1. 教育反動の足跡 2004年8月15日
「国家権力にとって教育とは、大衆支配の基本的かつ有効な
統御装置であり、
そのためにこそ、権力側は教育の管理権の可及権を絶えず拡大させようと
、意図的に
問題を惹起しては、反権力側と確執をを持つのである。当時の国家権力は
それを
<天皇>の名において<教育勅語>という錦旗を押し立てて、
極めて暴力的に教育権
そのものまでも収斂せしめたのである(中略)
現在の権力も
また例外ではない。
権力側によって強力に恣意的に歪曲された民主主義の名に於いて、
中正・公正教育な
る錦
旗を押し立て、国定さながらの教科書検定を行い、七一年六月中教審答申
に見られる
職務職階制導入による教職員の隷属管理化、そして教職員の政治活動禁止と
、まさに太
平洋戦争前夜を思わせるような状況を作り、なお進行しつつある。やがて、これは学校
教育の問題に限らず、教育に関連する全ての分野へ波及することは明らかである。
したがって、教育の開題を、教育本来を捉える概念だけで見るわけにはいかない。
検定を通過した教科書から、原爆の写真が抹消され、戦争の悲惨を訴える描写が削
除され、平和憲法の解説がなおざりになり、戦争責任の韜晦がなされ、反面、皇室
に関する記事がふえ、歴史上の忠君の武将が登場し、国益、公益なるものの強調が
始まったことの意図するものがなんてあるかを予知せねばならない。これは極めて
危険かつ、重大なのだ。権力側の意図するものが、かなり露骨になって来ていると
いえるだろう。」
(中山 恒「ボクラ少国民」より)
山中恒氏の「ボクラ少国民」は1974年に出版されている。ちょうど今から30年前である。
鋭い警鐘を打ち鳴らす人は中山氏のみではなく、事あるごとにさまざまな人が同様な発言をし続けて
きているが、それらの警鐘に応える抵抗の大きなうねりは被支配者の側にはついになく、自由と民主
を僭称する政党を中心とする支配者側は少しずつだが、狡猾にかつ着実に時代錯誤とも言えるよこし
まな目論見を実現し続けてきた。とうとう厚かましくも心の中に土足で踏み込むように
「君が代・日の丸の強制」を打ち出してきた。そして憲法改悪を目論む勢力が大手をふっての
し歩くまでになってしまった。その憲法改悪を米国が催促している。政治評論家・森田実氏
のホームページ「MORITA
RESEARCH INSTITTUTE
CO.LTD(http://www.pluto.dtine.jp/~mor97512/)」によると、アメリカの狙いは、
憲法を改正して徴兵制を国民の義務にすることだという。「押付け憲法」を憲法改悪の
理由の一つとする連中がその米国の意を改悪憲法に組み込もうとしている。これじゃまるで
日本は米国の属国じゃないか。