81. 石原の陰湿で狡猾な弾圧
 2004年11月3日



 米長が、そのホームページに「残されている宿題を二つやりつつ、後任者へバトンタッチ」と書いて いた。この二つの 宿題とは何か。当然石原による都立学校の教育支配の完成を目指す最後のツーステップということになる。

 石原が都知事になってから都立高校の教育支配のために打ち込んできた楔のうち、教員たちの日常 の活動を 直接圧殺するような威力を発揮しているもを列挙する。(部外者の分析ゆえ、捉えそこない、取りこ ぼしがあ るかもしれない。指摘いただけるとありがたい。)

1998年 学校管理運営規則の改悪
    (特に「職員会議を校長の補助機関として明確に位置づけ」たこと。これにより今まで 職員会議によって決めてい たあらゆる重要事項が校長の独断によって決定することが可能になった。

2000年 人事考課制度の導入
    (教育にはなじまない成績評価主義を持ち込む。これは最後のツーステップへの布石。)

2003年 主幹制度の導入
    (教員の5段階分断の完成)

2003年 異動要綱の改悪
    (校長の意に染まない者を恣意的に異動させる事ができる。)

2003年 いわゆる「9・23通達」
    (「職務命令→処分」の前例作り。なにかというと「職務命令」が出されるようになるので はないか。)

 さて、最後のツーステップは何か。

@
 9月7日付で、都教委から都立学校長に「教職員の普通昇給に係る業績に基づく延伸の実施について」 という通達が出された。
 今年度の業績評価に基づいて来年度から実施される。評価がC,Dの教員は昇給3ヶ月延伸というもの。
 全教員について業績を評価するなど、教頭・主幹・主任などを手先に使っても不可能だろう。 大体個々の教員がやっている 授業の良し悪しを決めるのは生徒だし、校長・教頭・主幹・主任などのヒラメ教員に他者の授業の 適正な評価をする力量などあるものか。結局は、校長のやることや言うことに逆らったり反対する 教員への見せしめに使うのが目的だ。授業内容でのC,Dがあるとしたら、「問題提起型教育」 に対するものだ。

A
 「学校経営支援センター」の設立。
 地域ごとに、校長も含め、学校全体を監視する体制作りだ。そこから派遣される職員は校長級だそうだ。やがて、 大日本帝国時代の「視学官」のような猛威を振るうようになるだろう。

 どれもオブラートに包まれていて、権力側が出す情報を鵜呑みにして受け入れる大多数の 一般都民にはその真の狙い(権力による教育支配)は分からない。受けのよいスローガンを掲げ、「す べていいことじゃないか」としか受け取れないように企まれている。
 例えば、教育の場に「企業の論理」を持ち込んだ「人事考課制度」のパンフには「子供たちが、楽しく伸び伸びと学 ぶことができる学校づくりを!」とでかでかと書かれているが、「人事考課制度」と「楽しく伸び伸びと学 ぶことができる学校」を結ぶ論理は何にもない。

 大日本帝国時代の弾圧は、特高を初めとする官憲を使ってのあからさまな暴力的弾圧だった。今は、一応建前は民主主義国家 だから、一般国民の支持を得られないような無茶な暴力的弾圧を大々的にはできない。(個別的にはたくさんの例がある。 最近の例では、反戦ビラをポストに入れたり反戦の落書きだけで、家宅侵入とか建造物破損とかの矮小化した罪状で逮捕 されている。)
 そこで権力側は、オブラートに包んだソフトな形で、より陰湿で狡猾な弾圧を考え出していくだろう。石原がやっている ことはその典型という事ができる。

 これだけのすさまじい攻撃に対して、組合はただ拱手傍観するばかりなのか。
 大多数の一般都民がその事実を知らぬまま、もう都立学校は完全に石原に支配者されてしまったと言って もよいように、私には思われる。

 だからこれからの石原との闘いは、防御ではなく、奪還の闘いと位置付けるべきではないだろうか。
 一度奪い取られたものを奪還するのは容易ではない。勿論敵は石原だけではない。連帯すべき味方も 教育労働者だけではない。他の労働者も同じ状況に追い込まれている。全人類の課題である支配者 対被支配者の闘いである。長い闘いだし、広範な連帯を必要とする。


82. 大杉榮の教育論
 2004年11月4日



 大杉榮氏が甘粕と言う憲兵に虐殺された2,3年後に出版されたものと思うが、 世界文庫版の「大杉榮全集」というのがある。30年ほど前にそれの復刻版が出版された。 大杉榮氏については教科書程度の知識しかなかったが、どういうわけか私はその復刻版全集を 購入している。購入したけど、一度もひもとくことなく「積読」ままだったのを、数日前から その全集の拾い読みを始めた。

   私は15回と17回で、深く共鳴したフレイレの教育論を紹介した。その教育論のキーワードは「銀行型教育」 と「問題提起型教育」である。

 「大杉榮全集」第1巻「論文集」の最初の論文「個人的思索」は教育論で始まる。その内容に 私は驚き、また我意を得たりとうれしくもなった。
 大杉氏の教育論の骨子はまさに「銀行型教育」と「問題提起型教育」なのである。

『 何學間でもさうだが、其の最初からの研究方法を教へずに、ちゃんと出来上がった學説を真っ 最初から覚えこますのが、今日の學校教育である。だから其の研究方法と云へば、學ぶべき學説 の順序正しき排列である。参考書の羅列である。なるべく自分で頭を使はずに、しかも無駄のな いように、多くの書物を読む事である。  従って今日の學者の書物は、総て極めて解り易く書かれてある。読んでさへ行けば、大して考 へずとも、又大した疑ひも挾まずに、ひとりでに合點の行くように書かれてある。これは、ちよ っと見には甚だ結構な事のやうにも思はれるが、しかし其の實際をよくよく考へて見れば、甚だ 怪しからぬ事なのである。即ち斯くの如き書物の書き方は、教育を官營する國家にとって、次ぎ の如き二重の利益がある。先づ第一には将來國家の為めに有用な人物となるべき生徒に、短か い時間にいろいろな事を覚させる事が出來る。そして第ニには、國家の為めには常に有害な 個人的思索の能力を早くから減殺させて了ふ事が出來る。』

 国家権力にとって都合のよい教育を述べている。 「短かい時間にいろいろな事を覚させる」教育=「銀行型教育」がそれだ。
 これに対して、「個人的思索の能力」の育成は国家権力にとっては常に有害なの だと断じている。そして

『此の個人的思索の能力を發達さすと云ふ事が、實を云へば、教育の本當の目的でなければなら ぬのだ。又,一切の學問の研究方法と云ふのも、其處に基づかなければならぬのだ。けれども各 個人の此の能力の發達は、今日の組織の國家や社會にとつては、其の存亡に關するゆゆしき一大 事である。各個人は只だ、國家の教へる通りを其のままに覺えこんでゐなければいけないのだ。 殊に政治學とか、法律學とか、経済學とか、史學とかの社會科學に於ては、國家の教へる範圍以 外に、決して個人的思索を許さない。  そこで此の社會科學の範園内に於ける本當の研究は、何よりも先づ、政府的思想による一切の 學者と書籍とを斥けて、自らの眼を以て社會的事物を観察し、自らの頭を以てそれを判断し得る 力を造る事にしなければならぬ。』

「個人的思索の能力」、言い換えれば「自らの眼を以て社會的事物を観察し、自らの頭を以て それを判断し得る 力」を引き出す教育=「問題提起型教育」が本当の教育だと言う。

 「各個人の此の能力の發達は、今日の組織の國家や社會にとつては、其の存亡に關するゆゆしき一大 事である。」
 だからこそ、国家権力が教育を弾圧するとき、真っ先に狙われるのは「問題提起型教育」なのである。
 大日本帝国=特高が行った大々的な教育弾圧のはじめの餌食は「生活綴り方」教師たちであった。
 いま、「日の丸・君が代」以外での教育弾圧はみな「問題提起型教育」に対するものである。 その弾圧は「偏向教育」というレッテル張りで始まる。


83. 増田都子さんへの弾圧
 2004年11月5日



 権力は「問題提起型教育」を狙い撃ちする。

 増田さんは、沖縄の基地を扱った授業を「偏向教育」と攻撃され、繰り返し処分されてきた。 しかし増田さんは、果敢に力強く闘い続けている。その間のことを詳しく書いた 「教育を破壊するのは誰だ!」(社会評論社)という著書を出している。
 ちなみに、「サンデー毎日(9・26号)」の「サンデーらいぶらりぃ」で斎藤貴男さんが その本を紹介している。

 これらのことは、先日参加した集会で増田さんが用意した文書で知った。「義は我にあり!」という 題で、増田さんへの弾圧とそれへの闘いの概略が書かれている。それを用いて、増田さんへの連帯と支援 の意をこめて、増田さんへの弾圧とそれに対する闘いを簡単に紹介する。(詳しくは「教育 を破壊するのは誰だ!」をお読みください。)

  発端は一母親による足立区教育委員会への密告電話だった。
 97年1学期、増田さん(足立区立第十六中学校)は2年生の『地理・沖縄県の授業において、 NHK福岡放映の九州レポート「普天間基地と普天第二小」のビデオを使い、生徒の感想・意見を プリントしたものを教材として紙上討論を行った。』

 アメリカ人と結婚している一母親に授業のプリントを読むことを 示唆した者(都内公立小学校のある女性教員)がいて、これを読んだその母親が、 「反米教育だ、反米思想だ。」と足立区教育委員会指導室に密告電話をした。

 この密告電話も、以下に述べるそれからの成り行きも、増田さんが全く知らぬまま進行する。

 区教委は「何でも言ってくれ」とこの母親を激励した。校長・教頭も「反米偏向教育」 だと断定し、PTAの電話連絡網を利用して、増田さんの授業を問題視する保護者だけ集めた会を開き、 騒ぎまわらせた。
 この間、区教委指導室長は都教委にお伺いを立てている。都教委はその授業を「偏向教育とは 言えない」と指摘したという。都教委がこのような当然の判断が出来たのは、その頃の都教委が まだ石原の支配下になかったからだろう。
 しかし指導室長は、その事実を隠蔽したままことを進めていく。
 ちなみに、このときの指導室長は小学校長に、教頭は中学校長になっているという。「教育公務員として の資質・能力」によっぽど優れているのでしょう。

  親たちの騒ぎに巻き込まれた生徒から質問を受けて、自分の授業が問題にされていることを、 増田さんは初めて知る。
 生徒の質問に答えて、増田さんは

 『授業の中で、この母親を「この親」と匿名にし「このようなアサハカな思い上が りによる教育内容への干渉は許しません」と紙上討論プリントに書いて説明した。足立区教委指 導室長・指導主事、校長、教頭は密談の上、この母親に「名誉毀損」と、私を提訴させた。さらに、 この母親は自分の娘である生徒に、二学期から私の社会科 授業のみ「権利としてボイコット」をさせた。この生徒は、直後、当時の親友に「私はどうでもいい んだけど、お母さんが、 社会科の授業は出なくていいと言うから出ないんだ」と言っていた。そして三ヶ月後、 友人関係がうまくいかなくなって 不登校となり、その後、転校した。この母親は、それを私のプリントのせいだとして、 また騒ぎまわった。』

 実は、増田さんが狙われたのには、深い根があった。
 増田さんの前任校(足立区立第十二中)での卒業式(97年3月)で、君が代斉唱時に抗議の着席をした 生徒たちがいた。これを増田さんが行っていた「偏向教育」のせいだとし、区議会で鈴木明 という区議(民主党) が取り上げていたのだ。以来、区教委は増田さんへの弾圧の機会を狙っていた。
 区教委・学校・父母の秘密裡の連携も、上記の深い根も、裁判(足立十六中「名誉毀損」 捏造事件)の過程で判明したことであった。

 『私は、この母親が起こした事件の大騒ぎの中でも一度もたじ ろいだことはない。日本国憲法制定後、その理念に反する政治 が何十年も実施され、同様、教育憲法たる教育基本法の理念に 反する教育行政が何十年も実施されている以上、憲法・教育基 本法の理念に忠実な社会科教育は、いずれ、どこかで激突する だろうと思っていた。人権尊重・人格の尊厳・自由・真理と正 義・自主的精神……そういった教育上の基本的なものが、体系 的に、否定、抹殺されつつある学習指導要領、及び、それに忠 誠たらんとする教育行政という構造において、憲法・教育基本 法の魂であるそれらをきちんと教える教育は、いずれ激突する ……その時が、来た。そして、その時……私は、たった一人だ った。文字通り孤立無援だった。なぜか?』

 次回は、増田さんの闘いを紹介する。



84. 11・6教育基本法の改悪をとめよう!全国集会
 2004年11月6日



7日朝、書いています。

 主催団体は「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」という。言いだしっぺ(呼びかけ人) は、小森陽一、大内裕和、三宅晶子、高橋哲哉の四氏であることを、今日集会に 参加して知った。(知らなかったのは私だけかも)

 北は北海道から南は沖縄まで、全国からさまざまな闘いを担っている団体・組織・個人が参加し、 収容人員約3000人の日比谷公園大音楽堂を約5500人が埋めつくした。

 実行委員会の申し合わせ事項に

1 教育基本法改悪反対の一点での幅広いネットワークを目指した運動である。
2 非暴力であること。
3 互いに誹謗、中傷、攻撃を行わない。
4 意見の相違を認め合い、一致点を大事にする。
5 組織、個人にかかわらず、互いに対等、平等である。

とあり、全国で闘っているさまざまな点を結んで、一大ネットワークを創り出す意図と 意気込みを感じた。

 今朝早くも、「反ひのきみネット」MLに主催団体(多分集会の司会者のお一人)の報告があった。 その一部を引用する。

 『自分たちだけで運動をやるのは簡単です。 しかし、意見や立場の違う人々と運動をやるのは大変です。 時には、口論になったり、ギクシャクしたりします。
 それでも、大きな目標を見定めてそれを見失わず、仲間を信頼して、 準備を積み重ねてきたから、今回の成功があったのだと思います。
 集会では、それこそ沢山の方々が発言されました。 また、「全教」の立場から、「日教組」の立場からの発言もなされました。 会場には、いわゆる「セクト」とみられるような人々も参加していました。 世の中も、運動体も、多様ですね。
 しかし、その多様な人々、運動体が、「教育基本法の改悪反対」で 本日結集したのです。本日は、統一戦線に向けて、また一つ新たな一歩が踏み出された日 だったのではないでしょうか。』

 過去のさまざまな大衆的運動の多くが、組織やセクトや、なかんずく政党間の主導権争いで 無力化していったことを思い出す。上記の「申し合わせ事項」を堅持して、運動を発展させて いって欲しい。もしも主導権争いのようなおかしな動きをする団体が出てきたら、断固排除し なければいけない。

 全国が線で結ばれた。
 各地で運動をさらに広範に広げようとの呼びかけがあった。線が面となり、 大きなうねりとなること、切に期待する。


85. 11・7全国労働者総決起集会
 2004年11月7日



 昨日の集会が「教育基本法改悪反対の一点での幅広いネットワークを目指した運動」だったのに対して、 今日の集会は闘う労働組合の総決起集会だ。この数年、毎年行われているという。もちろん、私の参加は 初めて。
 闘う組合の敵は権力だけではない。闘わない組合、闘えなくなった組合、権力と結託して組合員を抑圧する 組合とも闘っている。
 昨日の集会では、各組織・団体は、それぞれの主張を抑えて最大公約数を表明した。その集会の趣旨に 沿うためで、それはそれでいいのだが、やはりものたりない。

 今日の集会は、参加者数は約3500人で昨日より少ないが、どの組織・団体にも遠慮なく思う存分 を自己主張をするので、歯切れよくさらなる熱気に溢れていた。
 教育労働者だけではなく、官庁・一般企業を問わず全ての分野の労働者が同じ手法で同じ弾圧を 受けていることがよく分かった。いや、一般企業で行われてきたことが、学校に持ち込まれたと言ってよ いだろう。韓国・アメリカでも同じ状況のようだ。国家権力と官僚と資本家が結託した周到な支配強化が グローバルに行われている。

 スローガンは「大失業と戦争にたち向かう労働者の国際的団結を!たたかう労働組合の全国ネットワークをつくろう!」 とあり、闘う労働者の全国ネットワークをつくる端緒ともなるべき集会であり、また韓国・アメリカの闘う労働者との 連携を強める集会でもあった。闘う運動を通して、闘わない組合の再生も課題としている。

 集会の目次に目を通せば、この集会の特質と意義が自ずと分かるだろう。

関会のあいさつ  全国金属機械港合同
連帯のあいさつ
国労5・27臨大闘争弾圧を許さない会発起人代表  佐藤 昭夫
憲法と人権の日弁連をめざす事務局長  竹内 更一
とめよう戦争への道!百方人署名運動事務局次長  小田原 紀雄
沖縄・海上ヘリ基地反対協議会共同代表(メッセージ)  安次富 浩
韓国から
  民主労総ソウル地域本部事務処長  パク サンユン
  民主労総ソウル地域本部組織部長  ムン ムンジュ
アメリカから
  ILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10
            ビジネスエ−ジェント ジャック・ヘイマン
                        キャロル・ヘイマン
  ILWUローカル10執行委員  ドワイド・サンダース
  ILWUローカル19執行委員  トッド・ウイークス
  ILWUローカル34/MWM事務局長  キース・シャンクリン
  MWM事務局       キャシー・シャンクリン
基調提起   国鉄千葉動力車労働組合
特別報告
  「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
  全金本山労働組合
  イラク派兵費用差し止め訴訟原告
MWM in ワシントンに参加して
2004年11・7アピール 国鉄千葉動力車労働組合
閉会のあいさつ  全日建運輸連帯関西地区生コン支部

 舞台に上がらないので目立たないが、会場を見回すと私が全く知らない小さな組合のの ぼりや旗がたくさん目に入った。

 昨日のデモは「誰でも参加できる市民の会」について歩いた(実は腰痛が出てきて、途中で脱落)が、 今日は集会のときからデモまで、 『「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会』の後についた。
 代表の近藤徹さんのアピールは格調高く、不覚にもつい落涙してしまった。歳をとると涙もろくなっていけない。

 また、集会時にいい光景を見た。名前を存じ上げていないが、年配から推察するに嘱託を解雇された方だ ろう、十数人の若者がその方の傍にやってきて挨拶をしていた。色紙のようなものを受け取り、一人一人と 握手をしていた。署名の色紙を持って激励に来た教え子たちに違いない。


86. 増田都子さん・孤立無援の闘い
 2004年11月8日



 増田さんは八面楚歌だと言う。
@一部右翼的保護者
A保身しか考えない校長・教頭
B都(区)教委
C土屋たかゆきら右翼都議
D産経新聞
E行政の犬になり下がった官僚裁判官
F所属組合員を売って恥じない全教(都教組)
G教育内容・方法に対して不当な干渉をしかけてきた一母親への屈服を迫った「人権派」弁護士

 @〜Dは、でっち上げの先駆けとしてどの弾圧事件にも登場するおなじみの犬たちだ。 シナリオを打ち合わせているかのように見事な連係プレーする。

 E、教育弾圧事件に限らず権力対被抑圧者の裁判ではバカ裁判官ばかりが目立つ。
 もう大多数の裁判官は法の番人ではなく、権力の番犬に成り下がっている。被抑圧者側の訴えが如何に 正当であっても、勝訴はむずかしい。憲法を遵守し、法を公正に適用した判決ができる裁判官は少ない。 そういう裁判官に当たる幸運を祈るしかない。情けないことに、裁判ではなくて、くじ引きみたいな ものなのだ。

 Gは、「82.大杉榮の教育論」で引用した言葉を借りると「自らの眼を以て社會的事物を観察し、 自らの頭を以てそれを判断し得る力」つまり「個人的思索」の力を欠いた知識人の典型である。
 そういえば吉本隆明氏はこの手の銀行型優等生のなれのはてをチャート式知識人と揶揄していたっ け。

 『この弁護士、「人権派」として有名な方で、今でも「人権派」「護憲派」の会にはたいてい顔と名前を出して活躍し ていらっしゃる方だが、何とも教条主義だった。「教師は権力者、父母・生徒は弱者」という『公式』から、一歩も抜け出す  ことができなかった。』
 その結果は『原告・母親は、反米軍基地は、反米ではないことを理解する。被告・増田は原告の感情 を傷付けたことを謝罪し50万円を払う』などという和解案だ。勿論増田さんはこんなとんでもない和解 案には応じない。

 『幸い、「真の人権派弁護士」の最長老とも言うペき、元・教科書訴訟弁護団長の森川 金寿弁護士が引き受けてくださってから、闘いは前進した。さすがに森川先生は、お送りした書類だ けで、直ぐ、この問題の本質を見抜かれて、格調高い、素晴らしい準備書面を書いてくださ った。』

 Fの都教組の執行委員たちも「人権派」弁護士の同類だ。接木したイデオロギーを 金科玉条とし、硬直した耳目・頭脳でものを見聞きし判断するイデオロギーロボットだ。
 自己の内部の世界を現実とぶつけ、検討し、理論化してゆく過程を経ることなく、 ただ進歩的・革新的思想をつき木しただけの思想は、ラジカルな問題に出会ったとき破綻する。

 『当時、私が所属していた都教組(全教)足立支部執行委員会 は、どう対応したか?彼らは「民主教育、平和教育を進めます」 というスローガンを掲げながら、『父母国民と手を結ぶ』方針 から、私に対し、教育基本法第十条が禁ずる『教育に対する不 当な支配』干渉を行ってきた母親に屈服するよう迫ったのであ る。そして私に対し「母親を誹謗中傷した」として都教委が不 当処分を出すと、これを歓迎した。所属組合員である私の教育 を「偏った教育」と明記したビラ(都教委でさえ「偏向教育と は言えない」と認定していたのに!?)を大々的に足立区内繁 華街でばらまくやら、足立区内全教職員に配布するやら、という 体たらく。そのビラたるや、拾った生徒が右翼のものと勘違いし て「センセー、ヤツラ、また、こんなものくばってたよ。訴 えちゃいなよ」と言うほどのものである。それを受け取った私 も、てっきり都議・土屋らがばらまいたものと思った。ところ が、末尾に「東京都教職員組合足立支部執行委員会」と明記し てあったので、ズッコケてしまった。翌日の「しんぷん赤旗」 は、この都教組(全数)の行動を嬉々として報じた。 』

 このやり口は、30年前と同じだ。私は「八鹿高校事件」を思い出した。 当時、ある事情から、私はこの事件についてはかなり詳しく調べ、レポートを まとめている。中傷とウソだらけのえげつないビラを多量に撒き散らす物量作戦。それを持ち上げる 「赤旗」の援護射撃。
 この党派がこの体質を克服して、真の力強い味方となることを期待し続けてきたが、 またまたがっかりさせられた。相変わらずだ。

   『真の意味で「人権」とは何かを知っており、「本物」と「偽物」を見抜くことので きる能力を持つ人たちが、口コミで、一人、また二人と集まって、「平和教育を守る 足立の会」を立ち上げ、私をしっかりと支えてくれた。そして、数年の苦闘の後、 (所属組合員を売って恥じない都教組(全教)では闘えないため)東京都学校ユニ オンを立ち上げ、全労協(全国労働組合連絡協議会)に加盟した。これで、やっと、 都教組(全教)、「人権派」弁護士が私のスカートを踏んづけるだけ踏んづけてく れたマイナス地点からゼロ地点に立つことができた。』


87. 増田都子さん・0地点からの反撃
 2004年11月9日



『私は八面楚歌の中で、断固として闘ってきた。私には怖いものはない。なぜなら、義は我にあり、 真実は我にあるからだ。たとえ、全世界が敵に回りデマ宣伝が行き渡ろうとも、私の生徒たちは、 私が、ごく真っ当な教員であることを知っている。』

 増田さんの強さの源泉はこの生徒たちとの信頼関係なのだろう。さまざまな過酷な攻撃に果敢に 反撃している。

 くだんの母親が情報を流し、右翼都議・土屋が飛びつき、産経紙が 『偏向教育』パッシングキャンペーンを張る。
 また、三バカ都議土屋(民主)古賀俊昭(自民)田代ひろし(自民党) が共著で、右翼出版社である展転社から「こんな偏向教師をを許せるか』 という本を出版する。

 『同書には「感情的な反米教育」「犯罪事実」「これだけの 偏向授業をしている確信犯ともいえる教育」 「生徒をマインドコントロール・洗脳」などと、私の授業に対 して全くのデマ・誹謗中傷が満載である。』

 増田さんは、三バカ都議と展転社を名誉毀損、プライバシー侵害で東京地裁に提訴。

 一方、この「偏向教育」キャンペーンにのって、都教委は増田さんに不当な連続 処分をする。第一・減給処分、第二・減給処分、第三・懲罰長期研修処分。
この研修処分は99年9月1日から02年3月31日までの二年半にもおよんだ。

『権力を嵩にきた現場外しの強制、そのための「研修 所」送りである。しかし都教委は私を「指導が不適切な教員」 なるものには、一度も認定できなかった。それには無理があっ た。そのような事実はないから。私は、「職務命令だ」と彼ら がいうところの「研修を命ずる」という一枚の紙切れを受け取 ったのみである。』

 この現場外しの不当処分に対し都教委を提訴。
 この提訴で都教委は増田さんが『指導力不足教員」であるというでっち 上げた文書を大量に出してきた。増田さんはこれを地方公務員法第 lニ十四条の禁ずる「守秘義務」に違背し、「東京都個人情報保 護条例」「東京都情報公開条例」に違背するものとし、この件でも都教委を提訴 し、損害賠償を請求している。

 土屋が足立十六中の学区域一の繁華街・北千住で行った街宣を 名誉毀損で提訴したものは、増田さんが勝訴し、35万円を支払わせたが、その時 の判決文に教育に対してのとんでもないバカ認定がある。

 『「学習指導要領では日の 丸を掲揚し、君が代を斉唱するよう指導を求めていること、原 告(増田)は、学習指導要領には一定の拘束力があるにもかか わらず、生徒に対し、教師としての立場で、日の丸、君が代の 持つ意味、歴史的経緯について批判的に紹介し、君が代は国歌 でないと発言していること(当時は『国旗・国歌法』は無い)、 原告(増田)は、政治的色彩の強いテーマを題材に紙上討論授 業を行っていることからすると、被告(土屋)らにおいて、 原告(増田)が学習指導要領の枠の中で授業をしていないと信じ る相当の理由があったと認められる。」
 「(増田は)政治的見解・ の対立のあるテーマを授業で扱っており、政治的中立性が保た れるよう配慮することが必要であるにも関わらず、……紙上討 論授業において米軍基地問題を取上げ、日米安保条約反対、 米軍基地反対の方向に議論を導いているばかりか、教師としての 立場から真実を伝えると強調した上で日米安保条約反対、米軍 基地反対の意見を掲載し、その意見は生徒を説得するべく強い 調子で書かれでいる」
 「よって土屋が「偏向教育」と信じたのにも無理がなく、誤信 相当牲があるので違法性が阻却される。」』


 「政治的中立性」とは国家権力・政府・行政官などの施策に無批判 に唯々諾々と従うことなのか。哲学も公正中立性のかけらもない「偏 向」裁判官だ。

   最後に増田さんの決意の言葉を掲載してこの項を終わる。

 『私は官僚裁判官にさえ、都議・土屋たかゆきを「人権侵害男」 と認定させた。
 また都教委によるパワーハラスメント・ポリテ ィカルハラスメント現場外しに屈せず、現場に復帰させた。
 現在、都教委による個人情報漏洩の不法行為を認定させ、右翼三 都義に対する名誉毀損・プライバシー権侵害を認定させるペく 裁判闘争を闘っている。これについては、歴然たる証拠も存在 しており、いかに官僚裁判官といえども、認定せざるをえない だろうと確信している。
 さらに、2002年1月30日付「社説」で私を「反日教育 (それ以前は、ずっと私が「反米偏向教育」をしたと書いていた!?)をして、 それを批判した母親を誹謗中傷し子どもを傷つけ不登校に追いやって研修センターに収 容された問題教師」と書いた産経紙に対しても法的措置を取る つもりでいる。
 違法都教委、違法都議、右翼デマジャーナリズ ムを追いつめ、恫喝暴力教育行政に風穴を開けていきたい。』



88. ザルカウィを探せ、とブッシュがわめく
 2004年11月10日



 歴史上最悪の大バカ・ブッシュが当選祝いのようにまた大々的な人殺しを再開した。「平和のために ファルージャの市民を殺せ」と。無辜の民衆の死で購う平和って何だ?

   今回のファルージャ攻撃の名目はザルカウィが率いる武装集団の壊滅とザルカウィの殺害 または拘束だという。この名目は「大量破壊兵器」のときと同じトリックだ。

   バグダート在住のイラクの一女性が書き綴っているサイト「Baghdad Burning」で、彼女は 次のように語っている。

Baghdad Burning

 『イラクではだれもがアブ・ムサブ・ザルカウィがファルージャにいないと知っている。 私たちの知る限り、彼はどこにもいない。彼は大量破壊兵器のようだ―大量破壊兵器を引き渡せ、 さもなくば攻撃するぞ。さて攻撃が行われてみたら、どこにも兵器がなかったことが明らかに なった。ザルカウィに関しても同じことになるだろう。次々と登場する政治家の誰かがザルカウ ィに言及するたびに、私たちは笑っている。彼は大量破壊兵器よりさらに都合がいい。なにし ろ足があるから。ファルージャでの大失敗にけりがついたら、ザルカウィはタイミングよくイ ランやシリア、ひょっとしたら北朝鮮にでも移動することだろう。』

 ファルージャ攻撃の記事の本日夕刊の見出しはこうだ。
 『ザルカウィ幹部拘束失敗か 米司令官「封鎖前に脱出」』


89. ついに矛先は生徒に向かう
 2004年11月11日



   米長が言うところの「残されている宿題二つ」を、私は見誤ったようだ。
 都教委は教員の制圧は完了とみなしたか。「日の丸・君が代」を生徒 にまで強いようとしているのは周知のことだが、いよいよはっきりと矛先を生徒に向けてきた。
 全く次々と人間性を圧殺するような施策をよく出してくる。

 今日の朝日新聞朝刊の一面の見出しに『都立高「奉仕」必修へ 07年度から』とあった。
記事から抜粋する。

 『奉仕活動は、戦後教育の見直しを目指した教育改革国民会議で浮上。自 主性を基本とするボランティアと異なり、共同生活の中で義務付けるもの として検討された。
 都教委幹部は導入の狙いについて「内容はボランティア活動と変わらな い。生徒がいろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方がで きるようになることを期待する」と話している。
 一方で都教委は、「ボランティア」でなく→奉仕」と呼ぶ理由につい て、「自主的・自発的に行うだけでなく、他教科と同じく教育課程に組み 入れて必修化するため」と説明する。』


 「奉仕」=「つつしんで仕えること」
 いやな言葉だ。一体誰に仕えろと言うのだ。広辞苑には第2の意味として 「献身的に国家・社会のためにつくすこと」とある。私には戦中の「勤労奉 仕」がすぐ思い出される。何から何まで大日本帝国下の教育と同じにしたいらしい。

 強制でやらせるのでは、ボランティアと言えないのは当たり前だ。
 「内容はボランティア活動と変わらない。」だって?冗談言っちゃいけない。内容と 形式は相互規定し合う不離一体のものだ。
 自らの内心の要請に従って行うボランティアと強制してやらせる「奉仕」とでは、 たとえやっている事が同じでも、雲泥の差がある。実行者にとって 生きる上での意味や意義、あるいは直接他者と関わる行為であれば、他者との人間的なかかわり から得る心の交流や 自他がともどもにそれを通して得る精神的な糧など、全く違ったものになるだろう。
 それに「ボランティア活動と変わらない」内容をふみこえないことを 誰が保障するのだ。現在の六バカ都教委ではやがて「勤労奉仕」的になるのは明らかだ。あるいは 「自衛隊体験学習」にもなりかねない。
   どだい、自分たちは権勢欲と私利私欲の塊のくせに、人に奉仕活動をせよなどと、よく言えたもんだ。

 「いろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方ができるようになることを 期待する」のなら、教育委員会がなすべきは、何事も強制することなく、生徒が自由に羽ばた けるように環境を整えればよいのだ。教育の内容にまで口を出すな。要するに教育委員会は 余計なことをするなということだ。

 いつの時代でも、教育を支配しようと企む支配者とその腰ぎんちゃくは考えること が同じだ。その論理の指向も。

 戦中に文部省が出した「戦時学生自戒五条」の四に曰く「感謝奉公ノ念ヲ持シ進ンデ勤労 ニ服スベシ」
 「日本少国民文化協会」という少国民の練成と動員を目指した団体があった。 幼少年時から洗脳すべく「愛国いろはかるた」というばかばかしいものを制定している。 勇ましく強い皇軍の宣伝ばかりではない。その中には「勤労奉仕」の勧めもある。
 「は 「ハイ」ではじまる御奉公」「ぬ ぬぐふ汗水勤労奉仕」(以上「山中恒「撃チテシ止マム (ボクラ少国民第3部)」より」

   1938年の「教育審議会」の議事録から委員達の発言を拾ってみる。(山中恒「御民ワレ (ボクラ少国民第2部)」より)

「……最近マデハ個人自由主義二依ッテ大学ノ基礎ガ恰モ白蟻ガ崩スヤウニ崩サレテ来タノデアリマ ス、又資本主義ガ右ノ方カラ大学ヲ動揺サセ、共産主義ガ左ノ方カラ大学ヲ動揺サセル、此ノ三方カ ラ我ガ国ノ大学ハ動揺サセラレテ将二転落ノ危機ニ瀕シテ居ルノデアリマス……」

 自分達の利己主義は棚に上げて、自由主義・個人主義を攻撃する。「教育基本法」改悪 を目論むものたちも自由主義・個人主義を非難している。日本固有の歴史やら伝統文化やら を持ち出して、それを国家主義的なものに変えようとしている。
 自由主義・個人主義は社会を疲弊させ、国家を過たせる元凶だという。自分達の誤った 政治や富の独占や利己主義がその元凶だろう。利己主義と個人主義の違いをきちんとわき まえてものを言え。

 「……自分ノ境遇才能ヲ顧ミズシテ、争ウテ大学ノ門二蝟集スル、ソレデ高等学校ノ繁 昌トナリ、延イテ中学ノ教育ガ受験的トナリマシテ、斯クシテ画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ 教育ノ弊ヲ助長シテ、精神教育ノ上ニモ体育ノ上ニモ尠カラヌ支障ヲ来シテ居ルコトハ顕著ナル事実 デアルト信ズルノデアリマス……」

 「画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ教育ノ弊」だって?そのような「銀行型教育」は、 ものを考えない被支配者を創り出すために、お前らにとっては理想的な教育だろう。だいた い天皇教教育こそ「画一主義、詰込主義、記憶偏重主義ノ教育」の典型じゃないか。 「問題提起型教育」には「偏向だ」とわめくくせに、笑わせるな。
 「自分ノ境遇才能ヲ顧ミズシテ」だと! 何たる傲慢! 何たる浅薄さ!三浦や江崎と同類の バカがどの時代にもいる。

「……抑々行ノ教育卜云フモノハ生徒ガ実地二手ヲ下シテ体験シテ、又繰返シ練習スルコト二 依ッテ初メテ遂ゲラレルモノデゴザイマス、然ルニ我ガ国デハ前代ヨリノ因襲二依リマスカ手ヲ下シ テ物事ヲスルト云フコトハ劣等ナル階級ノ者ノ為スコトデアルト云フヤウナ考へガ浸潤致シテ居リマ シテ、中学校デ生徒ヲシテ学校ノ庭二木ヲ植ヱサセヨウト致シマスト、村会議員ナル父ハ之二抗議ヲ 致シマシテ、我ガ子二植木屋ノ真似ヲサセテ呉レルナト申シマス、実二行ノ教育コソハ勤労ヲ愛好ス ル習慣ヲ付ケマシテ、額二汗シ手二膏スルコト二依ッテ外界二接触シ、諸般ノ知識ヲ教師カラデハナ ク自ラ獲得スル方法デゴザイマス、軍隊教育ヲ受ケルト人物ガ一変スルト申シマスガ……」

 「行(ぎょう)」というのは説明を要することだが、ここでは置く。「行」を「奉仕」と 読み替えれば、都教委の「奉仕」が何を目論んでいるかよく分かる。「軍隊教育」がその理想 形態なのだ。


90. 詩をどうぞ(1)
 2004年11月12日



 ファルージャの殺戮はまだ続いている。新聞は報じる。「イラク各地で騒乱拡大」
 これはテロではなく、明らかにレジスタンスだ。ブッシュが押し付ける手前勝手な 殺戮という平和への。


語彙集第百三十章    中江俊夫


それは君のためなんだろうか
僕のためなんだろうか
誰のためでもないはずだその平和は
だってそうじやあないか
お袋も 親父も 妹も
みなその名で殺された 駄菓子屋 勤人 煙草屋は
ほかの名じゃあ殺されなんだ 僕の知ってるかぎり 僕の町筋で
不正の名でかりたてられ
友の名で殺されたものはいない もっと大きな もっと大きな!
みなうまい名でかざりたてられ 兵士は
きれいな小箱に入って帰り
不細工な忠霊塔におさめられたよ


それは君のためなんだろうか
僕のためなんだろうか
誰のためでもないはずだその平和は
だってそうじゃあないか 僕らは
まだ若いんだしそんなにいつ迄も眠っていたくはない
気がむいたときに本も読みたいし 議論もしたい
暇はなくとも 映画を観たり 散歩もしたい
朝七時には眼がさめるし 夜十時には眠くなる
そりや無理もするけれど 恋と戦争はおかどちがいだ
兄弟げんかや隣の夫婦げんかとはわけがちがうよ
僕らは愛しあっても 憎みあってもいない
誰が相手かさえ知らんのだ


それは君のためなんだろうか
僕のためなんだろうか
誰のためでもないはずだその平和は
子供のかくれんぼなら繁みに隠れても
鬼が見つけたらすごすごでてくるよ
大人のかくれんぼときたら 繁みにきてみると
黒っぽくなった骨たちをみつけたという始末さ
いったい誰がじゃんけんしたんだ
僕の兄たちを賭けて 誰がサイをふったんだ
いったい誰が楽しみ 明日の時間をつぶしたんだ
誰がふところにもうけを入れてしまったんだ
誰だ誰だ!


国の平和とは誰が言うんだ
いつも指導者で お偉方 何とか長官たち 大人たちさ
僕らをとかく平和のためだろうと 戦争のためだろうと
あごで使おうつて魂胆なのさ
人的資源というやつで 十八歳から二十五歳というやつ
結構なすじがきで僕らの未来を買占め
もうけの道具に使う
こつちは他国で血を流す
引金をひくのか 号令をかけるのか役割りもきまっていて
ほかの芸は要らないという仰せだ国のため
火をつけろ ぶっこわせ 殺せ殺せ


国の平和とは誰が言うんだ
死んじまった風? 空? 緑?
死んじまった学童? 職人? 蛙? 鳥?
生きのびた大臣
生きのびた首相
生きのびたおおぜいの役人
成程なるほど
国の平和とは大事です 便利重宝だ
それは君のためなんだろうか
僕のためなんだろうか
死んじまったものは 生きていたときも無言
死んじまったらなおさら無言 国の平和には便利重宝さ


ぬけぬけ性こりなく繰返す商売々々だ
平和は一番売りやすいよ 口実は一番崇高だ
かんじんの中味は戦争さ
断固平和を守るため
断固戦争を続行する!
平和の種類は嘘八百種だ
突然変異の珍種も頻出し
他種の平和は認めない
自種の繁栄と商売にかかわることだから
それは君のためなんだろうか
僕のためなんだろうか どっかの
人食い鮫のためなんだろうか


国の平和とは誰が言うんだ
平和は火葬場じゃない 難民収容所じゃない
爆弾じゃない
牢屋でもない
あざみのことだ タンポポのことだ
かなぶんぶんのことだ
婦人のことだ 小鳥のことだ
百姓 漁師 ひとりひとりの個人的なことだ
国なんぞ存在したためしがない 権力と
法律書や馬鹿者の頭のなか以外には
それを誰れがいったい国があると言うのか
その平和とはなんなのか なんに利用するつもりか誰が?


   (「ユリイカ・現代詩の実験」1972年10月臨時増刊号より)