が「裏面から肯定的にとらえられた天皇制理解に 比べて、けっして優れたものとはいえない」と言う。
 たとえば、橘樸によってとらえられた天皇制は、それが資本制支配、封建的支配の残存物を象徴する だけでなく、アジア古代的な、アモルフな大衆の共同性をも、強大な要素で包括するものと考えられて いる。橘の理解がどのような負価を負うものとしても、マルクスのいわゆる地理的(孤島)、風土的 (モンスーン的)、農耕的環境の特性によって形成された日本の大衆「ナショナリズム」と、その逆 立ちした鏡である天皇制支配の古代共同遺制の存在を、よく認知したという点で、その理解は、32 テーゼにたいし一歩を先んずるものであったといいうる。

 コミンテルンテーゼが『天皇制の封建的要素の強大さに幻惑されて、当面の革命を社会主義革命へ の強行的転化の傾向を持つブルジョア民主革命と規定』したのに対して、『日本の知識人ウルトラ=ナ ショナリズムは「古代共同体遺制の強大さに幻惑されて、資本制打倒による大衆の古代的共同体 社会、アジア共同体社会の実現に、その「昭和維新」(革命)の目標』をおいた。現在の理論の水準で は、ここには二色の錯誤があったと、吉本さんは言う。

 国家の権力が、権力としての実体構造をもって、実存するゆえんは、コミンターン32テーゼのような 二分割をも、日本のウルトラ=ナショナリストによる復古共同体への還元をもゆるさないし、また資本 階級と労働階級との生産社会的対立への単純化をもゆるさないものである。古代アジア的といい、 封建的といい、独占資本的といい、それを国家権力の実体としてかんかえるかぎりは、たんにどの要素 が主要であるかを示すだけであって、その実体のなかには、原始共同体いらいの、すべての要素を包括 するものとして存在している。
 したがって政治革命の標的として考えられる国家権力は、これらのすべての包括的要素と、現存する 主要な要素(資本制)との交点に錯合する利害の共同性として想定すべきであって、この地点から、 知識人のコミンターン=インターナショナリズムとウルトラ=ナショナリズムによって現在まで提起 されてきた「革命」論争は、根抵から批判されねばならない運命にあるといえる。

 この吉本論文が書かれたのは1964年、もう半世紀も前のことである。その後、資本制の根底からの 変貌(吉本さんは「超資本主義」と呼んでいる。)とソ連邦の崩壊という国際関係の大変動にともない、 当然吉本さんの理論も大きく変わってきているに違いない。しかし、鵺のような天皇制の不気味さと それを無化することのの難しさは変わらない。「原始共同体いらいの、すべての要素を包括 するものとして存在している」ものの呪縛から日本の大衆が解放されるどんな道筋があるのだろうか。
 現在の段階でかんかえると、日本の知識人ウルトラ=ナショナリズムの美麗なスローガンの背後に、 醜悪な現実が付着していた、というリアリズム覚醒の形で訪れた敗戦体験は、ただ古典「ナショナリズ ム」(ウルトラ=ナショナリズム)と、古典インターナショナリズム(スターリニズム)を否定的媒体 とするための、前提をなすにすぎない。わたしたちが、戦後包括し、止揚しなければならない課題は、 未知なものをふくめて、これよりもはるかに広範にわたるはずである。



トップへ戻る   目次へ戻る

284 日本のナショナリズム(35)
戦後の大衆ナショナリズム:60年安保まで
2005年5月28日(土)



 他国に対しても自国に対しても破滅的な結果をもたらした「大東亜戦争」という無謀な国家意思に 収斂していった近代日本の大衆および知識人のナショナリズムを一通りたどってきた。

 ところで吉本論文と色川論文はともに「戦後ナショナリズムの問題点」という表題の章を最後において 論を閉じている。私のこのシリーズもそれを読んで終わりとしよう。
 吉本論文の方は主として戦後知識人のナショナリズムを扱っている。戦後知識 人といっても吉本論文が書かれたのは1964年だから、1950年代までの知識人ナショナリズムである。 一方、色川論文は主として戦後の大衆ナショナリズムをテーマにしている。色川論文の執筆は 1975年ごろと推定できる。従って1970年代前半までの大衆ナショナリズムということになる。 テーマが時代的に新しければ新しいほど、論文が書かれた当時は知られていなかった 事実や資料が多くなるだろう。そういう意味での時代的制約がお二人の論文にはあることだろう。 しかし現時点でもお二人から学ぶべき点は多々あると思う。
 戦後のナショナリズムについては昨年、小熊英二さんが「<民主>と<愛国>」という大著を 上梓している。1970までのナショナリズムに関する言説を研究したもので、それを参考にすべき かもしれない。しかし今までどおり、吉本論文と色川論文で戦後のナショナリズムたどることにする。

 色川論文は戦後1970年代までの大衆ナショナリズムを概観しているので、まずそれを 読むことにする。
 まず「戦前型ナショナリズム」の終焉を語っている。
 明治維新期に発生し、日露戦争中に成熟した大衆の「実感としてのナショナリズム」は、その後資 本主義の浸透と植民地支配を受容するにつれて、しだいにその主題と心情核を喪失し、やがて 大正・昭和期の「望郷としてのナショナリズム」に退行してゆく。しかし、日米戦争の勃発は 未曾有の「国難」をもたらし、ふたたびナショナリズムの「余情」は燃え立ち、ウルトラ・ナ ショナリズムを横行させた。

 再び燃え立ったナショナリズムの「余情」についてはこの章の冒頭で次のように書いている。
 太平洋戦争下の「農民兵士の手紙」などを検討してみると、くりかえし家族や農作業や故郷の 村(半ば擬制と化していた共同体)のことが書かれており、そこには昇華された望郷の念と伝統 への回帰の情が溢れている(その意味ではナショナリズムの心情核は復活しているようにみえる)。 だが、日露戦争の時代のそれとくらべるなら、頂点の天皇や国家にたいして感激をもって進んで 自分を同一化してゆこうとする積極的な情熱が欠けていることは否定できない。つまり、第二次 大戦下の兵士たちは概念化してしまった国家像との心情的なミゾを感じていた(この意味では頂点の天 皇・国体と、底辺の家郷共同体との直截な心情的対応は弱まっていた)。それだからこそ、 いっそう家郷への想いを強め、そこに救いを求めたのであろう。戦争末期に異常な熱狂状態にま で昂まったようにみえたナショナリズムも、支配層・中間層の積極分子や純真な少年たちの叫喚 的スローガンとは裏腹に、意外にひろい生活者大衆のエゴイズムや疎隔感によって浮き上らされ ていたのである。(その内情を見ないと歴史認識を誤る。)
 それにもかかわらず、社会的分裂の兆しを未然に防ぎ得たまま、とにかく敗戦の前日まで多数の 国民感情を動員しつづけたことは歴史上にも稀なるナショナリズムの威力を示したものであった。

 そのウルトラ・ナショナリズムも敗戦によってその思想的な基盤を失い、「戦前型ナショナリ ズム」は底辺に拡散し、1950〜60年代の急激な社会経済構造の変化の過程で消滅してく。
 戦後ナショナリズムは、2000日におよぶマッカーサー司令部の占領支配にもかかわらず、 反米独立のエネルギーとして広大な大衆の胸に燃え上ることはなかった。わずかにその一部が 朝鮮戦争下の反戦運動や1952(昭和27)年の血のメーデー事件に激発したにすぎなかった。
 当時、燎原の火のようにアジア・アフリカに燃えひろがっていた民族の解放と独立を求める ナショナリズムの力は、日本の革新勢力の期待に反して大衆を動かすことなく、むしろ静かな 平和擁護運動がビキニの水爆実験などを契機にして大衆的な共鳴を博したにすぎなかった。 つまり敗戦によって得た民主主義は、偉大な占領者″への親愛と畏敬とを抱かせこそすれ、 なんら対外的な国家意識と結びつくことを要しなかったのである。
 いっぽう支配層によるナショナリズムの反動的利用も、政策上の逆コースが喧伝されたわ りにはさしたる進展をみせず、大衆の心をとらえることに成功しなかった。1960(昭和35)年安保 問題での国民的な蹶起のなかには、なるほど反米的なナショナリズム感情の爆発も見られたけれど、 運動を主導したエネルギーはそれでなく、戦前からつづいてきた後進国型のナショナリズムは、 一応この60年安保のアメリカ大統領訪日阻止の大衆行動を最後に終ったのである。
 どういう点をさして「後進国型」というのか。その意によっては、1960年の安保闘争を 「主導したエネルギー」を「後進国型のナショナリズム」とする論には、たぶん異論があること と思う。この後の文で「後進国型」の意味が明かされると思う。
 とまれ色川さんは「1960年代に入って戦前型のそれと入れ代りに姿をあらわした現代ナショナ リズムは、故郷をも「観光」の対象として見るほどの乾いた大衆ナショナリズムに変貌していた。」 という認識を述べている。
 私は現代のナショナリズムを60年以前のものとは異質なものだとして捉える。(国家がつづくかぎ りナショナリズムは消滅しない。)1960年代に急展開した高度経済成長″は農村を根こそぎ変革し、 日本を成熟した産業社会″、いわゆる近代市民社会″としてつくりかえた。そこにおいて形成され た大衆の、社会に下向するナショナリズムも政治に上向するナショナリズムも、もはや戦前の後進国 型のものとはまるで違うものとなった。先進国型のナショナリズムとして形を成したのである。たと えば今日では北方領土問題で一部の者(その時代錯誤の代表たる旧右翼)がいかに煽動しようとも、 これに同調して動きだす大衆はいない。また日本の首相が東南アジアや韓国を訪問して、はげしい 反日デモにぶつかり、日章旗が焼かれ、車が壊され、大使館に乱入されたりしようと(しばしば日 本商社員が殺されても)、戦前のように屈辱″だ国辱″だと叫んで悲憤健慨するような熱い ハートの大衆の姿は見られない。そのような心理構造はもはや一部の古典左翼や青嵐会のような 愚物共の脳髄以外には見られなくなってしまったのである。

 ちなみに、イシハラは「青嵐会」という愚物の集まりのメンバーだった。「いかに煽動しようとも、 これに同調して動きだす大衆」がいない危機感がイシハラをハチャメチャな教育行政に駆っている と思われる。ただそのイシハラに投票した300万の人たちが今後イシハラの「煽動」にどう反応するか、 予断は許されない。
 また現在、中国の反日デモや北朝鮮の拉致問題に対する日本の大衆の反応にはやはり「熱い ハートの大衆の姿は見られない」と判断してよいだろうか。あるいはまた、戦前型 あるいは後進国型のナショナリズムとは違うものと判断してよいだろうか。



トップへ戻る   目次へ戻る

285 日本のナショナリズム(36)
戦後の大衆ナショナリズム:60年〜70年
2005年5月29日(日)



色川論文の続き。
 現代の大衆は「国家」を熱い想いで見ることなどはしない。1960年代に入っていっそう「国家」 と大衆との間は冷えきってしまった。「国家」と「市民生活」とは意識において完全に分離され、 大衆の関心事はもっぱら私的利害の領域(市民社会)にある。その私事から発し、私事を媒介としない 国家(公事)との関わりなど考えられなくなった。六〇年代の後半から各地に住民運動が起り、それが たちまち全国に蔓延しているが、それこそ大衆の政治″にたいする発想様式の転換の新しい質を示す ものである。ここでは最初から国事を発想の起点とし、主問題とするような既成政党などは相手にされ ない。あくまでも大衆自身の生活の場を基本とし、その市民社会におけるエゴ→地域エゴの主張と調整 から公事・国家に立ち向ってゆこうという情念が現代ナショナリズムの一つの核を形成しつつある。

 ここで色川さんが言うところの「後進国型」と「先進国型」という概念がよりはっきりとしてきた。
  「後進国型」とは「国家」と「市民社会」が未分化で、市民社会が国家に隷属しているような段階を 指している。それに対して「先進国型」とは、近代国民国家成立の歴史的・現実的前提である「近代的 市民社会」の確立された段階を指している。そこでは『「国家」と「市民生活」とは意識において完全 に分離され、大衆の関心事はもっぱら私的利害の領域(市民社会)にある。』
 この認識は「自由について」や「国家について」で取り上げた「国家」と「市民社会」との相互関係 ついての分析と通ずるものであろう。(特に「第93回・2004年11月15日」を参照)。 ただ現実問題としては、日本の大衆(市民)には「階級意識」が希薄である点でなお「後進国型」の 残滓を引きずっていると、私は考えている。
 これまで見てきたような戦前型−後進国型のナショナリズムは、戦後30年を経た今日、日本の国家 支配層にも大衆にもどちらにも存在しなくなった。かつて中江兆民が嘆いていたような対国家関係に おける日本人の過敏な神経症″や昂奮性や情緒の不安定性は日本社会のどこにもいちじるしく減退 してしまった。その代りに国際関係をも冷静に利害のそろばんで計量する市民社会的感覚が大衆のな かにも定着しつつあるのを見る。この根本をなしたのは日本独占資本が多国籍企業にまで成長して地 球上に普遍化されたばかりではなく、農山漁村のすべてをふくむ全国民生活のすみずみをまで支配し、 その大規模商品生産と消費の全循環過程の中に完全に包みきったところに由来している。とくに戦前 ナショナリズムの最大の培養基であった日本の農村が徹底的に収奪され、造りかえられ、大資本の直 接支配下に組みこまれたということは決定的であった。そしてその培養基が解体されたということは 一つのナショナリズム史の終焉をも意味したのである。
(中略)
 1970年代に入って(とくに劇的には1973年の石油ショックを境に)新しい意識情況が生れてきた。 大衆のナショナリズムのいっそうの「私」化・保守化である。それは戦後資本主義の高度化にとも なって1960年代に農村から大量に吸いあげられ企業体内の世界に定住した大衆の中から、あらたな 現代ナショナリズムが簇生してきたという情況である。
 それは一種の民族的エゴイズムとしての物欲主義と私的幸福追求のロマンチシズム (マイホームの夢や高福祉社会の幻想の形をとる)をメダルの裏表とした保身的危機意識として あらわれた。1973年秋まで、アラブの石油の超低廉価格での収奪の上にエネルギー革命や技術革新を 達成し、世界有数の高度生産性と賃金の急上昇を確保していた日本の独占資本主義は、その提灯もち たる未来学者どもに祝福されて長いあいだバラ色の「無限成長」の夢をむさぼっていた。その同じ 「揚げ底」の上にのっていた日本の基幹産業労働者たちは「経済大国」の分け前にあずかる中で、 企業内公害の告発に目をつぶり、ひたすら長期ローンによるマイホームの獲得や終身雇傭をたよりの長 期子弟教育計画、ゴルフ、別荘、外国旅行などレジャープランの充実した市民生活″を追求してい たのである。

 大衆の充実した市民生活″の追求をナショナリズムと呼ぶなら、さしずめ 「マイホーム・ナショナリズム」というところか。
 敗戦直後の私の記憶には、狭い借家に住まい、毎日の食料にもこと欠き、粗末な衣服しか身につけ られず、寒さや暑さをしのぐにも難儀していた時代がある。私にはゴルフも別荘も外国旅行も無縁な ものだが、私たち大衆が自前の家を持ったり充実した市民生活″を獲得できることはちっとも悪い ことではない。
 まず、資本主義の愉楽をしゃぶりつくせ、ということだ。
 資本主義が《商品》とそれに対する《欲望》そのものをも同時的に生産しつつ、《欲望》の充 足を達成したのに対し、《左翼》はそれを超える《世界》像を提示し得なかった。
 《左翼》の想像力は資本主義の発達のスピードに遅れをとったのだ。
 ならば、資本主義のあり方にその身を根底から洗われ、深く沈潜させないことには、どんな 《思想》もはじまりはしないはずだ。
      「164. 『「非国民」手帖』を読む(30)」より

 ただ現時点での充実した市民生活″の追求は、大衆間の分断という「揚げ底」の上 に成り立っていることに保留条件をつけなければならない。先に、『日本の大衆(市民)に は「階級意識」が希薄である』と書いたが、大衆支配の分断という支配者の施策に対しても 盲目に過ぎると思う。その社会的不平等の止揚がいまだ人類の最大の課題なのだ。
 日本の現代ナショナリズムの中軸的な培養基が企業世界での共同幻想だとすれば、その大衆 ナショナリズムの解体基は同じ企業世界の最底辺の民衆に存する。日本の大企業はほとんど末 端の現場労働を出稼ぎ労働者や下請けの零細業者に負わせている。そしてそれら幾百万人の労 働者は仕事の区切りごとに首を切られる無保障の流民型近代労働者であり、大企業労働者と違 って離職や移動や失業を恐れない。その近代流民自体が「経済大国」そのものの虚構を見破り、 同じ日本独占資本主義に抑圧され、犠牲にされている第三世界や「辺境」の人民への国境を こえた共感を抱きつつある。かれらがみずからその呪縛を解き放ち、その「揚げ底」を揚棄して ゆくたたかいと認識とが、基幹産業労働者を迷夢から覚醒させ、現代ナショナリズムを解体し、 人間同胞主義を展望させる一つの可能性となるであろう。

 色川さんがこれを書いた時より、現在はひどい状況になっている。
 JR西日本の事故をきっかけに明るみに出できた「研修」という名の労働者に対する奴隷的 服従の強制は、今いたる企業で常態化しているのではないか。大企業の労働者もこのような 状況におかれている。「日の丸・君が代」の強制に不服従を貫いている教員に対する見せし めのような「研修」も同じである。そして「流民型労働者」は増え続け、その待遇もさらに 悪化している。
 この民衆支配の関連構造への認識には前史があったことを、すでに読者は気づかれていたであろう。 総体としての民衆支配のメカニズムはこの100年、根本的には変えられずに継続している。この民衆 内部に深く喰いこんだ差別と抑圧と支配の物心両面の機構を徹底的に追いつめ破砕することなしに、 欺瞞的な共同幻想としてのナショナリズムを完全に揚棄することはできないのである。
 もとより私はやがてすべての国家が廃絶され、国境が一掃され、人類が一つの自治連合機構のもと で暮すようになる日の来ることを望んでいる。だが、現実の世界がそれと逆行している以上、せめて 人類社会の中での日本民族の個性(その長所と欠点の特質)を正しく理解して、その中にひそむ歴史 的創造力を発見し、それに誇りをもって人類に寄与できるナショナリズムであるならば認めてゆきたい。 こうしてナショナリズムはやがて一切の排外主義や政治行為から剥離され、一つの民族の土着的な 文化意識に昇華されることがのぞましい。だが、人類が自滅するまえにそのようなユートピアが来ると 信じられるだろうか。ナショナリズムはこれからもまた、野性的なエネルギーを秘めた統御困難な 歴史の遺物として人類の前途を永く圧迫しつづけるであろう。

 この色川さんの結語に賛同するかどうか、私は今はまだ保留しようと思う。この文の中には さらに解明しなければならないたくさんの問題が含まれている。



トップへ戻る   目次へ戻る

286 日本のナショナリズム(37)
戦後の知識人ナショナリズム:第一の系譜
2005年5月30日(月)



 吉本論文の「戦後ナショナリズムの問題点」を読む。
 吉本さんは戦後の知識人「ナショナリズム」の思想的な展開を、次の二つの系譜に分けて分析している。
 
 ひとつは、竹内好・丸山真男・久野収・鶴見俊輔・橋川文三・藤田省三などによって代表される もので、その特色は戦争体験と知識人インターナショナリズム、ウルトラ=ナショナリズムの転向体験 を検討しつつ、そこから戦後における思想的な王道を探るという方法意識に要約される。
 もうひとつは桑原武夫・加藤周一などの近代主義的な外国文学者による日本の近代文化の様相の検討をつうじての 「ナショナリズム」の方向づげである。

 第一の系譜の特徴を次のように述べている。
 その方法と展開とにそれぞれ固有性が存在するが、その根柢にあるものは、大衆「ナショナリズ ム」に、いかにして知識的方法から接近するか、大衆「ナショナリズム」は、いかにして、裏目に つねに醜悪なリアリズムが想定されるというような形ではなく、土着性としてとらえうるかという 問題意識につらぬかれている。その方法は、大なり小なりプラグマチズム的である。

 これは、色川さんの「ナショナリズムはやがて一切の排外主義や政治行為から剥離され、一つの民族の 土着的な文化意識に昇華されることがのぞましい。」という問題意識と同一である。
 吉本さんは代表としてあげた人たちの固有性を次のように分析している。
 鶴見俊輔:アメリカ=プラグマチズムの方法を、日本の大衆「ナショナリズム」の定着に試みる。

 竹内好 :中国・東南アジアにたいする戦争と、アメリカに対する戦争とを、太平洋戦争について 区別することによって、大衆「ナショナリズム」の土着化の課題に接近しようとしている。

 久野収・橋川文三・藤田省三:戦後マルクス主義が捨ててかえりみなかった近代日本の 「ナショナリズム」思想を深く再検討することによって、この課題に間接的に接近しようとする。その 志向を古典マルクス主義・リベラリズム・ナショナリズムの転向体験・戦争体験・天皇制問題の追及 を通じて貫徹している。

 このうち、「鶴見俊輔の方法」について詳論している。
 たとえば、このうちもっとも異邦的な鶴見俊輔の方法を「日本知識人のアメリカ像」を通じて考えて みよう。かれは、まず、日本知識人の「ナショナリズム」が生みだす虚像についてアメリカ観を軸にし て語る。戦争期に鬼畜米英論をかいた知識人は、戦後、日本共産党の排外民族主義路線に便乗して、

ことしこそ国の内外
カを合せ
われわれを戦争地獄に追い立てる
あぶらぎった白鬼どもを逆に
地獄にたたきこめ(「アカハタ」昭28・1・1赤木健介)

というような米国観を披瀝する。それらは、虚像として同一である。青年時代、大なり小なりアメリカ から影響をうけたり、アメリカへ留学したことのある知識人たちも、戦争・戦後にかけておなじような 虚像を披瀝していることを鶴見は指摘する。(この指摘は現在、日共および「新日本文学」的、あるい は構改派的進歩派にとっても妥当する。かれらの、ライシャワー文化攻勢という言葉は、ソ連・中国に たいするかれらの虚像を写す鏡である。)
 ところで、日本にも、米国にも、ソ連や中国にも虚像をもたないというリアリズム覚醒を敗戦体験と したわたしには、「虚像」を「虚像」で打つという進歩派にも保守派にもあまり関心がない。いずれ 虚像は死に、かれらが現実へひきおろされるとき、思想の土着化の課題が、かれらにやって来なけれ ばならないのだ。

 引用されている詩とは言えないような詩から透けて見える貧困な精神に接すると、自称進歩派知識人 への絶望感がつのる。戦中・戦前、国家に迎合して大衆を鼓舞扇動していた一連の詩となんと似ている ことか。
 吉本さんはそのような、あいもかわらず「虚像」をよりどころに空疎な言説を垂れ流している知識人 を辛らつに批判している。
 さて、「鶴見の指摘する方法が、わたしにある熟考をせまるのは、つぎのような点である。」と継いで、 吉本さん自身が大変重たい問題提起をしている。少し長いが省略しないで全文引用する。
 「この条件下で、(この文の前に徳田・志賀の「獄中十八年」からの引用があり、そこにはアメリカ 空軍の空襲のさいの拘禁所内の混乱ぶりが語られている。― 引用者註)天皇ならびに役人たちは 日本人であるという理由だけで友であるか?日本を攻撃するアメリカの飛行機は、敵であるか? 私は、 そうは思わない。この条件下で、獄中で日本の軍国主義とたたかっていた日本人は、日本の権力者に たいするよりも、アメリカ人と結びついていた。このような結びつきは当時可能であったごとく、 今後も、条件の変更によっては、日本人とアメリカ人とのあいだに起りうることなのだ。このことの 認識をぬきにして、虚像を建設することだけは、はっきりと排除したい。」
 この見解は、当然、ソ連や中共やアメリカが友であり、日本の大衆は敵であるということが、条件 次第では可能であるという認識をふくむものである。わたしは、ソ連や中共やアメリカにどんな虚像も もたないことを代償として、日本の大衆は敵であるということが条件次第では可能であるという認識に たいしては、鶴見の断定に反対したい。あるいは、あるはにかみ(ヽヽヽヽ) をもって、沈黙したい。インターナショナリズムにどんな虚像をももたないということを代償にして わたしならば日本の大衆を絶対に敵としないという思想方法を編みだすだろうし、編みだそうとして きた。井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、 井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りで あるかもしれぬ、おれは世界の現実を鶴見ほど知らぬのかも知れぬ、という疑念が萌さないではないが、 その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく 重く感ぜられる。生涯のうちに、じぶんの職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできないし、 離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというと ころに、大衆の「ナショナリズム」の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人より も重たく存在しているものとして思想化するに価する。ここに「自立」主義の基盤がある。
 スターリニズムの影響下にそだった戦後の若い知識層のうちには、一連のプラグマチズム系の 学者・思想家による大衆「ナショナリズム」と知識人のウルトラ=ナショナリズムにたいする 汎アジア的または、汎西欧的なインターナショナリズムからする検討の試みと方法の発掘を、 過小評価するものがいるのはたしかである。しかし、スターリニズムは、プラグマチズムほどにも 自己のスターリニズムの否定的な意義を検討しようと試みてはいない。それらは、 大体解体期にあるとはいえスターリニズム(コミンターン=インターナショナリズム)系統が、 世界の半分を現政治勢力として支配しているということに、何か意味があり、力があるかのように 錯覚し、安堵してそのような検討に手を触れようとしないというのが現状である。しかし、 スターリニズム系統の思想と政治勢力(フルシチョフ・毛沢東・トリアッティ主儀とその同伴の 進歩派)は、いかに平和共存や、資本主義との平和競争のうちに、未来の世界史の 動向を構想しようとしてもそれ自体が背理であり、かれらは、資本主義との核戦争以外に、 世界史の未来を支配することはありえないのである。わたしは、これらの虚像を、資本制に対する 虚像とおなじように否定する。それは、大衆「ナショナリズム」の土着化(裏目なしの地点への 下降とその思想化による上昇)の立場である。

 吉本さんはここで自らの思想的立場をはっきりと明言している。『生涯のうちに、じぶんの職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできないし、 離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというと ころに、大衆の「ナショナリズム」の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人より も重たく存在しているものとして思想化するに価する。』と、大衆の側によりそい、 「大衆」の生活思想を自らの思想に繰り込んでいく営為を自らに課している。そして、ソ連邦の崩壊という 事実を見てきた今、すべての「虚像」を「虚像」と見抜き否定することを根底において営まれてきた 吉本思想の慧眼を改めて評価したい。
 「第21回」(2004年9月4日)で引用した文が思い出される。
 わたしたちが認めうるのは、この世界には少数の支配と多数の被支配が現実を領しているということ だけである。この課題が「社会主義」国家同盟と「資本主義」国家同盟の対立、矛盾という概念に よっては救抜されないということだけはあきらかである。(吉本隆明「模写と鏡」 より)




トップへ戻る   目次へ戻る

287 日本のナショナリズム(38)
戦後の知識人ナショナリズム:第二の系譜
2005年5月31日(火)



 戦後の知識人ナショナリズムのもう一つの系譜、『桑原武夫・加藤周一などの近代主義的な外 国文学者による日本の近代文化の様相の検討』によるナショナリズムの方向づげだった。この系譜の 理論の基礎となっているのは、『戦後、日本の資本主義が、西欧なみの近代性を獲得し、近代 国家という概念が成立しうるようになった、という認識』だと、吉本さんは述べている。この戦後の 日本国家についての認識は、色川さんが「先進国型」と呼んでいた戦後日本についての認識と同じだと思う。
 さて、吉本さんは、加藤周一の「日本文化雑種」論はこうした認識をもとに成り立っているとして それを取り上げている。
 「西ヨーロッパで暮していたときには西ヨーロッパと日本とを比較し、日本的なものの内容を伝統的 な古い日本を中心として考える傾きがあった。ところが日本へかえってきてみて、日本的なものは他の アジアの諸国とのちがい、つまり日本の西洋化が深いところへ入っているという事実そのものにももと めなければならないと考えるようになった。ということは伝統的な日本から西洋化した日本へ注意が 移ってきたということでは決してない。そうではなくて日本の文化の特徴は、その二つの要素が深い ところで絡んでいて、どちらも抜き難いということそのこと自体にあるのではないかと考えはじめた ということである。つまり英仏の文化を純粋種の文化の典型であるとすれば、日本の文化は雑種の文化 の典型ではないかということだ。」

 ここから、加藤周一は文化の純粋日本化運動も、純粋西洋化運動も結局は、成就不可能であり、 この雑種性を、積極的な契機に転化してゆくより道はないと結論している。このような近代主義的な 西欧文学者・思想家の反省は、いかに位置づけられるものであるかは、わたしのいままでの論述から 明瞭であるとおもう。これらは近代日本の知識人「ナショナリズム」の抽出過程と、その裏目に リアリズムの認識として対立した日本(ヽヽ)知識人のインターナショナリ ズムに対して、日本の社会・文化の実体構造を、まず実体構造として前提としなければならぬ、という ことを主張しているのである。日本の国家(ネーション)を、資本制の社会構造として独自に存在し ている実体であることを認めるべきだとする論理である。このような見解は、戦争期の知識人のウル トラ=ナショナリズム(天皇主義)とウルトラ=インターナショナリズム(スターリン主義)の体験を 経て、もっとも近代主義的な西欧文学者・思想家の手によって唱えられたという意味で、戦後的なもの といえよう。
 ついで吉本さんはこの種の戦後知識人のナショナリズムを政策論として表現したものとして、上山春平の 「再び大東亜戦争の意義について」(「中央公論」昭和39年3月)の一節を挙げている。
 新しい国家体制にふさわしい新しい防衛体制の基本的特徴について、今、私の念頭にあるのは、 つぎのような諸点である。
(1) 国の政治的独立を維持するに必要な、徹底的に防禦的で、住民の分業的生活体系と密着した、 国土の外では機能しえない、非侵略的組織であること。
(2) 国の独立と安全をおびやかす人災ならびに天災に適時対応しうる体制をととのえることを 目標とし、仮想敵国は想定しないこと。
(3) 国民の総意が、生活時間の一部をさいて、何らかの仕方で参加できる権利と義務をもつこと。
(4)総ての国民が短期間ずつ参加しうる組織を維持し、改善するために、事務局ないし専門機関が必要となるが、 そのメンバーは一般公務員とし、一般国民にたいする助言者および奉仕者としての立場を明確にし、旧軍隊にお ける職業軍人の徴募市民にたいするような関係が再現しないようにすること。
(5)事務局ないし専門機関は内閣総理大臣の直属とするが、運営に当っては、超党派的な議会の防衛委員会(議員 外の専門委員をふくむ)の協議を経る等、党利党略に左右されぬよう最大の注意をはらうこと。
(6)国民は防衛義務の履行に当って、その体力・能力・志望等に応じて、技能をみがきながら、全国民的規模にお ける防災(人災ならびに天災の防禦)体制の維持に貢献しうるような多角的な機構と設備を国家に要求しうる権 利をもつこと。
(7)従来、分散的に処置されていた防災事項安全関係事項一般を総合的に研究する機関をもうけ、その総合的な対 応処置を重点的に実行すること。

  この論議は日本の資本制が近代的な意味での国家を形成するに至ったという現状認識と自己の戦争 体験の総体的肯定と部分的修正をもとにして成立している。吉本さんはこうした論議を『わたしは、 上山春平のこの到達点を、安田武の近代主義的な「戦争体験論」や、解体期スターリニズムとの融着 をすすめつつある井上光晴の文学表現とともに、戦争世代の面汚しであるとおもう。』と酷評して いる。
 いったい、この社会の現実は、上山春平の脳髄のなかで、どういうことになったのか? かつての 海軍士官は、こういう結論に到達するために、戦後知識人の思想史を歩んできたのか? ここには、 戦争世代が全力をあげて、生命をあげて粉砕すべき処方箋しかしめされてはいないのである。この 上山春平の見解は、ある意味で戦争期知識人のウルトラ=ナショナリズムからの後退であり、また、 ある意味で解体期スターリニズム(構改派)との合流をふくむ戦後知識人「ナショナリズム」の社 会ファシズム化である。
 吉本さんはこの種の論議が「実体構造論として決定的に欠いているのは何であろうか?」と問う。
 それは、ただひとつ、現在、大衆の「ナショナリズム」は、一種の「揚げ底」のうえで、戦後資本制の 高度化から思想的な現実の基盤を侵蝕され(農村の資本制化の進行)て、根拠と主題を失っているという 意味を、かれらが、まったくたずねようとしない点に存在する。
 戦後の大衆「ナショナリズム」は、ナショナリズムのウルトラ化もゆるされず、また「ナショナリズム」の社会 化もゆるされずに、その基盤である農村を戦後資本制によって収奪されているというところで、思想的な アパシー化をうけつつあるということができる。明治以後の大衆「ナショナリズム」は、「ナショナリ ズム」概念自体を喪失しているところに、現在、ナショナルな実体をおいている。
 この現状は、上山春平に象徴される近代主義知識人「ナショナリズム」による大衆「ナショナリズム」 の資本制国家への統合のイメージをもゆるさないし、解体期スターリニズム知識人(構改派)のイン ターナショナリズムによる大衆「ナショナリズム」の吸収をもゆるさないものとして世界史的な連関の なかで存在している。
 近代主義知識人たちは相変わらず「虚像」を軸に知的営為を重ねている。大衆が置かれている現況 あるいは社会の総体のビジョンをつかみ損ねたままでのこうした論議を、吉本さんは批判している。 そして、いかなる「虚像」をも否定する立場から、戦後知識人の一人として、自らの課題を次のよう に提示して、論を閉じている。
 この大衆「ナショナリズム」の現状は、いぜんとして、戦後日本の資本制とその影の部分に亡霊の ように存在している戦後天皇族の存在の在方に、逆立ちした鏡を見出している。のぞき見の興味と、 会社の重役にたいするような畏敬と、漠然たる自然感情による憧れと人気の象徴として、大衆ナショナ リズムはみずからの鏡を支配層に見出している。
 これらの大衆「ナショナリズム」の「揚げ底」化を、土着化にみちびく道は、政治的には、資本制 支配層そのものを追いつめ、つきおとす長い道と、思想的には、大衆「ナショナリズム」の「揚げ底」 を大衆自体の生活思想の深化(自立化)によって、大衆自体が、自己分離せしめるという方途以外には 存在しないのである。そのとき、戦後知識人「ナショナリズム」による国民的統合のイメージと、 戦後知識人のインターナショナリズム(スターリニズム・毛沢東主義・フルシチョフ主義・トリアッティ 主義)による擬似社会主義化のイメージは、共に根底から転倒され、止揚されるはずである。この考え は「自立」主義と他称されているが、それは名辞の問題ではなく、現実の問題に外ならぬのだ。 妥協のない歩みは、長く困難につづくとおもう。



トップへ戻る   目次へ戻る