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185. 東京新聞「憲法遂条点検」(9)
「第二章 戦争の放棄」第九条・戦争放棄は“国際標準”
2005年2月14日(月)
第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを
認めない。
「点検」の解説。
憲法改正論議の最大の焦点となる九条。「戦争放棄」をうたう一項は、日本の平和主義の考えを集
約した最大の特徴として語られることが多い。しかし、「戦争放棄」は、必ずしも日本のオリジナル
ではない。
「戦争放棄」のルーツは、一九二八年に締結されたパリ不戦条約にある。同条約は「国際紛争解決
のための戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」と宣言。日本を含
む十五カ国が署名した。
九条一項は内容をみても、この条約を下敷きにしていることが分かる。従って、これは日本だけで
なく、フィリピン憲法には「国策遂行の手段としての戦争を放棄する」とあるし、イタリア、ハンガ
リー、さらにはアゼルバイジャンにも似た表現がある。
四五年に調印された国連憲章にも、「武力による威嚇又は武力の行使を慎む」と、不戦条約の精神
が生かされている。こうしてみると、九条一項の内容は、「国際標準」と言ってもいいのかもしれな
い。
ただ、「戦争放棄」を宣言した各国も、国防のための軍隊を常備している。「国際紛争解決のため
の戦争」とは侵略戦争のことであり、自衛戦争は別と解釈しているからだ。武力紛争を繰り返してき
たインド、パキスタンですら、憲法に「国際平和」を掲げている。
その点、戦力の不保持に踏み込んだ九条二項は、国際的に見ても特徴的な内容と言える。戦後、政
府が拡大解釈を繰り返し、骨抜きになっているとはいえ、一切の軍備を禁じていると読めるこの項こ
そ、平和主義の核であろう。
国会の憲法調査会などでは、「現行憲法の平和主義を守るために一項は堅持し、二項を改正して自
衛軍保持を明記する」という主張をよく聞く。だが、「国際標準」とも言える一項を維持することで、
平和主義を守ったと言い切るのは無理がある。二項がどうなるかが重要で、それに着目する必要があ
るだろう。
また、九条の一、二項を堅持したうえで、自衛隊もしくは自衛軍の存在を三項として書き加えれば
いいという主張もある。しかし、この場合でも、「前項の規定は自衛隊の設置を妨げるものではない」
などの表現にすれば、戦力不保持の「縛り」がかかるが、「前項の規定にかかわらず自衛隊を設置す
る」とすれば、自衛隊の存在が九条の精神から独り歩きしていく可能性も出てくる。
そうした意味でも、九条改正論議は、単に「自衛隊」などのキーワードだけでなく、前後の文脈に
も細心の注意をはらうことが不可欠となる。 (西川裕二、三浦耕喜)
とても質の高い解説だと思う。
第一項は「国際標準」だという評価と、第二項が平和主義の核であるという認識は重要だ。
イシハラは、前文や九条の平和主義に対して「他国の人間が見たら皆笑う」と、2000年11月30日の衆
院憲法調査会で発言している。笑われるのはこの無知で蒙昧な発言の方だろう。上記の解説によれば、
「平和主義」は「国際標準」なのだから。
またイシハラは「醜悪」だと罵倒した憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏
から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」を論拠に次のように述べていると
いう。
「まさにこの一文にある”恐怖”にこそ今回のテロは抵触するのです。憲法の前文とはその法体系の
理念を表すものだ。(中略)前文の精神に対処しきれないような九条は当然変えなければならないとい
う議論が出てくるはずです。」
(「正論」での発言。吉本隆明「超『戦争論』」からの孫引き)
コイズミと同じく都合のよいところだけつまみ食いをし、しかも曲解して利用する詐術だ。戦争を
したくてウズウズしているのだろう。自衛隊を名実ともに戦争ができる軍隊にしたいばかりになりふ
りかまわず詭弁を弄する。それを恥とも思わぬ。たいした破廉恥漢だ。
だいたいお前が東京の教育に対して行っている行政暴力は憲法前文の精神にも憲法の条文にも「対処しき
れない」代物ではないか。
ああそうか。だから憲法を「当然変えなければならないという議論が出てくるはずです。」となるの
か。繰り返す。まったくの破廉恥漢だ。
第九条は憲法改悪論者らの最大のターゲットだから、この機会にいろいろな人の意見を振り返ってみる
ことにする。
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186. 憲法第九条をめぐって(1)
2005年2月15日(火)
憲法第九条についての見解を明解に言い切っている人なら、私はまず吉本隆明さんを挙げたい。
吉本さんはそのさまざまな著書で繰り返し第九条の重要さに言及しているが、「超資本主義」の第2章
「政治の病理」の中の「読売憲法試案の批判」から引用する。まず第九条について次のように述べて
いる。
これほど明瞭な規定はない。戦争をするつもりはなく、また国際国家をこの条項に参加させたいと
いう平和意志がはっきりしていれば、まったくどこも修正を要しない。そしてこの二つの条項を平和
意志とするためには、同時に武力による脅迫や武力の行使が、どんな国際国家によっておこなわれて
も恐れもしなければ、認めもしない確かな態度をもちつづけることが、当然の前提になる。また他の
どんな国際国家の交戦権も認めない毅然とした意志が必然の態度になるはずだ。
(中略)
戦後憲法の第九条は、敗戦直後の焼野原と食べものそのほか生活必需品の欠乏、職なく家なく、
近親や縁者に誰もが戦争の死者をもつという情況をくぐり、戦争はもうたくさんだという国民大
衆の実感の現状認識によって心底から同感された条項だった。この憲法が占領軍政局の手で荒筋がつ
くられ、当時の政府と老リベラリストの大知識人たちが肯定的な意見を添えたものかどうかは、研究
者に論議のあるところだが、わたしには第二義以下の意味しかないとおもえる。重要なのはこの第九
条が敗戦間もないころの国民大衆の実感に叶い、しかも国民大衆の百数十万の戦争死によってあがな
われた唯一の戦利品だということだ。
自民党を中心に現在検討進行中の改悪案では、九条については「読売試案」と同じようなものにな
るのではないかと予想される。ここで現九条に替わる「読売試案」を知っておくのも無駄ではないだろう。
「読売試案」をそのまま掲載する。
第三章 安全保障(現行第二章戦争の放棄)
第十条(戦争の否認、大量殺傷兵器の禁止)@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
手段としては、永久にこれを認めない。
A 日本国民は、非人道的な無差別大量殺傷兵器が世界から廃絶されることを希求し、自らはこの
ような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。
第十一条(自衛のための組織、文民統制、参加強制の否定)@ 日本国は、自らの平和と独立を守
り、その安全を保つため、自衛のための組織を持つことができる。
A 自衛のための組織の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
B 国民は、自衛のための組織に、参加を強制されない。
これに対する吉本さんの批判は、まず「読売試案」の第十条と第十一条との間の矛盾を
指摘して次のように述べている。
これほどはっきり武力による威嚇や武力の行使を否認しながら、どうして「自衛のための組織」
をもつことを、憲法が認める条項をもたなくてはならないのか、わたしには合点がいかない。はじ
めから矛盾ではないか。
現在国家「間」や国家「内」で紛争が起り、武力が行使される地域があるとすれば、東南アジアの
一部、西欧と東欧半島の一部と中近東、民族国家以前の部族的な国家がせめぎあうアフリカ的な段階
の地域にしかありえない。このいずれの地域にたいしても日本は自衛隊を派遣すべき名分も根拠もな
い。またこの資源の乏しい日本列島に他国が軍事侵攻して、自衛隊を戦争に駆りだす場合など、空想
以外にはありえない。なぜ憲法を改悪して自衛隊を合憲化することで、米・ロのような軍事大国が大
きな発言力をもつふるい国際国家にまで後退しなければならないのか。戦後憲法第九条は現在の世界
の国際国家が、未来への通路を開くための唯一の突破口なのだ。わたしは読売試案は村山内閣の反動
制(ママ)と現野党の欠陥を寄せあつめた最低で最悪の改憲案だというほか
ないとおもう。
「村山内閣の反動制」とは時の首相・村山富市が「自衛隊合憲」を言明し、自衛隊を実質的な「国軍」と認めて
しまったことを指す。村山は社会党を自民党に食いつぶされた上にこんなとんでもない大汚点を残した。
「トンちゃん」ではなく、とんでもない「トンマちゃん」だった。
吉本さんの批判の眼目は現憲法の第二項を真っ向から否定している「試案第十一条」である。東京新聞
「点検」の「二項がどうなるかが重要で、それに着目する必要があるだろう。」という見解と相通ずる。
さて吉本さんは「読売試案」の現九条に替わる上記条文を全て否定して、現憲法の第九条に次の
ような第三項を加えることを提案している。
B 前項@Aの理念を達成するために、参加しているあらゆる国際機関を通じて、具体的な非武装・
非戦の提唱を積極的にすすめる。
そしてその理由を次のように述べている。
この(3)項の新設は戦後憲法の第二章第九条の非武装・非戦の理念が、世界にさきが
けた未来性をもち、しかも到達するのにいちばんの近道だということを宣明するために是非とも重要
だという理念にもとづいている。この戦後憲法(とくに第九条)は占領軍政当局によって草案がつく
られ、押しもどすことができない敗戦の被占領下に政府、老リベラリストの大知識人の同意と、国民
大衆の屈辱感を伴った非戦感情の暗黙の同意のもとに成り立ったものだ。またたぶん日本国に二度と
戦争の能力や武装力をもたせまいとする占領軍政当局の意向と、もうひとつどうせのことに日本国に
戦争なき世界への理想を「押しつけたい」という軍政局の願望がこめられたものとみなされる。いま
この初心の規定を放棄して、世界の三流国に成り下がって、米・ロをはじめとする軍事大国の意向で
動くほかない国連軍事介入の慣例に無名の師(ママ)を送るいわれはない。
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187. 憲法第九条をめぐって(2)
2005年2月16日(水)
「第174回」(2月6日)で、辺見庸さんの「抵抗論」所収「憲法、国家および自衛隊派兵
についてのノート」から憲法前文についての部分を引用したが、同じ論文から第九条に関わる
部分を引用する。
まず吉本隆明さんの九条への思いに共感を寄せている。
吉本隆明氏という人はかつて小沢一郎の『日本改造計画』をもちあげてみたり、消費資
本主義を肯定的に論じてみたり、「ちびまる子ちゃん」を面白がってみたり、私などには
ときどきよくわかりかねる一面をおもちの人物だが、憲法第九条については、意外なほど
明快かつストレートである。たとえば、「第九条は戦後憲法の最大の取り柄だと、僕は信
じています。第九条の正しさについては、絶対に人に譲れない。この点、だれが何と言お
うと頑固です」(『わが「転向」』)と、決然たるいいかたをしている。また、「僕は長
い間、理想的な国家に軍隊は要らないと考えてきました。社会主義がどんなに輝かしい正
義であるとしても、いったん国軍を持ったら、もはやその時点で正義は正義でなくなると
判断してきた。だから、ソ連も中国も、僕は決して理想化したことはありません。国軍を
持たないこと、そして国が開かれていること、いざとなれば国民が自由に政府をリコール
できる法的装置が整い、国民にその実質的な力が備わっていること、これが僕の考える理
想国家の条件です」(同)と強調している。
難解なものいいには佳味があり、平明なそれには価値がないというのは、ただの幻想に
すぎない。私はこの平明にして率直な表現に、ほぼ全面的に同感する。そして、吉本氏の
いう「理想国家の条件」も、やはり、国家というものの、まがまがしい宿命に逆らう、非
国家的なるものなのだなと得心するのである。この夢のような「理想国家」の非国家的条
件のいくつかを、日本国憲法は見事な成文として備えていたのだけれども、著しく欠いて
いたのは、それを実現する民衆の意思と力だった。私はそう思う。
そして憲法、とりわけ九条を踏みにじっていくコイズミの、イシハラといい勝負の、破廉恥
漢ぶりをあばく。そして憲法理念の実現の困難さに言い及んでいる。
二〇〇四年一月十九日、いわゆる「イラク国会」の施政方針演説冒頭で小泉首相は孟子
ひき「天の将に大任をこの人に降(さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨
を労せしむ」と託宣″した。首相は同じことを組閣後初の記者会見でも語っている。厳
密にいえば、孟子の引用の誤用らしいが、憲法の意識的誤用に較べればどうでもいいこと
だ。それより、「天の将に大任をこの人に……」と平気で語る小泉という人物の非常識に
呆れる。「この人」とは、おそらく己のことという自意識が首相にはあるのであろう。自
衛隊派兵決定に際し、「国家としての意思」を語ったのと同根の専制的発想である。だれ
に智慧をつけられたかわからないが、孟子の引用から判ぜられるのは、自意識を国家意
思≠ノつなげはじめたファシスト特有の甚だしい倒錯である。憲法理念の実現とは「護
憲」を紋切り型に叫ぶことではない。まずはこうした政権を退場させるための、かつてな
い質の闘いを構想することしかない。
そして次のようにこの論考を結ぶ。
以下を改めてどう考えるか。一九四七年に当時の文部省が発行し、五二年三月まで中学
一年用の社会科教科書として使われた『新しい憲法のはなし』のなかの「六戦争の放棄」
の一節。
「みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いで
しょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなか
ったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょ
う。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたく
ないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。
何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではあり
ませんか。戦争は人間をほろぽすことです。世の中のよいものをこわすことです。だか
ら、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。こ
のまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ
考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではあ
りませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのこ
とをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのもの
は、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もな
いのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということで
す。しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいこと
を、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありま
せん」
「みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこ
さないようにいたしましょう」
私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動の
ヒントがあるといまでも信じている。
三組の引用文のかなめをつなげてみよう。
『日本国憲法は見事な成文として備えていたのだけれども、著しく欠いていたのは、それを実
現する民衆の意思と力だった。』
『憲法理念の実現とは「護憲」を紋切り型に叫ぶことではない。まずはこうした政権を退場さ
せるための、かつてない質の闘いを構想することしかない。』
『「世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」「みなさん、あのおそろしい戦争が、
二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう」
私は嗤わない。ここには国家と戦争と憲法をめぐる高い質の哲学と平和に向けた行動の
ヒントがあるといまでも信じている。』
私の心に浮かんでくる「かってない質の闘い」のイメージは、水田ふうさんが描いた潮が満ちて
くるときの「海」の水溜りんのように広く大きくつながっていく「非暴力直接行動」の大規模なうね
りなのだが・・・
「160. 非暴力直接行動(6)」(1月21日)の結びの言葉を繰り返そう。
私たちには権力も経済力もない。「無数の水溜りと水溜りがプチップチッと
くっいていくように大きな水溜りができる」よう、それぞれがそれぞれの闘い方で無数の水溜りを
創って行くほかはない。
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188. 憲法第九条をめぐって(3)
2005年2月17日(木)
『「日の丸君が代」ホットライン2005』が開始されました。
本日より、トップページにリンクを貼り付けました。
小熊英二さんと上野千鶴子さんが聞き手となり、鶴見俊輔さんの話を聞く企画がもたれ、
それが本になり昨年4月に出版された。書名は「戦争が遺したもの」。
その中の「第九条について」の項は鶴見さんの九条に対する見解のほかに、憲法成立当
時の支配層の思惑や打算などを知る手がかりになる話題もあって面白い。ただし、会話の
面白さをそぐことになるかも知れないが、少々長いので九条に関わりのない部分や聞き手
の重複する質問などを省いて紹介する。
上野 次に、第九条についてお聞きしたいんです。
小熊さんの『(民主)と〈愛国〉』によれば、憲法第九条を当時の
文脈にさし戻してみると、理想主義でもなんでもなかったということ
がわかる。アメリカは日本を武装解除して、国際連合つまり連合国で
共同管理するつもりだった。また日本側からみれば、非武装化を受け
入れれば天皇の訴追も免れるし、共産党の革命に先手を打って保守政
権が生き残れる。それに、どうせ敗戦になって軍備が解体されるのは
逃れようのない現実なんだから、それを理想だといって開き直ってし
まったほうが得策だということですね。
占領者による武装解除が、選択の余地のない現実だったということ
ですから、非武装を恒久平和の理想主義と呼ぶのは、一種の粉飾決算
だったわけですね。そこで鶴見さんが、占領者が押しつけた非武装化
を、どういうふうに見ておられたかをお聞きしたいんです。
鶴見 あの当時、保守政治家や日本政府の側に、上野さんのいう粉飾決算
があったことは確かだと思うし、彼らは信頼できません。私は政治家
の家に育ったから、政治家というものがどういうふうに動いていくか
をわりあいに知っている。信頼できる人っていうのは、ほとんどいな
いんですよね。
だけど保守政権が粉飾決算で憲法を歓迎していた時期は、アメリカ
の方針が変わって逆コースになると、すぐ終わってしまう。そのあと
の時代に、憲法を逆手にとって、アメリカと占領軍の再軍備圧力にあ
る程度の抵抗を試みたのは、吉田茂ですね。「憲法があるし、国内の
反対が強いから、再軍備は簡単にできない」と言ってアメリカと交渉
して、再軍備を最低限に抑えようとした。
当時から、私はそういう吉田の意図が、よくわかった。私が左翼と
違う点の一つは、そういう吉田に対する評価だったんです。共産党は、
吉田政権はアメリカに追従した売国政権だとか批判していたけれど、
私にはそうは思えなかった。
私は吉田に対しては、戦時中から信頼を持っていたんです。戦争中
に、熱海から汽車に乗って大磯を通り過ぎるときに、吉田茂が化膿し
た顔に包帯を巻いて、お供も連れずに立っていたのを見たんですね。
当時の吉田は、留置場から出たばかりだった。その吉田の姿を見て、
すばらしい人がいるなあっていう感じを持ったんです。だからその吉
田が、戦後に憲法を逆手にとってアメリカに対抗しているのは、よく
わかったね。
小熊 鶴見さんは一九五五年の「かるたの話」では、「平和憲法という嘘」
はアメリカから強制された「まぎれもなく嘘」であるけれども、「こ
の嘘から誠を出したいという運動を、私たちは支持する」と書かれて
いますね。
上野 それは少し後の話ですね。第九条が一九四六年に出てきたときに、
どう思われたのでしょう。
鶴見 それは、憲法全体に対してと同じです。まず、とてもいいと思いま
した。それから、日本人がこれを守れるのかなっていう疑いを強く感
じていました。でも、理想としてはたいへんいいと思いましたよ。
上野 そのたいへんいい理想を、支配者である占領軍が押しつけるという
ことについては?しかも占領軍が日本に駐留しつづけるという前提の
もとに。
鶴見 論理的にはパラドックスになります。私は当時から、戦争裁判に対
しては、そういうパラドックスを感じていましたし、納得できないと
思ったんです。だけど憲法については、そのパラドックスを、当時は
感じませんでしたね。
上野 米軍の駐留をやめさせて、ほんとうに「非武装中立」するというオ
プションはありうると思われましたか。
小熊 それは当時の政治的な文脈でいえば、米ソの対立という現象を予測
できたかということに関係していたでしょうね。アメリカ側が憲法前
文や第九条をつくった背景には、冷戦がまだ顕在化していなくて、世
界の国際協調がある程度は存在することが前提になっていたわけです
から。
上野 いや、そういう国際政治のパワーポリティックスとは独立に……。
小熊 当時の共産党は憲法に反対していましたね。天皇制も残っているし、
資本主義も肯定しているし、非武装などということを言っている。非
武装中立ではなくて、社会主義陣営に入ってプロレタリアのために戦
うのが正しいのだ。そもそも非武装とか平和主義とか言っても、資本
主義を変革しないかぎり一片の空論である、という論理でした。そう
いう意見については、どう思われていたんですか。
鶴見 それほどよく考え抜いた説じゃないと思ったね。反対理由は、この
憲法は小説だ、ロマンティックだって言うんでしょう。資本主義の止
揚という科学的方針がない平和主義は、ロマンにすぎないと。
それはロマンティックであることは、ある意味で言えることだよね。
だけども、じやあ何が正しいかは全部、科学的社会主義とソヴィエト
・ロシアが決めることだというのは、かなわないというか、良くない
でしょう。
だいたい私は、懐疑主義だから、科学的に絶対に正しいものなんて
信じられない。だからマルクス主義にもいかなかったんだ。
小熊 倫理的な「ねじれ」とか「欺瞞」とかいう問題をつきつめるという
方向に、鶴見さんが向かわないのも、政治家の家系で育ったというリ
アリズムと、「絶対に正しい純潔さ」というものを警戒する懐疑主義
からでしょうか。
鶴見 そうも言えるかな。
小熊 和子さんはマルクス主義者だったとすると、当時の和子さんは憲法に
対してどうおっしゃられていましたか。
鶴見 それは当時の彼女は、もっとソヴィエト流に変えていかなきゃいけな
い、労働者の権利をもっと重視したものにしなきゃいけない、という意
見でした。
小熊 まあ当時は、共産党だけじゃなくて、社会党もそういう意見でしたか
らね。
それでは、お父さんの鶴見祐輔さんは、憲法にどのような姿勢をとら
れていたんですか。
鶴見 あの憲法草案が出たとき、ショックを受けていたね。それでその直後
に、親父の事業所で私が聞いた見解というのは、「これはいい憲法だけ
ど、いったい日本で通用するのか」ということだった。
上野 それは、鶴見さんご自身と共通したご意見のようですね。
鶴見 だけど、ちょっと見方がちがうんだ。親父は一番病だから、そこで教
養を出すんだ。「カントも読んだこともないのに平和主義がわかるのか」
って言うんだよ(笑)。あの憲法を受け入れるためには、カントの『恒
久平和のために』を読んでなきゃいけないと思っているんだ。そこが私
とちがう。
上野 あはは (笑)。
鶴見 それを聞いて、唖然としてしまってね。つまり親父は、自分みたいに
一高や東京帝大を出て、教養のある人間が、指導者にならなきゃいけな
いと思っているんだよ。だけど私のほうは、カントなんか読んだことも
ない大衆の意見の方が大切だと思っているんだ。
上野 しかしお二人とも、いい憲法だけど、日本人にはふさわしくないくら
い高い水準のものだと思われた。
鶴見 それも見方がちがうんだ。私が低く評価しているのは、日本の知識人
とか政治家なんだ。とくに一高とか東京帝大を一番で出たような連中(笑)。
こういう認識が私にとっての、戦争中の遺産の一つなんです。そういう
連中にこの憲法はわからないと私は思っている。
上野 そういうことを、憲法草案が発表されたときにも思われたわけですね。
鶴見 そうです。この憲法をあの連中(知識人)が支えられるだろうか、と
いうことです。
「私が低く評価しているのは、日本の知識人とか政治家なんだ。」
憲法成立当時の事とはいえ、はっきりとこう言い切れれる人はめったにいない。
今大杉栄を少しずつ読んでいるが、大杉栄の特に労働者の味方づらをした知識人に対する
批判は辛らつだ。
そういえば、都教委包囲首都圏ネット主催の「2/6総決起集会」で大内裕和さんが知識人への苛立
ちと不信感を声高になじっていた。「知識人や大学人はいったいどうしたんだ!!」(
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189. 憲法第九条をめぐって(4)
2005年2月18日(金)
「九条の会」はその発足のときの記者会見で『「九条の会」アピール』という文書を公開した。
「第22回」(2004年9月5日)で、私は「JANJAN」 |
というインターネット新聞を紹介した。その「JANJAN」に先ごろ柴田忠という方が『「九条の
会」アピールへのアピール』という『「九条の会」アピール』に対する批判記事を書いた。この
記事について筆者は
僕の拙文である「『九条の会』アピールへのアピール」が「JANJAN」に掲載されてから、
僕は「九条の会」参加のサイトを中心に、各方面に、この文章に関するご意見を募るメールを発
送した。
と言っていっているのでこのホームページに掲載しても差し支えないだろう。
ということで今回は「第九条」を考える資料の一つとして『「九条の会」アピール』と『「九条の
会」アピールへのアピール』を紹介する。
「九条の会」アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次
世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを
選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持た
ないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心し
ました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとす
る動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦
争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と
武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止な
どの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者
にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてき
た、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を
歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるか
を、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うこ
とでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決
にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合
いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基
本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢
献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの
軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわって
いくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的
外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝
かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲
法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に
対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手を
つなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めるこ
とを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし(作家) 梅原 猛(哲学者) 大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家) 加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家) 鶴見 俊輔(哲学者) 三木 睦子(国連婦人会)
「九条の会」アピールへのアピール 2005/02/08
今、日本は大きな試練にさらされています。
第二次世界大戦に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を
含む憲法を制定、自国の軍隊を解体し、アメリカの占領政策に身を委ねました。それから60年、
戦後の苦しい時代を経て、日本は高度経済成長を達成、急速な勢いで先進化を遂げ、
今では、世界の中で経済大国としての重要な地位を得ています。
アメリカの占領政策は、敗戦の直後から1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約調
印で一区切りを迎えますが、その後も日本の軍備は、ほとんどが日米安全保障条約に受け継がれ、
現在でも基本的には、いざという時はアメリカに守ってもらうという形での日米の同盟体制が継続さ
れています。そして、それは、日本が憲法九条を順守するという立場を維持しているからに他なりま
せん。
しかし、現実には、日本は、サンフランシスコ平和条約調印直前に設けられた警察予備隊を保安隊、
自衛隊と形を変えて、戦力を持たないことの規定をなし崩し的に変貌させ、何年も前から世界でも
有数の戦力を抱えた上に、最近では、その戦力組織を国際貢献の名の下に海外にも派遣するといった
行動を取るようになりました。
憲法九条の問題とは、実は、この建前と現実のギャップに対して、当の日本人自体がどのような態度
で臨むのかという、日本の国内問題に他なりません。占領下の日本では、日本が主体的な意志を示すこ
とは不可能でした。占領体制が終わっても、時は東西冷戦の真っ只中にあり、日本は引き続きアメリカ
等の顔色を見ながら行動することを余儀なくされました。
しかしながら、戦後も60年を過ぎ、日本も経済大国として、一人前の国家として歩むべき時に、
何ら自らの主体的な意志を示そうとしない日本、いつまで立っても建前と現実のギャップを埋めよう
ともしない日本の存在こそが、日本の病理であり、その中心に憲法九条があるのではないでしょうか。
ところが、さきに、いまの日本を代表する知識人と言われる人々が、日本国憲法を守るため「九条の会」
を発足し、「『九条の会』アピール」というものを発表しました。しかるに、それは日本の多くの人々の
心を動かすどころか、幻滅感を与える結果になりました。
その理由の1つは、そのアピールが日本の一流の知識人の提案であるにもかかわらず、あまりにも意
味不明な言葉で満ち満ちていたこと。もう1つは、そうした日本の一流の知識人が、戦後の日本に確固
たる影響力を持ち、それぞれの活動を行ってきたにもかかわらず、今に至っても、色濃い国家不信を払
拭できないでいることに対してでした。
今こそ、日本が敗戦による負の遺産を解消し、また、現実と憲法との乖離という不正常な状態を脱し
て、一人前の国家として世界の中に日本の存在を示すべきです。ところが、そのアピール文の最大の
罪は、日本国憲法の改憲問題を、単なる「個人の良心に対する踏み絵」としてしまったこと。それでは
ないでしょうか。
「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」は、実
は「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」を持っていなくても可能です。それど
ころか、ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」などなくても、
「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を胸に刻み、
国際平和を希求しているのです。
「戦争放棄と戦力を持たないこと」というのは、日本一国が一方的に行うことではなく、お互いの話
し合いで決めるものではないでしょうか。それがなければ、それは戦争放棄ではなく「話し合いの放棄」
ではないでしょうか。
それを「護憲」=「戦争放棄」「戦争反対」と結びつけ、「改憲」=「戦争擁護」「軍事国家を目指す
もの」として、「護憲」=「正義」、「改憲」=「悪」とし、改憲問題を「個人の良心に対する踏み絵」
にする。さらには、日本の国内問題に過ぎない憲法改正を「世界市民の意思」と結びつけ、矛盾に満ちた
現実の固定化をはかる。これが果たして、日本を代表する知識人の常識なのでしょうか。
日本は、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」を改正した途端に、戦争を
起こすような国ですか。もし、仮にそうであるなら、憲法を守る前に国を変えるべきでしょう。何故
なら、現実は憲法があろうとも、日本は世界に有数の軍隊を持ち、それを海外に派遣しています。こ
の現実と建前が異なる国が「戦争放棄」と言って誰が信じるでしょう。
私たちが、本当に、平和を求める世界の人々と手をつなぐためには、この国を変えなければなりま
せん。憲法の条文を守ることより、今、私たちに必要なのは、私たちの意志が正しく反映させられる
国家を作ることです。今の日本は、かつての高度経済成長の時代も終わり、国家的な衰退を迎えつつ
あります。その中で、国を食い物にする官僚たち、そんな官僚の言うがままの政治家たちは、日本の
危機に正面から立ち向かうこともせず、悪政のツケをすべて一般の庶民に押し付けようとしています。
その中で、改憲論議とは、本来、有りうべき国家の姿を、国民すべてで語り合う絶好の機会ではないでし
ょうか。それを憲法九条にこだわり、それを単なる「個人の良心に対する踏み絵」にしてしまう「『九条
の会』アピール」に、強い憤りを感じてしまいます。アピールの見直し・撤回を、ここに求めます。
(柴田忠)
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190. 憲法第九条をめぐって(5)
「アピールへのアピール」批判(1)
2005年2月19日(土)
『「九条の会」アピールへのアピール』(以後「アピールへのアピール」と略す。
『「九条の会」アピール』の方はただ単に「アピール」と略す。)を公開した柴田忠さん、
「九条の会」の錚々たるメンバーに挑戦状を突きつけた感でなかなかの心意気である。
「アピールへのアピール」の批判を試みようと思う。柴田さんは「この文章に関するご意見を
募る」と言っているので、この文は柴田さんに送付するつもりだ。従って以後柴田さんを二人称
で呼ぶことにする。
私は「九条の会」が発足したことは新聞の報道で知っていたが、『「九条の会」アピール』はす
すんで読む気はなかった。なぜなら「九条の会」のメンバーから推測すれば書かれているであろう
主張はたぶん私の考えと多く重なるだろうと思われ、改めて読む必要を感じなかった。
それが、あなたの記事を読んで、「アピール」はそんなに酷い内容なのかと思い直し改めて読ん
でみた次第だ。そしてあなたの記事とつき合わせた結果、結論を先に言うとこうなる。
あなたの心意気は買うが、その論旨はそうとう混乱していていただけない。また、一方的な決め付
けが目立ち、これもいただけない。
まず私が「一方的決め付け」と裁断したことを三つ指摘する。
ところが、さきに、いまの日本を代表する知識人と言われる人々が、日本国憲法を守るため
「九条の会」を発足し、「『九条の会』アピール」というものを発表しました。しかるに、それ
は日本の多くの人々の心を動かすどころか、幻滅感を与える結果になりました。
あなたはどういう方法でどれだけの人を調べた上で、などとは言うまい。一人で調査できるよう
な事柄ではなし、行う必要もない。しかし、「日本の多くの人々の心を動かすどころか、幻滅感を
与える結果になりました。」と断定する根拠は何か、と問うことは不当ではないだろう。
もちろんあなた以外にもあなたと同じ幻滅感を与えられた人がいることは想像するにかたくはない
し、あなたはあなたの考えを多数派だと認識しているのかもしれない。世論調査などから推測すれ
ば、たぶんあなたのような考えは圧倒的多数派だろうと私も思う。そういう見極めがあるからこそ
改憲論が大手を振って登場してきた。
しかし雲を掴むような不特定多数を見方とし論拠とするような議論は控えるべきだ。政治家が
「国民」をダシに自説を強弁するのとなんら変わらない。「私は幻滅を感じた」と、あくまでも
一人で受けて立つべきだろう。こういう論調はあなたの論文全体の信頼性を損ねる。
しかし、まあこれは本筋からは瑣末なことで、どうでもよいと言われればどうでもよいことだ。
二つ目
その理由の1つは、そのアピールが日本の一流の知識人の提案であ
るにもかかわらず、あまりにも意味不明な言葉で満ち満ちていたこと。
もう1つは、そうした日本の一流の知識人が、戦後の日本に確固たる
影響力を持ち、それぞれの活動を行ってきたにもかかわらず、今に至
っても、色濃い国家不信を払拭できないでいることに対してでした。
私が読んだ限りでは「あまりにも意味不明な言葉」は見当たらない。
「あまりにも意味不明な言葉で満ち満ちていた」ら、まず相手の論旨がつかめまい。論旨がつ
かめなければ、その論評もできないのが道理ではないか。そんな文章をなぜ論評する気になった
のだろう。私にはげせない。
「満ち満ちていた」という大げさなもの言いは、あるいは単なる言葉のあやなのかもしれない。
それならばあなたが「意味不明な言葉」と読んだ部分を具体的に指摘すべきだろう。往々にして
論文の「意味不明」な部分には論全体の核心に関わる問題があるものだ。「意味不明な言葉」を
見出せなかった私の方に誤読があるのかもしれない。
証拠をあげずに一方的に決め付ける。こういう論調もあなたの論文全体の信頼性を損ねること
になる。
あなたが「幻滅感を与え」られたというもう一つの理由は「今に至っても、色濃い国家不信を払
拭できないでいること」だ。これについては、いまは「何時になっても国家不信を払拭すること
など不可能ですよ」と言っておこう。この問題は私のあなたへの批判の核の一つになるはずで、
いずれ詳しく述べるはずである。
「一方的な決め付け」がもう一つある。
そのアピール文の最大の罪は、日本国憲法の改憲問題を、単なる「個人の良心に対する踏み絵」
としてしまったこと。それではないでしょうか。
それを「護憲」=「戦争放棄」「戦争反対」と結びつけ、「改憲」=「戦争擁護」「軍事国家を
目指すもの」として、「護憲」=「正義」、「改憲」=「悪」とし、改憲問題を「個人の良心に対
する踏み絵」 にする。
それを憲法九条にこだわり、それを単なる「個人の良心に対する踏み絵」にしてしまう「『九
条の会』アピール」に、強い憤りを感じてしまいます。アピールの見直し・撤回を、ここに求めます。
「個人の良心に対する踏み絵」という唐突な言葉が三回も出で来る。多分あなたが一番強調したいこ
となのだろう。しかしどこをどう読めば「アピール」が「個人の良心に対する踏み絵」になっていると
いう判断が出てくるのか。これも私にはさっぱり分からない。あなたの読解力には全く恐れ入るほかな
い。
「個人の良心に対する踏み絵」という言葉は本文の中で括弧付きで書きとめられているので、なにか
特別な意味を込めているのか、あるいは何かからの引用だろうか。
「個人の良心に対する踏み絵」という言葉は、都教委の「日の丸君が代の強制」に対してそれと闘う人
たちの側から使われ、にわかに脚光を浴びるようになった言葉だが、あなたはそれを踏まて使っているの
だろうか。だとしたらとんだ見当違いだ。
「日の丸君が代の強制」に従わぬものを処分すると脅し、実際に不服従を貫いた教師たちを処分をし
ている。これはまさに「個人の良心に対する踏み絵」という言い方がぴったりの暴挙である。
しかし「アピール」の文言にはそのような「踏み絵」を強いるものは皆無だ。「アピール」に賛成す
ることを強要したり反対するものは許さんとかいう意味の脅し文句はどこを探しても見当たらない。も
しそんなものがあったとしても「アピール」の反対者を「九条の会」が探し出して処罰することなど全
くあり得ない。現にあなたは「アピール」批判を果敢に行っているが、そのことであなたの良心が蹂躙
されるようなことは起きていますまい。
「アピール」は憲法を巡る歴史的な経緯と現況に対する見解を述べているに過ぎない。「アピール」が
読者に直接語りかけた文章は最後の一文だけである。
日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを
阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
この文章からあなたは自分の良心が踏み絵を強いられたと感じたのだろうか。ただ単に『日本国憲法
を守るという一点』で賛同する者に、ともに闘うことを訴えているだけじゃないか。
あなたは「アピール」の憲法を巡る歴史的な経緯と現況に対する見解に異論があるからあなたの異論
を記事として公開した。どちらにも何の不都合もない。なぜあなたが「アピール」の撤回を求めなけれ
ばならないのか、あなたの意気込みにも拘らず、これも私には理解ができない。
以上の三点は、「アピール」の主張の内容とは無関係な夾雑物であり、議論をいたずらに複雑にしかね
ない。夾雑物を取り除く意味で敢えて指摘した。
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191. 憲法第九条をめぐって(6)
「アピールへのアピール」批判(2)
2005年2月20日(日)
さて、憲法九条を巡るあなたの主張そのものの検討に入ろう。
まず、あなたの主張を侠雑物を取り去って要約する。次のように主張していると思う。
「警察予備隊を保安隊、自衛隊と形を変えて、戦力を持たないことの規定をなし崩し的に変貌させ
、何年も前から世界でも有数の戦力を抱えた上に、最近では、その戦力組織を国際貢献の名の下に海
外にも派遣するといった行動を取るようにな」った現実と憲法九条という建前とのギャップは「日本
の病理」である。この「現実と憲法との乖離という不正常な状態を脱して、一人前の国家として世界
の中に日本の存在を示すべき」だ。
それでは九条をどうすべきだと言っているのか。どこを探してもそのことを直裁に述べている箇所
がない。文脈から推し測るほかないが、少なくとも九条を撤廃するか改定すべしと言っていると思う。
要するに事実に合うように憲法を変えよということだ。
また「一人前の国家として世界の中に日本の存在を示すべき」と主張しているが、その「一人前
の国家」というのがどういう国家なのか何も書かれていないからこれも文脈から推し測れば、
「一人前の国家」とは軍隊を持った国家であり、はっきりと自衛隊を軍隊と認めて「世界の中に日本
の存在を示すべき」だというのだろう。
この主張には問題点が二つある。
一つは既成事実に拝跪する思考だ。あなたが正しく認識しているように国家権力は「戦力を持た
ないことの規定をなし崩し的に変貌させ」てきた。それはあなたのような「既成事実に拝跪する
思考」をあてこんでの事だ。あなたが国家権力を担う権力者の一人でなく、私と同じ国家に支配
されている一人の庶民ならば、まさにあなたは国家権力の思う壺にはまったことになる。
もう一つは、軍隊を持って「一人前の国家」であるというような耳目に入りやすい俗論をベース
に国家のことを考えている点だ。
ここで国家とは何かをかいつまんで書こうと思ったが、相当長くなってしまいそうで、かいつまめな
いでいる。このホームページのバックナンバー「国家について」と「自由について」で代えたいと思う。
(興味と必要を感じたら読んでください。)
ここでは、せめて『「国家」と「市民社会」』あるいは『「政治的国家」と「社会的国家」』あるい
はまた『「国家」と「国」』さらに言えば『「国家」と「公共」』の違いぐらいはわきまえて議論すべ
きだということを指摘するにとどめよう。
さて、あなたは九条を撤廃するか改定すべしと言っているようだが、その理由を次のように述べて
いる。
「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にす
べきではないという教訓」は、実は「戦争放棄と戦力を持たないこと
を規定した九条を含む憲法」を持っていなくても可能です。それどこ
ろか、ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九
条を含む憲法」などなくても、「国際紛争の解決のためであっても、武
力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を胸に刻み、国
際平和を希求しているのです。
まず、過去や現在進行中の数え切れぬほどの戦争の事実についてあなたは何も知らないのだろうか、
と疑ってしまう。
一歩譲って『ほとんどの国が、「戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法」など
なくても、「国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという
教訓」を胸に刻み、国際平和を希求しているのです。』という認識を正しいとしよう。
このことから導き出せる結論は、私の論理力だと『だから軍隊は不要だ』となる。しかしあなた
の場合は『だから軍隊を持とう』となるらしい。私にはあなたの論理がとても珍妙に思える。
またあなたはこうも言っている。
「戦争放棄と戦力を持たないこと」というのは、日本一国が一方的
に行うことではなく、お互いの話し合いで決めるものではないでし
ょうか。それがなければ、それは戦争放棄ではなく「話し合いの放
棄」ではないでしょうか。
これも珍妙な論理だ。あらかじめ軍隊を持っていなければ話し合いには加われないといっている。
もう一つ、これは後で詳しく論じることだが、あなたは別の箇所で憲法問題は「国内問題に過ぎな
い」と言っている。それがここでは戦争放棄を「日本一国が一方的に行うことではなく、」国際的な
「話し合いで決めるもの」という。大変な矛盾だ。
さて、現在進行中の憲法「改正」論議の中では憲法の文言そのもの以上に、憲法と国家の関係が
一つの大きな争点となっている。
現憲法はその前文から明らかなように、憲法は国家のあり方やその進むべき方向を人民の側から
指し示すものと位置づけられている。
一方「改正」論者たちの多くは憲法を、欽定憲法のように、国家が国民に生き方や国家への貢献
の仕方やを指し示すものとしたいらしい。だから前文の書き換えも改憲論者の俎上に上っている。
私は現憲法の前文の理念を人類が共有すべき正しい理念だと思うし、九条は国家の在り方を指し示す
ものとして世界に誇れるものだと認識している。
また、九条と大きなギャップをなしている現実は自然にそうなったのではない。あなたも正しく認識
しているように、国家権力が「戦力を持たないことの規定」にも拘らず、意図的に「なし崩し的に変貌
させ」てきた結果である。従って現実と九条とのギャップの埋め方としては、あなたの言うように現実
に合わせて理想を捨てることに組するわけには行かない。現実をできるだけ理想に近づけるように現実
に働きかける方を私は選ぶ。その点で私は「九条の会」と立場を共にする。
もっともあなたにとっては九条は理想なんてものではなく、今や「日本の病理の中心」なのだから、
現実を追認するほかないのだろう。
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192. 憲法第九条をめぐって(7)
「アピールへのアピール」批判(3)
2005年2月21日(月)
さて、私は「国家権力」という言葉を使ったり自分のことを「国家に支配されている一人」と言った
りしてきたが、それに対してあなたはどんな感想をお持ちだろうか。
あなたの記事を読み進めていると、国家に対して相当な親和感を持っており、あなたの国家観に
は「国家権力」という概念や「国家に支配されている一人」という認識は入り込む余地がなさそうだ。
しかし、最後にあなたの国家に対する親和感は一転して、為政者に対する不信不満の述懐が、それま
での文脈から見ると、これも唐突に出てくる。国家の代弁者から一庶民に変貌する。
私たちが、本当に、平和を求める世界の人々と手をつなぐためには、この国を変えなければなりま
せん。憲法の条文を守ることより、今、私たちに必要なのは、私たちの意志が正しく反映させられる
国家を作ることです。今の日本は、かつての高度経済成長の時代も終わり、国家的な衰退を迎えつつ
あります。その中で、国を食い物にする官僚たち、そんな官僚の言うがままの政治家たちは、日本の
危機に正面から立ち向かうこともせず、悪政のツケをすべて一般の庶民に押し付けようとしています。
政治家や官僚に対するあなたの不信不満には諸手を挙げて賛同する。しかしそれを「憲法の条文を
守ること」と絡める必然性は全くない。
ここでもまた「国家的な衰退」とか「日本の危機」とかの言葉がその内実を明らかにされぬままに
一人歩きしている。
「衰退」の方はどうやら「経済的な衰退」のようだが、「危機」の方はどういう点がどうして危機な
のか分からない。これも単なる「経済的危機」を指しているのだろうか。そのような「衰退」や「危
機」を克服することを「国を変える」と言っているのなら、それと「憲法の条文を守る」こととを二
者択一の問題とするのは、これも珍妙な論理だ。
「衰退」や「危機」は置いて、前半の「私たちの意志が正しく反映させられる国家」に「国を変
える」という点だけに絞って考えてみる。
「私たちの意志が正しく反映させられる国家」に「国を変える」指針はどのようなのもでどこに
あるのか。その指針が憲法だ。憲法は国家が「私たちの意志が正しく反映させられる国家」となる
ための規範なのだから、「国を変える」とは憲法から乖離してしまった国家を憲法によりよくマッチ
したものに変えていくことになるだろう。「国を変える」ことと「憲法の条文を守る」ことを二者択
一の問題とするのはやはり珍妙だ。
もちろんこの場合、現在の憲法が『国家が「私たちの意志が正しく反映させられる国家」となる
ための』規範として満足なものかどうかという問題がある。そういう観点から見たとき、私は現憲
法には改正すべき点が少なからずあると思っている。その意味で私はいわゆる護憲派ではない。
さて、「アピール」とあなたとの間に大きな相違点がもう一つある。あなたは言う。
(「アピール」は)日本の国内問題に過ぎない憲法改正を「世界市民の意思」と結びつけ、矛盾に満ちた現実の固定
化をはかる。
「矛盾に満ちた現実の固定化をはか」るとは、私の言語感覚では「既成事実に拝跪する」ということ
と同意だ。はたして「矛盾に満ちた現実の固定化をはか」っているのはどっちだろうかと混ぜっ返した
いが、このことはもう既に述べた。
問題点は『憲法「改正」問題は「国内問題に過ぎない」』というあなたに対して「アピール」は
『「世界市民の意思」という概念を憲法に結び付けている』という点にある。
どうやらあなたにとって「国内問題に過ぎない」憲法論議に「世界の市民」という言葉が結びつくの
が理解しがいようだ。私の理解では、これは「アピール」で表明されている思想とあなたの思想の最も
重要な相違点だ。そしてその相違点のよってきる源泉は国家観の違いにある。
「世界の市民」と憲法の結びつきからは私は直ちに憲法前文を思い出す。「アピール」を誰が起草
して誰と誰の検討を受けて成立したのか知る由もないが、この「アピール」の筆者が憲法前文の理念
を踏まえて書いていることは確かだと思う。そして前文の理念を正しく理解するためには正しい国家
論が必要だ。
ここで私が「正しい」という意味は「現実と照らし合わせたときによりよく適合する」という意
味だ。そういう意味であなたは正しい国家論を欠いていると断じざるを得ない。そう断じる根拠とし
て、「アピール」が「色濃い国家不信を払拭できないでいること」にあなたが幻滅していること、政
治家や官僚たちへの道義的な怒りはあっても国家そのものへの疑念や不信はないこと、記事の中で
「国家」と「国」という2種類の言葉をほとんど同じ意味に使っていることなどを、あげる事がで
きる。
「アピール」がいう「世界の市民」という言い方には「国家」と「市民社会」を峻別して世界を考
えるという前提があると私は思っているが、ここからは推測になってしまうので「アピール」の考え
ではなく私の考えということになる。
国家観に関してもう一つ重要なことは「国家」と「市民」(私は「人民」という)の関係を「支配-被
支配」あるいは「抑圧-被抑圧」という関係から捉えることである。この観点から世界を見れば、世界に
はブッシュが言う様な「自由主義国家」対「ならず者国家」などという対立はなく、あるのは「支配
者・抑圧者」対「被支配者・被抑圧者」という対立があるばかりだという歴然とした事実が大きく浮
かび上がる。
憲法前文は、この「支配者・抑圧者」対「被支配者・被抑圧者」という対立を克服するという課題の
ための国家の役割を述べている。そしてこの課題は世界の全市民(人民)の共通の課題であるとも言っ
ている。「アピール」が「世界の市民の意思」と言っているのはそういうことだ。この私の理解では
「アピール」の言説にこれぽっちも「矛盾」はない。
憲法「改正」において大きく意見が分かれる論点の多くは、国家観の違いに由来する。あなたと
「アピール」、あるいはあなたと私の、憲法を巡る意見の相違も煎じ詰めれば国家観の違いと言う
ことになると思う。
乏しいながら私の知る範囲では、上述のような国家観を私は今のところ一番「正しい」と確信し
ている。
最後に私が上述の国家観を「正しい」と断ずる所以の援護として、「国家について」で引用した
文章を再録して終わることにしよう。このような国家観とあなたがお持ちであろう国家観とを、
どうか、現実と照らし合わせてることによって比較検討されんことを。
「国家の経済的繁栄が、そのまま日本人民衆の繁栄であるかのような錯覚に満ちわたっている。
日本の民衆は、自分たちが民衆にすぎないということすら、自覚していないのだ。
かくては、毎日の生活と生活環境への順応、治安の維持(支配のための)のための道徳と法律、
その法律をつくるための議会、議会のための選挙、われわれの坐臥、二十四時間、三百六十五日、
この国家という権力機構の操作の外に出ることはできない。繁栄といわれている現在ほど民衆の
精神生活が、わが精神環境の外側に吸収されて飢餓に瀕したことはなく、逆に国家権力がこれほど安定し
ていることもない。国家が民衆のものであるなどと、ぬけぬけとしたいい方があり、しかもなお
民衆がそれを疑惑することすらできない。」
「われわれは国家というものが、大衆の意志などとまるでまったく無関
係な政府によって、政府をつくる政党によって、政府をバックアップする
階級によって、資本家によって、官僚によって、あるいは地主らの総合的
利益のためによって、つくられて運営されて、下級民衆にはそのための必
要によってのみ支配の手が緩急されるという事実をあまりにも痛
切に経験しつつある。(中略)
国家、それは、社会主義を名乗ろうと王国であろうとデモクラシーの近代的国家であろうと、
その国家と民衆との関係は、圧制者と権力にしいたげられる奴隷との対立であることにかわりは
ない、ということにつきる。」
(秋山清「反逆の信条」より)
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193. 憲法第九条をめぐって(8)
ナショナリズムとは何か
2005年2月22日(火)
「アピールへのアピール」批判を書きながら、憲法制定の経緯とその当時の議論の理解の程度が現在の議論の質を
左右する大きな要因の一つだと感じた。「第188回」(2月17日)で「戦争が遺したもの」からの
引用文にそのことに触れる部分があったが、できるだけ正確な情報を求めようと思いたった。
小熊英二著「<民主>と<愛国>」の第4章「憲法愛国主義」を読むことにする。
まず第三章の前書きで小熊さんは次のように書いている。
結論からいえば、憲法第九条はその制定当時においては、戦後の新しいナショナリズムの基盤とし
て「歓迎」されていた。しかしその「歓迎」には、さまざまな打算や利害、そして後年の対立の芽が
含まれていたのである。
「さまざまな打算や利害」がぶつかり合った当時の議論に「後年の対立の芽が含まれていた」ことは
当然のことと思える。現在の議論の論点はその当時の議論でも出尽くしているのではないかと私は
予想している。当時を振り返ってみようと思い立った所以でもある。
ところで、第四章の表題「憲法愛国主義」を奇異に感じた人がいるかもしれない。私がそうだった。
第四章には「第九条とナショナリズム」という副題がついている。この著書が「戦後ナショナ
リズム」の研究書なのだから当然の副題だが、「ナショナリズム」という概念について触れておきたい。
「ナショナリズム」という概念は使う人によってさまざまな意味合いが込められる。読む方もそれに
対して持っているそれぞれのイメージがあって、そのイメージの齟齬が議論を不毛にすることが懸念さ
れる。
私の中では、「ナショナリズム」とは国家権力が国民を統合支配するために打ち出してくる「共同
幻想」と言った意味合いの理解があり、否定的なものとして存在している。こうした「ナショナリズ
ム」についての固定観念をひとまず取り払ってから「第九条とナショナリズム」を読もう思う。
そこで本論に入る前に小熊さんの「ナショナリズム」についての論考に耳を傾けておこう。
以下は最終章「結論」からの引用である。
小熊さんは『心情の表現手段として「民族」や「国家」という言葉が採用された状況、』を「ナショナ
リズム」と定義して次のように続ける。
その場合の心情はきわめて多様であり、権力志向や他者への悪意もあれば、反権力志向や他者への連帯
願望もある。そうした個々の文脈を無視して、一括して「ナショナリズム」という総称を与え、それを
肯定したり否定したりしても、どれほど意味があるのか疑問である。
つまり「権力志向」も「反権力志向」も含めて「ナショナリズム」と呼んでいる。このような広義の
意で捉えた「ナショナリズム」の意をさらに広げる。
(戦後思想が抱えていた)欠陥と限界をふまえたうえで、戦後思想の「ナショナリズム」に読みなおし
を施すことを考える。その場合に参考になるのが、近年の在日コリアンや沖縄の「ナショナリズム」で
ある。
(中略)
上野千鶴子は2001年に、ある「在日韓国人男性」から、「在日ナショナリズムと呼ばれるものは、その
実ナショナリズムではない(」という発言を聞いたという。
上野によれば、「それは同化を強制する日本のナショナリズムには抗するが、だからといって韓国や朝鮮
のナショナリズムに同一化するわけではない」。そして「在日ナショナリズムは『領土なきナショナリズ
ム』『ナショナリズムに抵抗するナショナリズム』、いまだ適切な表現が生まれていないためにまちが
って『ナショナリズム』と呼ばれている」「『反権力と自由の思想』の別名」だという。
上野千鶴子さんが紹介しているこの事例を受けて小熊さんは「政府・領土・言語・国籍などに回収さ
れえない、ある種の共同性の希求」を肯定する。さらに『「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどう
かは各人の自由としよう」と言うほうが、よりましな姿勢ではないだろうか。』と控えめな言い方ながら、それをも
「ナショナリズム」と呼ぶことを肯定している。
上記引用文の少し前で、小熊さんは次のようにも述べている。
多くの戦後思想は、何らかの公的な共同性―それは「国民」「民族」「市民」「人間」などさまぎま
な呼称で表現されたが―を追求していた。その場合、「国民」や「民族」はもちろん、六〇年安保闘
争やべ平連などで唱えられた「市民」や「人間」も、ナショナリズムを全否定するものではなかった。
ここまで来ると『「ナショナリズム」とはある種の共同性を希求する心情を表現するもの』となり、
「市民ナショナリズム」とか「人間ナショナリズム」も可能となる。これはもう「ナショナリズム」
という言葉の本来の意味を大きく逸脱しており、別の用語を考えるべきだろうと私は思う。
しかしそれは置いて、小熊さんの論説の先を追ってみる。
自己が自己であるという感触を得ながら、他者と共同している「名前のない」状態を、戦後知識人たち
はあるいは「民族」と呼び、あるいは「国民」と呼んだ。それを「ナショナリズム」だったと批判す
ることは、たやすいが無意味なことである。そして、それらの言葉で表現されていた心情は、たとえば
全共闘の「連帯を求めて孤立を恐れず」というスローガンや、べ平連が唱えた「ふつうの市民」という
言葉や、前述の「在日ナショナリズム」の言葉で表現されていたものと、それほど隔たっていたとは筆
者には思われない。
すなわち、本書の結論は、以下のようになろう。新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思
想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しょうと試みてきた「名前のないも
の」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえ
を行なってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが
可能になる。
ここまで来てやっと私は小熊さんの真意を理解した。
小熊さんはこれまで「ナショナリズム」というレッテルで一緒くたにされてきた良質な戦後
の知的財産を、レッテルをはがして再検証することを提唱している。そして「ナショナリズム」という
言葉の言い換えに代えて、それをとりあえず「名前のないもの」と呼んでいる。
最後に小熊さんは次のように述べて、この著書を終えている。
そのとき、その「名前のないもの」に結果として与えられる、仮の名称がどのようなものになるのか
は未知である。そして、「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどうかは各人の自由としよう」。いず
れにせよわれわれは、この「名前のないもの」を、過去において求め、現在において求め、また未来に
おいても求めているであろうことは、確かなのである。
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194. 憲法第九条をめぐって(9)
歓迎された第九条
2005年2月23日(水)
まず、敗戦から憲法制定までの憲法関連年表を作ってみる。
1945年 8月15日 ポツダム宣言受諾
1945年10月 GHQ、ポツダム宣言に則り、(欽定)憲法の抜本的改正を勧告
1945年12月 8日 国務大臣松本烝治、衆議院で〈松本四原則〉を表明
1946年 2月 8日 〈松本四原則〉に基づいた〈憲法改正要綱・松本案〉をGHQに提出
1946年 2月13日 GHQ、〈松本案〉を拒否。
〈マッカーサー草案〉を参考に憲法草案をつくるよう勧告。
1946年 2月26日 日本政府、新草案作成の作業に入る。
1946年 3月 2日 GHQからの数度の督促を受けて〈3月2日案〉を完成。
1946年 3月 4日 GHQに提出。
GHQは,その場で〈最終案〉をつくるための共同研究会を提案。
1946年 3月 4日〜 5日 〈3月2日案〉が徹夜で検討され、 大幅に修正される。
1946年 3月 6日 〈最終案〉を〈憲法改正草案要綱〉とし、勅語、首相の談話とともに発表。
マッカーサーは、この要綱を全面的に支持する声明を出す。
1964年 6月20日 「帝国憲法改正案」として帝国議会に提出
1946年10月 7日 衆議院・貴族院による修正を受けて成立。
1946年11月 3日 公布
1947年 5月 3日から施行
(以下断りがない限り引用文は、小熊英二著「<民主>と<愛国>」の第4章
「憲法愛国主義」からのものです。
ポツダム宣言受諾より〈最終案〉成立までわずか7ヶ月であった。GHQにはソ連を含む連合国の極
東委員会の開催を控えて、早急に日本の戦後体制を決定したいという事情があった。
「欽定憲法」の改正で済まそうとしていた〈松本案〉を拒否してGHQが日本政府につきつけた
〈マッカーサー草案〉は、GHQ民政局(GS)のメンバーたちがわずか九日間で起草した英文をもと
に作成されたものだったと言われている。この案に対する日本政府の反応は
GHQ側が提示した憲法案は、日本政府が準備していたものとは大幅に異なる内容であり、当初は
驚きをもって迎えられた。GHQ側の記録によれば、1946年2月13日に日本側要人にGHQ案が手交され
たさい、「日本側の人々は、はっきりと、ぼう然たる表情を示した。特に吉田〔茂〕氏の顔は、
驚愕と憂慮の色を示した」という。
しかし3月6日の政府案の発表の時には保守派も一様に歓迎を表明したという。
憲法改正審議の国会で吉田首相などの発言。
当時の吉田茂首相は、第九条について「高き理想を以て、平和愛好国の先頭に立ち、正義の大道を踏み
進んで行こうと云う固き決意を此の国の根本法に明示せんとするものであります」と述べている。議員
たちからも、「万国に先駆けて規定致しましたことは、洵に我々国民として誇りとする所であります」
「光は正に日本よりと申すべきであります」といった発言が数多く出された。
さらにこの憲法改正審議で、吉田が「今日までの戦争は多くは自衛権の名に依って戦争を始められ
た」と述べて、自衛権を明確に否定したことはよく知られる。また吉田とともに答弁に立った前首相
の幣原喜重郎も、核兵器が開発された現代においては、軍備による自衛で生き残ろうという思想のほ
うが、「全く夢のような理想に子供らしい信頼を置くものでなくて何であろうか」と主張している。
1947年 5月 3日憲法施行の折の各新聞社の社説。
たとえば『日本経済新聞』は、「敗戦後の現在にあつて、われら国民が自信をもつて内外に示し得る
ものが果していくつあるか。新憲法こそやゝもすれば目標を見失い勝ちな国民にはつきりと行先を教
え、世界に偽りもひけめも感ずることなしに示し得る最大のものであろう」と述べた。『読売新聞』
も、「原子力時代に一握りの軍備が何程の意味もなさぬ」と強調し、第九条は「決して単なる敗戦
の結果″ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」と唱えた。『毎日新聞』は憲法を評
して、「これからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理である」と述べている。
「第187回」(2月16日)で紹介した辺見庸さんの文章の中に引用されていた「あたらしい憲法のはな
し」が政府の教育政策の一つとして文部省から発行されたのが1947年8月だった。憲法九条は児童生徒た
ちの中にも浸透していった。
当時10歳だった大江健三郎さん回想。
終戦直後の子供たちにとって《戦争放棄》という言葉がどのように輝かしい光をそなえた憲法の
言葉だったか。ぽくの記憶では、新制中学の社会科の教師が、現在の日本大国論風のムードにつな
がる最初の声を発したのが、《戦争放棄》をめぐってであった。日本は戦いに敗れた、しかも封建
的なものや、非科学的なものの残りかすだらけで、いまや卑小な国である。しかし、と教師は、突
然に局面を逆転させるのだった。日本は戦争を放棄したところの、選ばれた国である。ぼくはいつ
も、充分に活躍する最後の切札をもってトランプ・ゲームをやっているような気がした。このよう
にして、《戦争放棄》は、ぼくのモラルのもっとも主要な支柱となった。
以上のようは政治家、新聞社の筆者、教師、児童などの共通の心情を小熊さんは「第九条を基盤と
したナショナリズム」あるいは「憲法愛国主義」と呼んでいる。
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195. 憲法第九条をめぐって(10)
〈マッカーサー草案〉以前の言論から
2005年2月24日(木)
1946年2月13日、日本政府関係者や保守派政治家たちは〈マッカーサー草案〉を驚愕と憂慮を
抱きながら受け取った。
3月6日、その骨格のほとんどを変えぬまま成った〈憲法改正草案要綱〉を出した時点では
彼らの態度は一様に歓迎一色に変わった。
この約3週間の間に何があったのか。「さまざまな打算や利害」のぶつかり合いを容易に
想像できる。
しかし「さまざまな打算や利害」とは無縁なところで一般国民が純粋に「九条」を歓迎する
素地が形成されていたに違いない。「さまざまな打算や利害」を検証する前にそうした素地を
検証しておこう。
敗戦直後(〈マッカーサー草案〉以前)から大部分の戦後知識人たちは、敗戦で荒廃した
日本を再建するための新しいナショナル・アイデンティティとして「文化国家」や「平和
国家」といったスローガンを掲げていた。
たとえば評論家の河上徹太郎は、1945年10月に「政治、軍事、経済すべての面で手足をもが
れたわが国の唯一のホープは文化である」と述べたし、京都学派の高坂正顕も8月20日の新聞
寄稿で「戦争に負けたということは総力の点において敗れてしまったということではない」と
して「文化戦争に勝て」と唱えた。東久適首相も1945年8月の記者会見で、「一億総懺悔」とと
もに、「この際心機一転わが民族の全智全能を人類の文化に傾注」することを唱えている。
「『天皇制』論集」に高野岩三郎という方の「囚われる民衆」(「新生」1946年2月号)という論
文が掲載されている。この論文は主として天皇の処遇を論じている。東大教授の横田喜三郎が
「民主主義の確立と天皇制維持との妥協案」(天皇を「国民的儀礼的機関」とするというようなも
ののようだ。象徴天皇制を先取りしている。)として発表していた案を批判して言う。
現下の状勢においてすでに憲法の改正により主権在民の根本原則を容認せしむることができると
考うるならば、何が故に単に儀礼的機関に過ぎざる天皇制を存置するの要ありや、むしろただ一歩
を進めて紙一重の障害を撤去し、天皇制の維持を放棄するに躊躇せずして可なりとせずやとの点で
ある。しかるにもかかわらずなおかつ天皇制に未練を残して純然たる民主主義の採用に猛進せざる
は、依然として天皇制に対する若干の信頼と民主制に対する自信の念の薄弱とによるものではある
まいか。もしはたしてしかりとするならば、このことはわが国における民主制の将来に対してすこ
ぶる憂うべきことといわざるを得ない。今やわが国における新時代の発足にあたってはわれわれは
いかなる困難もこれを突破し、幾多の荊棘(もこれを排除
して真に新しい途を開拓するに鋭意努力しなけれはならない、いやしくも過去の残存勢力に恋々と
し、一種の仮空的迷信や、頼むべからざる偶像に依頼するの痕跡を留むべからずと信ずる。いわん
や軍閥財閥の過去の勢力はすでに芟除(せられたるも、残存
の余燃はなお潜在し、再起の機会を狙いつつあるものと覚悟しなければなるまい。殊にわが国民は
由来自主独立の気象欠如し、とかく既存勢力に依頼する傾顕著なるをもって、五年十年の後連合軍の威圧力緩減し
たる暁において、反動的分子が天皇を担ぎ上げて、再挙を計ることもけっして絶無なりとは断じ
難い。したがって私はこの際あっさりと天皇制を廃止して、主権在民の民主制を確立し、人心の一新
帰一に向って勇往邁進、国民の啓蒙に大々的努力を払うをもって得策とすと信ずる。天皇制の廃止論
は現下わが国においては共産党の独占に限らるる観あるも、社会党の内部にも、また冷静に民主政
治の理念を考察する有識者の間にありても、たとい私のごとき生立ち境遇よりして自由にこの問題を
考え得べきものでなくとも、またたとい天皇の個人に対しては愛敬の念禁じ難き場合にも、同様の
思想を抱くもの世間その人に乏しからずと認められる。これ私があえて私見を開陳して世人の参考
に資せんと欲する所以である。
一民間人が天皇制廃止の意見を開陳している。そしてそれを「同様の思想を抱くもの世間その人に
乏しからず」と認識している。そして象徴天皇制という妥協案であろうと天皇制を残すことは
「わが国における民主制の将来に対してすこぶる憂うべきことといわざるを得ない。」と喝破している。
この憂慮がいま60年後に現実化しようとしている。
私はいまは九条をテーマにしているのだが、岩田さんの論文には軍備についての意見はない。最後
に掲載している「改正憲法私案要綱」にも軍備に関する章がない。まだ確たる意見の集約ができなかったのか、
軍備を持たないことを既成の了解事項としていたのか、知るよしもないので今はそれは置く。
岩田さんは論文を次の文章で結んでいる。
終りに新時代における民衆の解放その民主主義化は政治および経済の方面以外さ
らに文化方面においてもまた行なわれなければならない。それはすなわちわれわれ
の各種生活方面における合理主義、科学主義の徹底的実行である。これより派生す
るところの要求は科学の尊重その振興を始めとし、教育の平等男女の機会均等化、
文化的享楽の権利、休養の権利、文化的生活水準の享受、信教の自由等々となつて
現われるのである。
これを要するに現代の憲法なるものは広く民衆の政治・経済・文化の三方面にわ
たりその生活の基準となるペき根本原則を規定すべきものであって、しかもそれは
現在および将来におけるわが民主政治の円満かつ円滑なる進展に資するものであら
ねばならぬ。ここにおいてかわれわれ同志数人は事の重要性に鑑みて、さきに憲法
研究会を作り、数回会合を催おし意見を交換し機やや熟するを待ちこれを鈴木安蔵
君の手を煩わして一の成案に纏め、去る一月中旬政府に提出して参考に供すると同
時に、世に公けにしたる次第である。しかしながらこれよりさき私は別に一の私案
を作製して会員に示した。以下に掲ぐるところのものはすなわちそれである。畢竟
私自身多年憲法に関して抱懐せる所見を箇条書的に列挙しいささかこれに体系を与
えたるにとどまる、すこぶる蕪雑なる構想の羅列に過ぎずして不備欠点に充つるは
私自身のひそかに自覚するところである。研究会案ほ多くの智能の集積に成りかつ
巧みに鈴木君によって編整されたるが故に、終始一貫してその整然たる体制を備え
たるに反し、私案はすこぶる雑駁なるの譏りを免かる能わずと思惟すれども、会員の
中にはかくのごとき試案を案じたるものもありしかと考え、多少の参考に供せらる
る人士あらは、至幸とするところである。
「去る一月中旬政府に提出して参考に供すると同時に、世に公けにしたる次第で
ある。」とある。前のほうの文章に「(天皇制について)憲法研究会同人とも所見を
異にする。」とあるので、「憲法研究会」が「改正案」を政府に提出したと考えてよ
いだろう。
その同人であった岩田さんの論文から推測すると、相当進んだ「改正案」だったと思
われる。このような案が数においてどれほど発表されていたのか分からないが、ともかく「松本案」
の1ヶ月前にこのような進んだ案が民間で書かれていた。 GHQが「欽定憲法」の若干の手直しに過ぎ
ない「松本案」を日本国民の意思を反映したものではないと判断したのは当然のことだったのではな
いか。
最後に岩田さんの「改正憲法私案要綱」の始めの2章を掲載して参考に供したい。
根本原則
天皇制ニ代エテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用
第一主権オヨビ元首
日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル
日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トス
大統領ノ任期ハ四年トシ再選ヲ妨ゲザルモ三選スルヲ得ズ
大統領ハ国ノ内外ニ対シ国民ヲ代表ス
立法権ハ議会ニ属ス
議会ノ召集開会オヨビ閉会ハ議会ノ決議ニヨリ大統領コレニ当タル、
大統領ハ議会ヲ解散スルヲ得ズ
議会閉会中公益上緊急ノ必要アリト認ムルトキハ大統領ハ臨時議会ヲ召集ス
大統領ハ行政権ヲ執行シ国務大臣ヲ任免ス
条約ノ締結ハ議会ノ議決ヲ経テ大統領コレニ当タル
爵位勲章ソノ他ノ栄典ハ一切廃止ス、ソノ効力ハ過去与ラフレタルモノニ及プ
第二 国民の権利兼務
国民ハ居住オヨビ移転ノ自由ヲ有ス
国民ハ通信ノ自由ヲ有ス
国民ハ公益ノ必要アル場合ノホカソノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
国民ハ言論著作出版集会オヨビ結社ノ自由ヲ有ス
国民ハ憲法ヲ遵守シ社会的協同生活ノ法則ヲ遵奉スルノ義務ヲ有ス
国民ハ納税ノ義務ヲ有ス
国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
国民ハ生存ノ権利ヲ有ス
国民ハ教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス
国民ハ休養ノ権利ヲ有ス
国民ハ文化的享楽ノ権利ヲ有ス
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196. 憲法第九条をめぐって(11)
打算と利害
2005年2月25日(金)
「<民主>と<愛国>」に戻る。
九条が受け入れられる素地として、前回の引用文ように、知識人たちの言論を紹介した後、小熊さんは
石原莞爾の「平和」と「道義」の主張を紹介している。私はとても興味深く読んだ。出処は「読売報知」で
日付は敗戦直後の1945年8月28日。
……戦いに敗けた以上はキッパリと潔く軍をして有終の美をなさしめて軍備を撤廃した上今度は世界の
輿論に吾こそ平和の先進国である位の誇りを以て対したい。将来国軍に向けた熱意に劣らぬものを科学、
文化、産業の向上に傾けて祖国の再建に勇往遇進したならば必ずや十年を出でずしてこの狭い国土に、
この超大な人口を抱きながら、世界の最優秀国に伍して絶対に劣らぬ文明国になりうると確信する。
世界はこの猫額大の島国が剛健優雅な民族精神を以て世界の平和と進運に寄与することになったらど
んなにか驚くであろう。こんな美しい偉大な仕事はあるまい。かかる尊い大事業をなすことこそ所謂天
業恢弘であって神意に基づくものである。……天業民族に神様から与えられたこの国以外に領土をや
たらに欲しがるに及ばない。真に充実した道義国家の完成こそ吾々の最高理想である。
満州事変を引き起こした張本人で戦争のことしか頭にない軍人バカという、石原莞爾に対する私の
偏見とも言うべき先入観は揺らされた。「民族精神」とか「天業」とか「神意」とを持ち出さなけれ
ば収まらない思考傾向にはうんざりするが、「ああ、こういうまともな事も考えられるのだなあ」
と変な感心をしている。
身近に戦死者や戦災罹災者が満ち満ちていて、日々の生活と言えば、毎日すきっ腹を抱え、ただ生き
ながらえることに精一杯だった庶民には当然戦争への呪詛の気持ちが強かっただろう。知識人や軍人
たちのような憂国の心情などとは無縁でも九条は歓迎されるべきものだったはずだ。
支配階層の者たちにとってはまず天皇制維持が重大事だった。第2が共産主義に対する警戒心が
強かった。ほとんど恐怖心と言ってもよいほどのものではなかったか。
GHQにはソ連を含む極東委員会への対策と言う事情があった。また、ポツダム宣言を受託した日本
政府にとっては「マッカーサー案」は拒みようがなかった。天皇への戦争責任追求が免れ、曲がり
なりにも天皇制を温存できるなら、むしろ九条を歓迎せざるを得なかった。
憲法草案発表直後、経済支配層(財界)の反応を朝日新聞は次のように報じているという。
この儘では激流の真只中にどこまで押し流されるか判らない今日、天皇制護持資本主義存続といふ
点で大きな枠がはめられ、将来に対する一応の見透しがついたと同時に、共産党を先頭とする急進勢
力からの圧迫がこれによってある程度緩和されるのではないかと観測し、安堵とゝもに賛意を表明し
てゐる。
天皇周辺の動きはどうだったのか。
渦中の昭和天皇は、GHQ側の原案を、「今となつては致方あるまい」と受容したとされている。
それでも昭和天皇は、皇室典範改正の発議権確保と、華族制度の存続を希望したが、これらは実現
不可能とみた日本政府が握りつぶした。そして1946年3月6日の草案要綱公表にあたっては、マッカ
ーサーの声明とともに天皇の勅語が添えられ、「進んで戦争を抛棄して誼を万邦に修むるの決意」
をよびかけている。天皇制そのものが危機だったこの当時は、天皇が憲法への支持を訴える側だった
のである。
そして支配階層の思惑通り事は進んでいく。
急速に勢力を伸ばした共産党は、社会党との「人民戦線」の結成を模索していた。危機に追いこまれ
た保守政治家たちにとって、思いきった改革案を提示する以外に、選択肢はなくなっていたのである。
実際に新憲法草案の公表は、保守政権の危機を救うかたちとなった。3月6日の草案要綱の発表後、
この草案を支持する社会党と、天皇制打倒を唱えて草案に反対する共産党は、対立状態に陥ってしまう。
そして政府は草案要綱公表の四日後、四月に総選挙を行なうことを告示した。改革の機運を先取りした
保守政党は支持を集め、とくに吉田茂を中心とする自由党がこの選挙で躍進し、政権を獲得した。
新憲法は、たんにアメリカからの圧力で押しつけられたというより、保守政治家たちの生き残り策と
して受容されたのである。
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197. 憲法第九条をめぐって(12)
九条への反対意見
2005年2月26日(土)
天皇制を存続させた憲法に共産党は当然反対している。そして九条に対しても共産党は反対を
している。
共産党の新憲法反対は、第九条にも向けられていた。1946年の憲法改正審議で、衆議院議員となってい
た共産党の野坂参三は、「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危くする危険がある」と第九条に
反対したのである。
共産党が主張したのは、すべての戦争の放棄ではなく、人民のために行なわれる「解放戦争」と、
資本主義・帝国主義による「侵略戦争」を区別することであった。そのため憲法の審議においても、
「民主主義的国際平和機構に参加し、如何なる侵略戦争をも支持せず」という趣旨への変更が主張
された。
(中略)
野坂参三は、戦争の放棄は「憲法の条文の中に一項目入れるだけに依って実現されるものではない」
と述べ、徳田球一は「戦争は実に資本主義の内部矛盾から起ったのでありますから、必然戦争を抛棄
するならば、資本主義をどうする」と迫った。さらに野坂は、戦争一般の放棄ではなく、侵略戦争へ
の反対をうたうべきだと主張し、「首相は過去のあの戦争が侵略戦争ではないと考えられるかどうか、
之を此処ではっきりと言って戴きたい」と質問した。
答弁に立った吉田首相は、「此の度の戦争の性格に付ては、徳田君の意見と私は同意が出来ない」
と述べ、「正当防衛権を認むることが遇々戦争を誘発する所以である」として、自衛戦争をふくめた
戦争一般の否定を主張した。この場面についていえば、第九条と戦争放棄は、資本主義擁護や侵略
責任のあいまい化と、一体にされていたのである。
南原繁貴族議員が共産党と並んで九条に反対していた。南原の論点は「国家の自衛権の正当性」と
「国際貢献」であった。
南原によれば、今後の日本のとるべき道は、「単に功利主義的な、便宜主義的な安全第一主義と云
うものの平和主義であってはならぬ」。そして日本は、侵略戦争という「我々の罪過」を償ったうえ
で、「正義に基いた平和の確立」のために、積極的な国際貢献をするべきだというのである。
こうした主張にあたり、南原が現実的な問題として挙げたのは、国際連合への加盟だった。
1932年に満州国承認問題で国際連盟を脱退した日本が、国際連合に加盟を認められるかどうかは、
当時の外交課題であった。そして国連憲章第四三条には、加盟国にたいし、国際平和維持活動への
兵力提供を義務づける規定があった。すなわち、日本が軍備を全廃すれば、国際連合への加盟に
障害をきたす可能性があったのである。
南原は、1946年8月の貴族院での憲法改正審議で、こう述べている。
尚国際連合に於きまする兵力の組織は、特別の独立の組織があると云うことでなしに、各加盟国
がそれぞれ之を提供すると云う義務を帯びて居るのであります。茲に御尋ね致したいのは、将来日
本が此の国際連合に加入を許される場合に、果して斯かる権利と義務をも抛棄されると云う御意思
であるのか。斯くの如く致しましては、日本は永久に唯他国の好意と信義に委ねて生き延びむとす
る所の東洋的な諦め、諦念主義に陥る危険はないのか。寧ろ進んで人類の自由と正義を擁護するが
為に、互に血と汗の犠牲を払うことに依って相共に携えて世界恒久平和を確立すると云う積極的理
想は、却って其の意義を失われるのではないかと云うことを憂うるのであります。
(中略)
吉田首相は南原の質問にたいし、「今日は日本と致しましては、先ず第一に国権を回復し、独立を
回復することが差迫っての間題であります」と述べ、「それ以上のことは御答え致すことは出来ない
のであります」と突っぱねた。とりあえず憲法を占領下の暫定措置として受け容れるというのが、吉
田の考えであったと思われる。
こうした吉田にたいして、南原はこう述べている。
……国民の一部には是は占領下の憲法であるから己むを得ない場合もあろう、従って或は又改正し
ても宜いじゃないかと言う意見も相当な範囲にない訳じゃありませぬ。……けれどもそう言った真実
でない態度を持っては私は相成らぬと思う。苟もどう言う事情があったにせよ、日本政府が作り、又
日本の帝国議会が之に協賛したと致しますれば、其の責任が日本のものであり、日本の憲法として我
々は何処迄も確立しなければならぬのでありまして、此の点は特に政府に於きましては非常に大きな
責任が今後おありになると思います。
制定過程にどういう事情があれ、ひとたび制定されたらそれは紛れもなく日本の憲法である。
それを「我々は何処迄も確立しなければならぬ」責任があるといっている。GHQの顔色をうかがい
既成事実に拝跪していく政府の政治姿勢を厳しく批判している。
その後、日本政府は一貫してアメリカの顔色をうかがいながら自衛隊と言う既成事実を大きくしてきた。
九条に反対していた南原繁の上記の批判が、そのまま現在の日本政府の政治姿勢への批判になって
いる。皮肉なものだ。
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198. 憲法第九条をめぐって(13)
賛成は反対、反対は賛成
2005年2月27日(日)
国会での憲法審議において実は九条は修正されている。第二項の冒頭に「前項の目的を達する
ため、」という文言入れる修正。
解釈改憲は大変な無理・矛盾を押し通すことになるから、その論理は当然詭弁だらけである。
再軍備を正当化する論理に「前項の目的を達するため、」が持ち出さる。『第一項でいう「国際
平和」という目的を害さないのなら戦力保持は可能だ。』と。
ちなみに、1949年南原繁は吉田茂が推し進めていた「単独講和」に反対し「全面講和」を唱え、
吉田茂から「曲学阿世の徒」という罵声を浴びせられている。
この南原繁は後には護憲勢力の一翼を担うことになる。「南原のみならず、後年に護憲を唱
えた戦後知識人のなかには、当初は憲法に冷淡な姿勢をとっていた者が少なくなかった。」と言う。
小熊さんは例として竹内好と丸山眞男を取り上げている。そのうち1964年敗戦直後の丸山眞男の回想。
…‥民主主義万々歳の巷の叫びにおいそれと唱和する気になれない。それは政治的保守じゃないけれ
どやはりー種の保守的な心情とくっついているんです。……だから、復員してから最初の講義のとき
にすぐ思いついたのは、フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」だった。きのうまではプロシャの旧支配体
制に乗っかって甘い汁をすっていたのに、こんどナポレオンが来ると、きのうまでの支配者に、あた
かも自分たちがはじめから反対していたかのように、たちまち香煙をささげる相手を変える、こうい
う無恥なことをして平然たるのはドイツ国民だけであると、フィヒテはあそこで言っているんで
すね。……
……同じ人間が世の中が変ったというだけでそう簡単にきのうときょうで変ってたまるかといっ
た、ほとんど本能的な反発というか、意地っ張りの根性が、他方でのあふれ出るような解放感と
奇妙にないまぜになっていたように思うんです。
ここで丸山が言う「保守的心情」を小熊さんは『「自分自身で考え、なっとくしたもの」でなけ
れば了解できないという心情、すなわち「主体性」にほかならない。』と分析している。そして次の
ように続けて言う。
そして1950年代に護憲勢力の中核となったのは、こうした心情をもつ人びとだった。すなわち彼らは、
南原が議会で述べたように、「どう言う事情があったにせよ、日本政府が作り、又日本の帝国議会が
之に協賛したと致しますれば、其の責任が日本のものであり、日本の憲法として我々は何処迄も確立
しなければならぬ」という姿勢をとったのである。
そして、こうした護憲論の背景にあったものの一つは、やはり戦死者の記憶であった。
マクベスの冒頭、三人の魔女が合唱する。「きれいはきたない、きたないはきれい」
当初九条を賛美していた保守政治家たちは、アメリカの占領政策が転換した1950年代以降今度は
憲法を批判し始める。九条を巡る賛否両論の担い手が入れ替わる。賛成は反対、反対は賛成。
さて、小熊さんは次のようにこの章を結んでいる。
占領軍から与えられた憲法が、「日本の憲法」となりうる可能性を支えていたのは、戦争体験
と戦死者の記憶であった。戦死者の死を無意味に終わらせないためには、敗北によってもたらされ
た戦後改革が、有意義なものでなければならなかったのである。
しかし日本政府は、冷戦の高まりとともに、秘密裏に第九条の規定を度外視しはじめていた。早
くも1947年9月13日、芦田均外相らが作成し、GHQのアイケルバーガー中将に手交した文書は、米ソ
の対立が解けない場合、米軍の駐留による防衛を希望する旨を唱えていた。ほぼ同時期から、アメ
リカ側も初期の武装解除政策から、日本を反共同盟国として育成する方針に転換しはじめる。……
……1946年においては、既成事実に順応する者と、憲法の理念を少しずつ体得しようとする者の
双方が、第九条を新しいナショナリズムの基盤として、戦後日本の再出発をはかろうとしていた。そ
して当然ながら、その後に出現した状況は、この両者の共存状態が崩れてゆく過程だった。そして
憲法をめぐる抗争は、敗戦後に生まれた新しいナショナリズムを防衛しょうとする勢力と、それを
破壊しょうとする勢力との、対決の様相を呈してゆくことになるのである。
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