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241 むかしむかし、こんなことを考えていた。(1)
夜間中学(1)
2005年4月13日(水)
夜間中学
一、 平均的教師
環境が人間によって変更されなければならず、
教育者みずからが教育されなければならない。
(マルクス「ドイツ・イデオロギー」)
教育という仕事に対する深い理解もなく、学校教育がはらんでいるラジカルな問題に対しても
まったく無知のまま、抱負らしい抱負を持たずに教師になったという点で、ぼくはデモシカ教師
として出発した。しかし、教えられる者から教える者へと立場を入れかえたとき、初めて見えて
きた教育現場の内実はデモシカ教師をも徹底的に滅入らせた。
落第や単位不認定の問題に対する教師たちの冷酷な言動、生活指導という名の生徒処分、いつ
も悪くてバカなのは生徒で教師のくだらなさは自覚されようもない。一人の生徒の一生にかかわる
ような問題を何の痛みもともなわず「よろしくご指導」してしまう。知識の仲介者にすぎぬくせに
いい気なものだと思った。すでに自己変革のエネルギーを失なって微温な日常に埋没し居直ってい
る教師たちより、悩み苦しみ苛立ちもがいて、なお生きるすべを得られない「問題児」たちの方が
人間として数等上であると思った。
教師になって間もなく、日本数学教育会の研究大会の下働きにかり出されたが、そこで見聞した
研究発表に対しても、教科書を焼直しているだけで研究だなんて大げさな、という感想を持った。
あんなつまらぬ研究をしなくとも教師はつとまるとうそぶいた。(最近民間の教育研究団体には研
究の名に値するすばらしい実践がたくさんあることを知った。今はそれらに多くを学んでいる。)
どうつくろっても教育はマイナーな仕事であると思えた。ぼくは数学の勉強を続けて、いずれささ
やかでも何かオリジナルな研究をすることを一生の仕事にしたいと考えた。
また、儀式の折に「君が代」や「日の丸」に心から敬虔の意を表している教師たちの滑稽さもさ
ることながら、日頃の言動とは裏腹に何の抵抗感もなくそうした場に立ち会い、しかも生徒にそれ
を強要すらするような教師たちの思想的無節操の方に一層の憤りを覚えた。内部をくぐらせること
によって苦闘して得た思想の片鱗すらなく、知識の量が多少多いだけでえらそうな顔をして生徒に
対しているのが気にくわなかった。
ではかく言うぼくはどうだったのか。軽蔑していた先輩教師たちと何ほどの違いもなかった。無
知故の思いあがりは必ずシッペガエシを受ける。誰に打たれるのか。むろん生徒にである。感覚的
・心情的にしか問題に関わり合えぬかぎり、現状をただ補完するだけである。例えば「問題児」に
心情的に組しても彼等にとってぼくは「同じ穴のムジナ」でしかない。
最初の補任校の校長に、酒の席で唐突にポツンと言われたことがある。
「君、学問と教育とは違うものだよ。」
校長が何を意図して言ったのかは知らないが、この何の変哲もない言葉が妙に耳に
こびりついていて今だにはっきりとおぼえているのは、その頃ようやくぼくの内部で教育に対する
認識がゆらぎ初めていたためだろう。
見え初めた諸問題はいまだ断片にすぎず、対象化、論理化できるほどには見えていない。ぼくは
苛立ち、さまざまのイエスとノーを相手かまわすぶっつけた。大きなノーがぼくの中で反響する。
ぼくはうちのめされる。
苛立ちは自らへの告発となって凝縮した。
「一体おれは何をしてきたのか。否、何をしてこなかったのか。」
何をしたか、より、何をしなかったか、という詰問がぼくをまいらせた。卒業生や生徒の
顔が、とりわけいわゆる「問題児」の顔が文字どうりねてもさめても脳裏に浮かんで病的に
苦しんだ時期があった。あの校長のことばがさまざまに変奏した。
「君、君の授業は教育とは違うよ。」
「君、君のクラス運営は教育とは違うよ。」
「君、君の生活指導は教育とは違うよ。」
「君、君の進路指導は教育とは違うよ。」
「君、君のクラブ指導は教育とは違うよ」
「君、君のやっていることはすべて教育とは違うよ。」
一体ぼくは何のために教師を続けているのか、何故続けられるのか。生徒のため?ウソつけ。
「君、君のやっていることは教育ではなく飼育だ!」
ぼくは何故このような長々とした私的繰り言から初めなければならなかったのか。
「教育の荒廃」ということが言われて久しいが、ぼくは何よりもまず、教師の「荒廃」を、ぼく
自身の「荒廃」を見定めたかった。恐らくぼくは最も平均的な教師の一人であろう。この「平均」の中
に「荒廃」の根が胚胎している。今ぼくが行なっている日々の営みは十年前とさしたる違いがなく、教
育現場の内実はますます悪化している。前述の自己告発は今なおぼく自身への告発である。
「おれは一体何をしていないのか。」
変ろうにも変われない状況を列挙して居直ることも、しようと思えばできる。しかしぼくにはそうし
た図太い神経がない。たてまえと優等生の論理が圧倒的な力を得て進行する職員会議で、失語状態
になり苦いものを呑みこむしかない自らの卑小さを思う。ぼくは自らを告発し続けることによるほか、
教師を続けることに堪えられない。絶えざる自己否定を通して徐々にでも望ましい営みを模索しつ
づけなければならない。
だが「望ましい」とは何か。それが感覚的心情的なものである限り、ぼくは相変わらず「同じ穴の
ムジナ」だろう。自己告発を倫理的な問題として済ますわけにはいかない。「教育の荒廃」の根源を
摘出しておく必要がある。常にその根源に意識的に関わり続けなければ、「望ましい」営みなどあり
得ない。「何をしていないか。」という詰問に対時する第一歩である。
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242 むかしむかし、こんなことを考えていた。(2)
夜間中学(2)
2005年4月14日(木)
二、なぜ夜間中学か
時はなにがしかの魔力で人間からその思想をひきはがし
固定する。その時はじめて人は一瞬の己が影に責任をも
たねばならなくなる。誰に向つて?
(谷川 雁「原点が存在する」)
「特殊学級に、息子をむかえに行く。息子たちに、一般の子供た
ちとの交流カリキュラムはないが、それでも、息子たちと同じ小学
校の児童たちはかれらに優しい。通学途中の私鉄経営の学園にかよ
う幼いエリートたちのみが、バスでいやがらせをすることがあった。
ウツルゾ、と騒ぐ。障害によって足弱な子供に、なお足ばらいをか
けたりもした。」 (大江健三郎「日記から」)
この障害のある子供への幼いエリ一トたちの仕打ちは、子供の単
なる悪ふざけではないし、特殊な事例でもない。ぼくは、社会全体
を律するほどにあまねくはびこっている「教育の荒廃」の原型を見
せられたように思う。
今日教育問題の要は高校であると言われている。高校への進学率
が約97%(東京都)と、ほとんど全入である今日、幼稚園以来
の選別、分断の積重ねによって傷つき発達を疎外されつくした子供
たちが選別、分断の完成の場として振り分けられてくるのが高校で
ある。高校が、国立、私立有名校−公立有名校−それ以外の公立普
通科校−私立普通科校−公立職業科校(専門科目によってさらに細
分される)−その他の私立校、というようにはっきりと序列つけら
れていることは周知のことである。この選別、分断によって「荒廃」
させられているのは「できない子」だけではない。あらゆるランク
の生徒が「荒廃」にさらされている。
「私は、高校生活を、こう送ろうと思う。まず受験の科目以外は、
テストの時以外、絶対に勉強しない。クラブも、生徒会も参加しな
い。H・Rの時は、絶対発言しない。指名されても『どうでもいい』
という。………どうでもいいから、三年間を無事に送って、希望の
大学へ行けたらそれでいい。(都立目黒高校生)」(白鳥元雄「十代との対話」)
この他者や集団への無関心・無責任・無気力は次のような恐ろし
いエゴイズムと五十歩百歩である。
「…‥ぼく個人のもつ教育の理想ですが、それは、ぼく以外の人
間が、ぼくより劣った環境で、ぼくより能力が高くならないように
教育されること、つまりぼくだけが甘い汁を吸えることが理想です。
(日比谷高校生)」(村田栄一「闇への越境」)
これが「足弱な子供に、なお足ばらいをかける」幼ないエリート
の成長した姿である。こうした例は枚挙にいとまない。決して例外
ではないのだ。高校入試制度(小尾構想)に対する高校生の反応を
まとめた記事で、「日比谷高校新聞」 (1966年9月1日付)は
次のように結論しているという。
「そこで提案する。普通科高校を減らせと。普通科が減ったぶん
だけ、職業高校や専門高校をつくる。大学へ行っても意味のない人
はそちらへまわすだけだ。」
これがエリート高校生たちの平均的感性である。中教審答申が出
されたのは1966年10月31日であるから、「日比谷高校新聞」
はそれより二ヵ月も前に、「荒廃」の根をさらに強化する「後期中
等教育の多様化プラン」を先取りしているわけである。やがてこの
ようなエリートたちが高級官吏、企業の首脳、政治の中枢をしめる。
そして今の自民党政府、財界と同様に彼等も自分自身の「荒廃」を
認める能力を持たないだろう。国家権力の保身のための「期待され
る人間像」のような徳目主義的、前近化的な道徳の注入がその教育
対策となろう。相変らず人民を支配ないしは管理・操作の対象とし
てしか見られない。先に引用した文章の続きで、大江健三郎氏も指
摘している。
「かれらには、身ぢかで特殊児童たちを理解する機会がない。か
れらには特殊児童への思いやり、すなわち弱い他人の立場になって
ものを考える想像力が育つことはむづかしい。受験競争をこえてか
れらが入って行く社会が、またおよそそのような想像力に欠けた者
たちのリ一ドする社会である。」
教育が社会機能の一つである以上当然のことであるが、教育はそ
の時代の社会体制、社会構造のくびきから自由ではあり得ない。教
育の問題とまともに向き合うとき、ぼくらは政治や社会体制の問題
からも目をそらすわけにはいかなくなる。

現在のこの国の教育体制はその社会体制と見事な穂どパラレルで
ある。粗雑にすぎることを承知でその構造を図式化すると、右の図
のようになる。
円柱は時代の情況が強いる本質的問題で、それは最下層から最上
層までまっすぐ縦に貫いている。切り抜かれた円錐体は各層におけ
る特権性であり、上層にいくほどその特権性によって本質的問題が
相殺され、問題の本質(各断面の斜線部分)は隠されている。例え
ば、最近「自由」とか「福祉」とかが自民党のキャンペーンになっ
ているが、「自由」とか「福祉」とかは円錐部分であり、それは底
辺にはとどかない。教師たちはBあたりであろうか。教師たちの多
くは「自由」のおこぼれにあずかって、現状に埋没する。
逆に「石油危機」のようなものは円柱であり、もろにいためつけ
られるのは最下層である。上の方はいたくもかゆくもない。儲ける
奴は普段より以上に儲けている。「石油危機」が作られた「危機」
と言われるゆえんである。現体制を擁護しながらの「自由」とか「
福祉」とかはまやかしである。
時代の情況が強いる本質的問題を、もっとも広い意味での「疎外」
と言いかえてみる。先の図は「疎外」と「特権性」との相関関係を
示すことになる。
「疎外は、私の生活手段が他人のものであるということにも、私
の欲求するものが私の手に入らない他人の占有物であるということ
にも、またあらゆる事物そのものがそれ自体とは別のものであると
いうことにも、また私の活動が他人のものであるということにも、
最後に ―そしてこれは資本家にもあてはまることだが― 一般に
非人間的な力が支配しているということにも現れる。」(マルクス
「経済学・哲学草稿」)
右の引用文で「生活手段」を「教育手段」と、「資本家」を「教師」
あるいは「エリート」といいかえて読むと、教育問題についてもす
べてが言いつくされていると思える。
先の図においてAが国立・有名私立高校あるいは東大である。問
題の本質が最も鮮明に見えるあらゆる疎外の集中する極・C。それ
をぼくは原点と呼ぶ。現教育体制で原点Cは夜間中学であろうか。自
らの立つ場を掘り下げれば問題の所在にいきあたるはずであるが、
夜間中学の実態を見ることによって問題の本質をより鮮明にしてみ
たい。
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243 むかしむかし、こんなことを考えていた。(3)
夜間中学(3)
2005年4月15日(金)
三、夜間中学
特権性を拒むかどうかは、個人にとってはたかだか自己
倫理の問題にすぎないが、特権性にたいして自覚的であ
るか否かは、感性的な変革の政治的課題でありえる。
(吉本隆明「情況」)
恥ずかしいことだが、ぼくが夜間中学の存在を知ったのは教師に
なって八年目わずか四年前のことである。たいへんな衝激だった。
夜間中学の存在が衝激とは、思えばうかつな話しである。
ぼくは三十近くになるまで、政治・経済・社会の問題についてほ
とんど無関心であった。自然成長的に身につけた程度の認識しか持
っていなかった。敗戦後二十年ほどのぼくの家庭はたいへん貧乏で
ぼくはあの頃のぼくの家庭ほど貧しい家庭はないと思っていた。そ
んな中でかなり恵まれた教育階梯をはせのぼってきたのは、兄や姉
たちのおかげであるが、それ以上の内省はなく、しごく当り前のこ
とのように見過してきた。だから、どんな家庭の子でも義務教育は
必らず受けているはずだと思っていた。その義務教育を受けられな
い子がいるという事実がまず衝激的だった。さらにそうした子に普
通の子と同じように義務教育を受けられる充分な手だてをせずに、
夜間中学を思いつく教育行政の無体さを改めて知って、今さらなが
ら怒りを覚えた。
「義務教育」というときの「義務」とは子どもが負うべきもので
はなく、子どもにはただ教育を受ける「権利」があるばかりだ。子
どもの側からは「権利教育」というのが正しい。小学校を終えたば
かりの子どもが暖い団欒を望み得べくもない環境のもとで、苛酷な
労働に従事しながら夜間中学に通っている。経済大国という虚像の
裏側で最小限の権利さえ蹂躙されている人がたくさんいる。
今ぼくが勤めている高校には地域の中学校卒業生のほとんど全員
が入学している。中には漢字の読み書きが小学校二、三年程度だっ
たり、くり上り、くり下りのある加減のできないような生徒もいる。
夜間中学の存在は四年前に朝日新聞にのった中岡哲郎氏の文章によ
って初めて知ったのだが、今それを読み返してみると、一層のリア
リティがあり多くの刺激と示唆を受ける。
中岡氏はまずある夜間中学の国語の教師の実践を紹介している。
漢字は勿論、ひらがなもろくに読めない生徒に一時間に五つという
目標をきめて新しい漢字を教える。時間の終りに生徒に漢字カード
を作らせる。生徒は職場で作業の合間や昼休みにそれをくりながら、
次の時間までにその五つの漢字を頭にたたきこもうとする。一年間
で五百以上、二年かければ当用漢字は全部覚えられるはずだと、そ
の教師は言う。「途方もなく気の長いその作業をとおして、彼はし
かし、生徒の中に少しずつ確実に自信を育てていった。彼のクラス
のダイナミズムの中に組みこんでいった。」と中岡氏は報告している。
ぼくが現在の高校に転勤して二年になる。この二年間、小中学を
ほとんど空白として過したと言っても過言ではないような生徒と初
めてぶつかって、ただ暗中模索するばかりであった。ぼくは彼等の
中にどれほどの自信を育て得ただろうか。彼等をクラスのダイナミ
ズムの中に組むことができただろうか。赤面するばかりである。日
日ただ徒労感ばかりが残る。「このような根気よい努力をとおして、
一体何ほどのことが教えられるか。何ほども教えられはしない。」
だがあの国語の教師は言う。「彼等が生きてゆくために最小限ぎ
りぎり必要なことが教えられれば成功であり満足だ。」と。この言
葉は重い。ぼくは目からウロコが落ちる思いがした。過去十年間、
ぼくは高校教師として「よりよい生活のための最大限」を求め、あ
るいは求められる教育の場しか知らなかった。そこで身につけた学
校に対する認識がなかなか払拭しきれなかった。「僕たちのまわり
ですべての親と教師たちが熱中している『よりよい生活のための最
大限』とでも言うべき教育の全体系を、その彼の言葉が告発してい
る。」
続けて中岡氏は、「よりよい生活のための最大限」の追求の下に足
げにされてうめいているのは「人間として最小限」である、という。
足げにされ続けてきた「人間として最小限」はぼくの高校でさらに
足げにされる。大多数の教師や親や生徒はことあるごとに言う。
できない者のためできる者が犠牲になる、できない者自身が苦しむ
だけで本人にとってもマイナスであると。こうした優等生論理が臆
面もなくまかり通る中で、「低学力」の生徒たちは「学業不振」そ
れ故の「度重なる問題行動」を理由に退学させられていく。こうし
た状況を打破できない自分の実践や力量の弱さに滅入ってしまう。
教育とは何か、と改めて自らに問う。指導要領をなぞる教育観か
らは決して見えてこない視座がある。中岡氏は先の夜間中学生の履
歴を紹介して言う。「『生きてゆくための最小限』の教育は何より
もまず子どもの背後にあるものとの格闘である。」「読めない漢字を
とおして、教師はそのすべて(子どもの全生活史……仁平)と向き
あうのだ。そのすべてとたたかうことが、彼にとって教育である。」
この視座に立てば、文部省が決めた「学力」を基準に「できる子」
「できない子」と振り分ける教育の犯罪性は明らかだ。
だがこの視座はおそらく通りが悪い。この視座を肯んじない主要
な論理を二つ考えることができる。
一つは自称進歩派教師たちの考えである。勤評闘争の敗退期に論
争された問題で、教師は「教室で勝負」すればよいとする。子ども
たちの内部に好ましい資質・傾向をつくりあげれば、やがてその子
どもたちが政治や経済にはたらきかけ社会の進歩に寄与すると言う。
つまり教育をまっとうすることによって政治を超えるというわけで
ある。この論理を俗に「二十坪の論理」という。なんというオポチ
ュニズム!足げにされている「最小限」への目くばりがすっぽり落
ちている。
これに対して中岡氏は「二十坪」の外を切り離してはまともな教
育はあり得ないと主張している。勿論ぼくは中岡氏に共鳴する。「
二十坪」の外との対決を孕んだ緊張関係を欠落さすとき、教育は政
治を切り離した一つのイデオロギーとしての機能を現実的に果すほ
かない。現状を補完するだけである。
二つは現体制に埋没している教師たちの論理である。「最大限」
の教育が「最小限」を足げにすることによって成り立っているとい
うことそのものを肯んじない。この国ではすべての国民がその能力
と勤勉さに応じて、より豊かで文化的な生活を保障されており、貧
困であったり文化の享受と無縁なのは当人の資質的欠陥や怠惰な生
活態度の当然の結果であるという。この論理はこの国が民主的な自
由国家であるということを先験的に前提とすることで成り立ってい
る。
はたしてそうであろうか。現在のこの国の体制は貧困が貧困を生
み、無教育がさらに無教育を強いられる仕組になっている。「低学
力」の生徒たちの全生活史がそのことを雄弁にものがたっている。
1961年の日教組教研大会で二十才の夜間中学生古江美江子さ
んが行なった鋭く正当な告発がある。「生活に追われ、四才頃から
子守り、コンブ拾い、農家、パチンコ屋、飯場の飯炊き、バーのホ
ステスなど手取り早く金になり、学歴を必要としない仕事だから学
について考えた事がなかった。学とはなんだろう? ― 空、山、川
など簡単な字以外は新聞も読めないし、九九もわからない。足し算
引き算の計算は、指や足でやればできるが、34+12=式になる
と、前からやるのか後からやるのか全然見当がつかなかった。時計
の見方や電話の掛け方など日常生活に必要な知識がなんにもわから
ず毎日苦しんだ。こんな私でも九年間の義務教育を受けたことにな
っているのです。」
古部さんは夜間中学ではなく普通の中学校を卒業したことになっ
ている。
「臭い、バカ、貧乏たかれ ― などとののしられながら、学校に
行きたくとも行けず、夢中に働き必死に生きてきた。
今ようやく ― 勉強したい ― と思ったら法律が目の前に立ちふさがり私の道をじ
ゃまする。」
古部さんは義務教育を終えたことになっていたので夜間中学への
入学の資格がなかった。古部さんは一人でがんばって、とうとう夜
間中学入学を果す。
今、夜間中学は古部さんのような人たちが勉強
をするための大事な場となって、新たな存在意義を持っている。こ
の夜間中学を教育行政は、今度は、夜間中学誕生当初の存在理由は
なくなったとしてつぶしにかかっているという。
「学とはなんだろう?」という古部さんの問いかけは無視できな
い。ぼくの問題で言えば「高校とは何だろう?」「高校の水準」を
守るという観点に一体どれほどの正当性と意味があるのだろうか。
ぼくの高校の「古部さん」を切り捨てることによって維持する「高
校の水準」とは何だろう。
古部さんは全員が何らかの疾病に苦しみながらもがくように生き
ている家族を紹介し、次のように続ける。「私自身も小さい頃の肺
炎がもとで両耳があまり聞こえない ― 我が家には健康で満足なの
は一人もいない!もし、お金があったら、病院に行っていたら、学
校に行っていたらこんなことにならなかったのだ!私や私の家族を
こんなめにしたヤツを殺してやりたい!私たちが何をしたと言うの
だ。われわれ形式卒業者を作ったヤツは責任をとれ!(中略)そし
て、私のようなかけ算の九九も時計の見方もわからないような形式
卒業者をこれ以上一人もつくらないでほしい!そのために私や私の
家族が食うものも食わないで働いた税金をつかうべきだ!」
古部さんがこう告発してから十年以上たった。今なお形式卒業者
はあとをたたない。そして、教科書=文部省の手本を金科玉条のご
とく忠実になぞることで、自らが「できない生徒」を作っているこ
とに思いも及ばない教師にかぎって、「きびしく落第させろ!」と
臆面もない。古部さんに、ぼくら高校教師もうたれている。いや現
教育体制総体がうたれている。
四、おわりに
未整理のまま書きついできて、冗長さと欠落ばかりが目立つが、
問題点の摘出と自らの間題意識のあり所の整理はある程度なし得た
と思う。そして、今、自分の生存の拠り所の一つである教育の総体
の絶望的状況と自らの実践の卑小さを改めて自覚して、苛立ちと羞
恥で胸がつまる。このいささか大げさな言辞は、しかし決して単な
るレトリックではない。日々思う。どのつらさげて生徒の前に立と
うか。このつらさげて立つことに堪えるほかない。自らの欠落は自
らの生きざまを通して徐々にうめていくほかはない。自己教育の契
機を失なったとき、ぼくは教師をやめるだろう。
(1973年12月)
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244 むかしむかし、こんなことを考えていた。(4)
なぜ教師か(1)
2005年4月16日(土)
なぜ教師か
一
ぼくは自分の醜悪な顔にふと気づいて、深い自己嫌悪に陥り滅入ってしまうことが度々ある。
教師は教師ヅラをしているとき最も醜悪である。その醜悪さは自らの教師ヅラに無自覚である
ことによる。
無自覚な教師ヅラを一皮むくと、どんな人間ヅラが現れるだろうか。おそらくその無自覚さに
相応の貧相な人間ヅラが現れるだけだろう。
教師にとって本質的な問題は自分自身である。
二
教師は聖職者である、いや労働者だ、いや専門職というべきだ、いやいや労働者であるとともに
聖職者でもある、などなどどうでもよい論議が政治状況の結節点で繰り返し繰り返し現れ、あたか
もそれが本質的問題であるかのように流通していく素地は、僕らの無自覚な教師ヅラがつくってい
る。なんとも教師をばかにした論議だが、現在教師はこのくらいバカにされるにふさわしい。
右からであろうと左からであろうと、あらゆる政治党派のご託宣はいらない。僕らの唯一の本質
的課題は、不可避的に強いられるものであろうと、自ら好んで身につけたものであろうと、自らの
教師ヅラを対象化し(自己省察)、実践においても理論においてもそれを止揚して人間ヅラを豊か
にし(自己教育)、教育現場を人間ヅラを押し通せる場にしていく(自己決定)ことである。
自己省察力、自己教育能力、自己決定能力。教育の目的はこれら三つの力を生徒が自らのものに
していくことにつきると、ぼくは考える。現在、教育の不幸は誰よりも僕ら教師自身がそれらの能
力に乏しく、教師ヅラが教師の血肉化していくところにある。
教師ヅラが血肉化した教師はやがて、定められた労働時間以上の仕事はごめんだとか、この低賃
金では割りにあわないとか、休暇を全部消化しなければ損だとかの理念皆無の現実論や、教師は労
働者であるとか、専門職であるとか、聖職者であるとかのイデオロギー至上のタテマエ論やの、と
もに自己疎外を増幅するばかりの次元に低迷して生きて臆面もない。
三
教師ヅラとは<教える者ー教えられる者>という構図の中になんの疑いも持たすに安住している
おめでたくも安直な精神のことである。この精神の中では俗説が得意然とまかり通る。
<教える者ー教えられる者>という構図を突出したところに生き生きとした人間ヅラが現れるだ
ろう。自らの中に巣くう俗説を検討することが人間ヅラを豊かにする第一歩である。少しでもうさ
んくさい俗説をひっくり返してみることが、どうやら<考える>ということの秘訣のようだ。
日常の生活実感を逆なでするような俗説や、何らかの圧力をともなう俗説はいかがわしいと思って
まず間違いない。
例えば、「勉強とは本来苦痛をともなうものであり、生徒は勉強を好まない。どうしてもアメとム
チが必要である。」「なんてできないヤツラだろう。もともと能力がないんだ。」という類の俗説を
ひっくり返して考えてみる。
「勉強とは本来楽しいものであり、生徒は勉強が好きである。なのに彼らが意欲をみせないし、効
果も上がらないのはどうしたことだろう。オレの授業がダメなんだ。点数をつけない、進級や卒業に
も無関係という場合でも、生徒がのってくる楽しくよく分かる授業をやる力量が今のオレにはない。」
どうやらこの方が真実である。
四
俗説は<決まり文句>となって日常化し、僕らを内部からむしばむ。教師の使う決まり文句は教師
ズラを写す鏡である。
どこの学校の教育目標にも、教育の目的は国家社会のために役に立つ有能な人材を育成することに
あるというような一節が、必ずといってよいほどかかげられている。ぼくにとってはこれは日常の生
活実感を逆なでする俗説である。しかも相当の圧力をともなっている。
このような教育の目的になんの疑念も持たない人は勿論のこと、そうでない人も「国家」をとって
「社会のため」とか「全体のため」といったあいまいな、決まり文句をよく使う。使わないまでもそ
の決まり文句には弱い。これらの決まり文句に写っている顔は一見人間ヅラのようであるが、ぼくに
は醜悪な教師ヅラに見える。
決まり文句の多くは、ホンネというアンコをタテマエという厚い皮で包んだ安物のマンジュウみた
いなもので、ダメである。考えるとは言葉で考えることだから、決まり文句の使用は思考の停止であ
る。教師のやる教育論議や会議の多くが不毛でつまらないのは、それが決まり文句を軸にして展開す
ることによる。皮の部分をなでまわして、マンジュウの品定めに始終しがちとなる。アンコの部分の
毒性や人畜無害性(どうでもよいということ)に気づかぬまま、マンジュウを食いつづける結果が人
間ズラの矮小化あるいは崩壊である。
先の<決まり文句>=<社会のため><全体のため>について念のため書き添えると、そうした観
点が全く無用であると主張するつもりは勿論ない。ただその決まり文句を安直に受け入れることによ
って起こる価値基準の転倒を問題にしたいのだ。教育は<数>の問題ではなく、すぐれて<個>の問
題だと、ぼくは考える。
さらにその決まり文句を安直に受け入れてしまう精神構造のことも念頭においている。この問題は、
深く追い詰めれば、ぼくらが日常の生活過程において身につけてしまった、あるいは身につけさせられて
しまった健康な秩序感覚・内なる国家意識の問題になるだろう。<内なる国家意識>については稿を
改めて考えたい。
五
あまりに見え透いた決まり文句が臆面もなくまかり通る場では、ぼくは絶句してしまう。決まり文句
常用者への反論は無駄だなあという徒労感のため苦しい沈黙を強いられる。その徒労感を克服し得て
も、えぐり出すべきアンコの毒性が強ければ強いほど、反論の結果起こると予想される「場」の変容
あるいは破壊の大きさにみずから恐れてしまって、やっと口にできるのは言うべきことの三分の一ぐ
らいだろうか。僕らは言葉にしたより以上の沈黙を抱えこみながら生きる。
僕が真実を口にするとほとんど
全世界を凍らせるだろうという
妄想によって僕は廃人であるそ
うだ(吉本隆明「廃人の歌」)
タテマエが他者に与える負荷の大きさに思いいたると、決まり文句の使用は一種の言葉の暴力で
ある。ホンネは他人に言わせるべきではなく、本人が言うべきである。
六
「社会のため」とか[全体のため」とかの決まり文句を、ぼくはとうに願い下げにしてきたが、
「生徒のため」という決まり文句にはかなり執着していた。ただし、この決まり文句を口にする
とき、抽象的な生徒一般ではなく、該当の個々の生徒の顔が浮かび上がってくる限りにおいてである。
七
「生徒のため」という決まり文句は黄門様の印篭ほどもの威力を持つようだ。考えの相反するもの
同士が「生徒のため」を掲げて譲らず、議論は「生徒のため」をめぐって空転し、生徒のためには不
毛に終わる。よくあることだ。
あるとき、互いに譲らない一人がぼくであった。相手のM教頭は、ぼくの「生徒のため」に対して、
『「生徒のため」をかくれみのにしている』と口走った。「生徒のため」はタテマエで、本当は手を
抜いて楽をしようとしているとか、生徒に迎合してものわかりいい教師ぶりたがっているとか、おそ
らくそんな意味のことを言いたかったのだろう。こういうくだらぬ言いがかりは黙殺するだけだが、
このときそうした相手の思惑をはるかに超えたところで、僕は自分の醜悪な教師ヅラをみた。「生徒
のため」という決まり文句に付着している本質的な欺瞞を明瞭に悟った。
誤解を恐れずに言えば、僕らの教育の営みは「生徒のため」である前に「自分のため」のものである。
「自分のため」とはどういうことか。
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245 むかしむかし、こんなことを考えていた。(5)
なぜ教師か(1)
2005年4月17日(日)
八
差別と選別の教育体制のもとで、いためつけられ、黙殺されてきた生徒たち ― その生徒たち
をほんとうにできるようにする。一人前の人間に育てあげていく。そのことと、私たちの生活や
権利を守ること ― 首切り合理化阻止のたたかいとは、深く結びあわされていたのだった。
つまり、この職を離れてどこにもいくところはない。私たちの生活の基礎はこの職場をおいてほか
にない。だとするならば、この生徒たちをまともに引き受け、まともに育ててゆく、それ以外に私たち
の生きる道はないのではないか ― これが私たちの、いつわりのない裸のままの姿であった。
(正則学院教職員組合編「高校生活 ー青春をきずく生徒と教師たち」)
つねに首切りの問題に立ち会わされている正則学院の教師たちのこの問題意識は、僕ら都立高校の
教師には欠落しがちである。都立高校の教師にはクビになる心配はほとんどない。もう少し正確に言
えば、意識的であろうとなかろうと、積極的に国家権力の代弁者代行者の役回りを担うか、積極的で
はなくとも従順にその役回りから逸脱しないか、あるいは常識的に適当にやり過ごしている(これは
これで充分に体制擁護者である。)限り、絶対にクビにならない。ぼくは最後の部類だろうか。まず
はご同慶のいたりというべきか。
さて、正則学院の教師たちが優れた実践を担い通せたのは、彼らの教育活動が何よりもまず、自分
のためのものだったからにほかならない。彼らには理念皆無の現実論も、イデオロギー至上のタテマ
エ論も無縁である。<教えるものー教えられるもの>という構図を突出して、彼らは生き生きとした
人間ヅラをしている。
九
「社会」であれ「生徒」であれ、教師であることの根拠を「自分」以外のところに置く限り、僕ら
の実践は中途半端なツジツマを合わせるだけのものに終わってしまうことを痛感する。ぼくは、今ま
で放置しておき、意識化・論理化できていなかった「自分のため」という根拠を掘り下げてみなけれ
ばならない。
「自分のため」というもの言いには<自己の人格完成>というような倫理的な響きもあるが、ぼく
の言う「自分のため」は、勿論のこと、そのような意味合いは含まない。
また、先の正則学院の教師たちの手記からの引用文では、「自分のため」は単なる<なりわいのた
め>のように誤解される恐れがあるが、ただそれだけではない。<なりわい>はあらゆる活動の基盤
だから、言うまでもなく大事である。しかし単なるなりわいのための実践がぼくらを強く打つはずが
ない。
問題を問い直せば、「自分のため」のうちの<なりわい>以外の何が実践を優れたものになし得る
のか、なぜそれは普遍的な価値や意味を持ってぼくらを打つのか。
十
ぼくは6月問題の後も、尼崎工高を訪ねた。前川さんや福地さん(仁平注:ともに尼崎工高の教師)
から当時の模様を聞き、生徒たちも偉かったが、それを真正面から受けてたった教師集団も大したもの
だと思った。ある生徒は「わしが、そこらのパチンコ屋で時間を過ごすよりも、ここに居てよかったと
思うような充実した授業をしてみい」と教師に迫ったという。こうして教師たちは鍛えられ、成長して
いった。中には、この厳しさに耐えられず、ノイローゼになり転勤したり、退職したりした教師も居た
そうである。
僕は一種羨望の念を抱きながら、前川さんたちの話を聞いていた。無論僕がこうした状況に耐えられ
る力を持った教師であるという自信はない。もしかするとノイローゼになる方かも知れない。しかし、
教師などという大それた職業を選んだ以上、それだけの覚悟はついていた。むしろ生徒たちの打倒目標
となり、ついには彼らに乗り越えられることこそ、教師のしあわせではないか。そのときこそ、ニッコ
リ笑って僕が教師を辞められる時だろう。
(菅龍一著「教育の原形を求めて」)
菅龍一氏自身が川崎のある定時制工高に勤める優れた実践者であるが、尼崎工高の教師たちが担った
状況は、氏をして「耐えられる自信がない」といわしめるほど厳しいものであった。僕などは「転勤し
たり、退職したり」の部類になるだろう。しかし、やはりぼくも尼崎工高の教師集団に「一種羨望の
念」を抱く。
「わしが、そこらのパチンコ屋で時間を過ごすよりも、ここに居てよかったと思うような充実した授業
をしてみい」(この言葉は、ぼくらのもの言わぬ問題児たちの沈黙を代弁している)という生徒を真正面
から受けて立つ教師集団とは一体なんだろう。そのよって立つ根拠は一体なんだろうか。
ぼくの知る限りでは、都立高校ではこういう教師集団は想像もできない。くだんの生徒は「生徒のくせに」
とか「この不良が」とかの一言で一蹴されるだけだろう。「教師の指導に従わない」ということで処分の
対象になるだけだろう。
学園闘争を思い出した。教師たちの多くはあの学園闘争が僕らにつきつけた問題の本質を理解していな
いし、ほとんど何も学んでいない。いま話題にしても、単なる暴力沙汰としか回想しない。
さらに横道にそれるが、この国の知識人の戦争のくぐり抜け方にも思いが向いて行く。多くの教師たち
の学園闘争のくぐり抜け方は、あの戦争のくぐり抜け方と見合っている。僕らは負の遺産を清算し得てい
ないばかりか、さらに増幅している。これは戦後責任の問題につながる。だがこれも、稿を改めるべき問
題である。
十一
正則学院や尼崎工高の教師たちの置かれた状況とぼくらのそれとは大いに異なるが、そのよって立つ
べき根拠には何ら違いはないはずだ。僕らの場所も深く掘り下げていけば、同じ鉱脈に達するに違いない。
そうでなければ彼らの実践がぼくらを打つはずがない。
ぼくらが「楽しい授業」を目指すのは何故か。ぼくらが問題児を「宝」と呼ぶのは何故か。ぼくらが
民主的な生徒集団・教師集団を希求するのは何故か。ぼくらが公教育という閉じた空間の形式的な仕組
みに大きな違和感を持ち、変革を試みるのは何故か。総じてなんのための教育活動か。
ぼくらが強いられている教育活動がよそよそしいことを実感し、その実質を自らのものとしたいから
ではないのか。
正則学院や尼崎工高の教師たちの優れた実践とは、菅氏の言葉を借りれば、「体制から<与えられ>た
労働の部署で<生かされ>ている」ものが、「その労働を通してしか自己が実現できない口惜しさを抱
えながら、労働の実質を自らの手に<奪い返し><生きる>ための苦しい闘い」である。
自分の労働が<与えられた>ものであり、自分の人生が<生かされ>ているものであるという<口惜
しさ>を共有できるかどうかはイデオロギーの問題では決してない。おそらく認識の問題である前に
感性の問題であると、ぼくは思う。ここではぼくらのイデオロギーではなく、感性が問われている。
<与えられ、生かされている口惜しさ>を、生徒は学校の窮屈さ・授業のつまらなさとして日常的
に味わっている。ぼくらは<与えられ、生かされている口惜しさ>を生徒と共有している。しかしこれ
は<教えるものー教えられるもの>という構図の中に安住しているものには分からない。そこから抜け
出る営みを始めるためには、多くの教師はすでに感性を磨耗し切ってしまっているのだろうか。
うちの学校のええ所は卒業したら分かるんや。うちの先生は、こちらがあれたり、問題を起こした
とき、一緒に歩いてくれる。これが励みになるんや。べつに問題をかいけつしてくれんでもええんや。解
決するのは 自分や。そやけど、一緒に歩いてくれるいうことは、こらたいせつなこっちゃ。
尼崎工高のある生徒の言葉を引用して、菅氏は言う。「教育の営みとは、教師と生徒が互いに生きる
意味を検証し合う」ことだと。
これが「自分のため」ということの本当の意味である。「自分のため」の実践が、優れたものとなり、
普遍的な価値なり意味なりを持つ根拠である。
実質を自らのものとした労働を通して「生きる意味の検証」をする教師たちに、理念皆無の現実論も
イデオロギー至上のタテマエ論も無用であることは論を待たない。
十二
ぼくは「生徒のため」と言うべきではなかった。「生徒のため」という決まり文句を、以後ぼくは
使わない。 (1974年11月)
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