51. なんとすばらしい都知事!
2004年10月4日
「反ひのきみネットML」より、三つ

根津公子さんの石川中裁判&多摩中裁判が同日(10月5日午後)に東京高裁&地裁で初公判となりま
す。
石川中裁判のほうは高裁初公判、多摩中裁判のほうは地裁初公判です(今までは人事委員会)。
ぜひ多くの方、傍聴に来てください。
多摩中裁判 ・第1回裁判は10/5(火)13:10地裁710
石川中裁判 ・第1回裁判は10/5(火)14:30高裁806
石川中裁判は傍聴券配布法廷になり、2時に傍聴券配布。実質審理に入らせる
ように多くの方の傍聴をお願いします。石川中の元生徒の証言の機会を作りましょう。
(どちらも霞ヶ関の同じ建物です)
地下鉄霞ヶ関駅下車(丸の内線ならすぐ上です)

すでに9月27日、「君が代起立 指導を職務命令」(朝日)という見出しで新聞報道されましたが、
本日(10月2日)、都立深川高校創立80周年記念式典が「ティアラこうとう」というところで、
午後1時より行われました。
これに対し、「都教委包囲首都圏ネットワーク」では、本日11時30分より、会場前で、
「『日の丸・君が代』の強制は憲法違反です
『日の丸・君が代』は戦争のシンボルです
あなたにも、わたしにも 立たない、歌わない自由があります」
という見出しのビラをまきました。
このビラまきには14人が駆けつけてくれました。
「おはようございます。創立記念日おめでとうございます」と言いながらピンクのビラ(A4版)をまくと、
多くの生徒・教職員・同窓生たちが、ビラを受け取って行きました。
この様子を(とくに生徒たちが受け取る様子を)、二つのテレビ局が写していましたが、
果たして流れるかどうかは分かりません。
生徒の3分の2くらいは、受け取ったと思います。そしてビラの裏には新聞記事を付けて
おきましたので、会場が開く前に、お互いに話あっている生徒たちもいました。
全部で、ビラは800枚以上入りました。なかには、保護者の方で、わざわざ私たちのところに来て、
「他の保護者にもまきたいので、ビラを下さい。」と言い、ビラを持って行った人もいました。
また、ある生徒たちは、マスコミにインタビューされ、ビラにある「あなたにも、わたしにも
立たない、歌わない自由があります」というところについてどう思いますか、と質問され、
「私たちもそう思います」と答えていたそうです。
さらに、同窓生という大学教授に私たちの仲間が「君が代斉唱の時、どうされますか」と聞くと、
「そんな質問は愚問だ。自分は立たない」とはっきり述べたそうです。
都教委の通達に忠実に従った校長から、「君が代起立・斉唱」の生徒指導の職務命令が出
された初めての創立記念式典でしたが、
そして、まだ式典の様子は分かっていませんが、私たちは、この機会を捉えて逆に、「都教委の暴走を広く暴露する新たな第一歩」
を踏み出すことができたと思います。
生徒たちも、今後ビラについてお互い同士話し合う機会をもつでしょう。また家庭にも持ち帰り、保護者とも話しあうでしょう。
そして、今後行われるあちこちの創立記念式典に向けて市民レベルでの宣伝活動も強化されるでしょう。
なお、首都圏ネットワークでは、今後の東京における闘いを進めていくため、以下の取り組みを計画しています。
<「日の丸・君が代」強制と処分を許さない10・24討論集会>
・日時 10月24日(日)13時30分〜
・場所 文京区民センター(JR水道橋駅下車、徒歩10分)
・内容 都教委の暴走をいかに止めるか
お集まり下さい。
「反ひのきみネットML」から送られてくるメールは実に多彩です。
私が全く知る機会がなかった闘いがたくさん闘われているとこを教えてくれますが、
このページでは「日の丸・君が代の強制」関係に絞って紹介しています。しかし今回はその原則を
はずして、もう一つ紹介します。石原に突きつけたい言葉があります。

7月24日に開催した「枝川朝鮮学校支援都民集会in江東」ではお世話になりました。
その枝川の歴史と現在、これからを記録した「増補新版 東京のコリアン・タウン
枝川物語」がこの5日にできあがります。
枝川で生きた在日一世の聞き書き、これからを生きていく二世、三世のざっくばらんな
座談会、枝川地区の形成史、関連年表、資料紹介など盛りだくさんの内
容になっています。増補にあたり、2003年に東京都が提訴した裁判資料(訴状、
弁護側準備書面)なども収録しました。枝川に関心をお持ちのかた、民族
教育権に関心をお持ちのかた、そしてなによりも教育について考えているみなさんに
ぜひ手にとっていただきたく思います。
以下のページで内容を紹介しています。
http://homepage3.nifty.com/kinohana/newedagawa.html
最後に本書に収録されている、上記「弁護側準備書面」で引用されていた東京都知事
の文章を紹介します。
「仮に通達と法律とが矛盾しあうならば、法律に従うべきであり、法律と憲法が矛盾し
ている時は、憲法に従うべきであるというのが私の行政官としての判断 である。」
1968年、国の文部事務次官通達のため手続きがたなざらしになっていた朝鮮大学校の
認可決定を行った美濃部亮吉知事のことばです。いやぁ、今の都知事 にはとてもいえな
いことばですね。
52. 石原一派の真のねらい(1)
2004年10月5日
『いま都立高校を襲っている「日の丸・君が代の強制」という暴挙は、ただ単に日の丸
を掲揚させ、君が代を無理やりに歌わせるという問題にとどまらない。その真のねらいを
把握して、息の長い闘いを考えなければならない。』というようなことを、私はこのホームページで
何度か訴えてきました。
石原一派の真のねらいを分析している文章を『良心的・・・』から引用します。筆者は
都立高校教員で予防訴訟原告のお一人の青木茂雄さんです。
『都教委(東京都教育委員会)に言わせると、卒業式・入学式における「国旗・国歌」
(なぜか「日の丸・君が代」と決して言わない)の問題が「学校経営上の最重要課題」なの
だそうだ。この言葉は、今回の卒業式・入学式における都教委の真のねらいを明白に物語っている。
戦前・戦中の学校数育においては、たとえば教育勅語の奉読に端的に見られるように、
学枚行事は支配的な天皇制イデオロギー注入のまさに中心的な役割を果たしていた。そ
して儀式の内容は細部にわたり決められていて、それを逸脱することはたとえば校長に
とっては死を引き換えにするほどの重大なものと考えられていたのである。儀式的な学
校行事を仲立ちとして、国家権力が教育の内容にまで深く介入し、心の奥底までを支配
してきていたのである。』
教育勅語に関連して、「ボクラ少国民」(中山恒)から引用します。
『とにかく式典には必らず『教育二関スル勅語』が奉読され、その間にぼくら生徒は、礼法にのっと
り、頭をさげて拝聴しなければならなかった。式場のあちらこちらからおこる、ズルズルという鼻水
をすする音を伴奏に、校長はいわゆる<勅語節>とよばれる一種独特な調子で読みあげる。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億
兆心一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父
母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能
ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公
奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先
ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実二我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二遵守スヘキ所之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ
中外二施シテ悖ラス朕爾臣民卜倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日 御名御璽
いつ果てるともなくずるずる鼻水をすする音が続き、最後の<御名御璽>が終って、もう一度敬礼
したあと、元の姿勢にもどると、一斉に鼻水をすすりあげる音が、まさにシンフォニィのごとく式場
である講堂を圧したのを思い出す。特に紀元節(二月十一日)のころは寒いし、かぜひきも多いので、
それがことさら激しかった。
そういえば、ぼくらの子ども期には、かなり高学年になってからも二本ばなをたらしているのが多かった。うす着と栄養不足のせいだったかも知れない。みんな服の袖口で、はなをひっこするので、
袖口はナメクジのあるいたあとみたいに、びかびか光っていた。
ある儀式のとき、たまたま校長が不在で、教頭がこの教育勅語の奉読をやった
。普段気さくで、話がうまく、ぼくら生徒のあいだに人気があった教頭は、緊張のために、顔まで別人の如くで、まるで
中風になったみたいにかたかたふるえ、声もかん高く上ずっていた。式のあとで、ぼくらは校長の勅語
語奉読と比較し、読み方の速度がどうの、ふるえて泣いているみたいだったなどと感想を述べ合い、
当時既に「カンロクノチガイ」という言葉を使用して批評し合った。しかし、ピンチヒッターとして
の当人にしてみれば、教育勅語の扱いは最高に神経を消耗するものであったろう。うっかり読み違い
や、読みとばしなどしたら、始末書とか減俸とかいったペナルティがあったのではないかとさえ思わ
れる。
さて、皆さんはどんな感想をお持ちになりましたか。
53. 石原一派の真のねらい(2)
2004年10月6日
「教育勅語」を読めましたか。どういうわけか、私は「よくちゅうによくこうに」あたりまでは空
で言えます。小学校5・6年生の頃だと思いますが、家のどこからか、振り仮名つきの「教育勅語」が
出てきました。旧仮名遣いが面白くて、弟と振り仮名通りの音で読んで遊んだ記憶がありますから、
そのとき覚えたのでしょう。振り仮名通りだと、たしか次のようになります。「ちんおもふにわがくわうそくわ
うそくにをはじむることくわうえんに」
閑話休題。
鼻水をずるずるすすりながら「礼法にのっとり、頭をさげて拝聴」しているのは、小学生ですよ。
何がなんだか分からないお経のようなものを聞かせて無駄なことをしてるなあと思われますが、
小学生の頃からの度重なる儀式で天皇や国家に対する畏怖というよりむしろ恐怖の念が
植えつけられます。教師がそれに拍車をかける役割を担います。
教育勅語とセットで猛威を振るったものに「奉安殿」があります。ご存知ですか。「御真影」
と称される天皇・皇后の写真と「教育ニ関スル勅語」の謄本などが格納されていました。
再び「ボクラ少国民」(中山恒)から引用します。
『この奉安殿はぼくらにとって容易ならざる存在であった。如何なる理由があるにせよ、その前を通
過する際、欠礼は許されなかった。きちんと停止し、奉安殿正面に向って直立不動の姿勢をとり、最
敬礼しなければならなかった。例えば喧嘩して逃げたり追いかけたりしているときでも、奉安殿の前
を通過するときは最敬礼をしなければならなかった。一見無関係な顔つきで奉安殿に向って最敬礼し
ていたふたりの生徒がそこを離れたとたん、猛烈なとっ組み合いをやらかすなどというのも、
珍しいことではなかった。ぼくもー且登校して忘れ物を取りに戻るとき、確かに最敬礼した筈なのに、
ものかげで見張っていたらしい教師に呼び戻されて、最敬礼のやり直しをくったことがあった。
恐らくそのとき、ぼくの表情に不服の色があったのだろう。心がこもっていないとか、
頭をあげるのが早や過ぎるとか、実に執拗なやり直しをさせた。時刻は迫るし、なんともせつなかった。
それでも、ぼくの場合、単純なやり直しだけで済んだが、そのことで既に何人もの生徒が、
この教師から手ひどい体罰をくわされていた。最敬礼がぞんざいであるということは
「恐れ多くも天皇陛下に対し奉り不敬の心がある」ということになるのである。
これはまさに最大級の反逆罪なのである。
もし、現代の子どもにいきなりそんなことを強制したら、まともに相手にされないだろうし、へた
すると気違い扱いされるだろう。だが、この皇室に対する気違いじみた畏怖は理屈ではなかった。論
理的ではないから、これは若い世代に伝えようもない。伝えようにも、論理として第三者を納得させ
がたいのである。』
中山さんは「現代の子どもにいきなりそんなことを強制したら、まともに相手にされないだろう」と
書いておいでですが、いま現代の子どもたちは「日の丸・君が代」でほとんど同じ無理難題を押し付けられ
、それがまかり通っています。
青木さんの文章に戻ります。
『戦後になって、学校行事は国家権力の直轄支配から解き放たれた。「学習指導要領」
での扱いは、学校行事は特別活動として教育課程の一環であり、内容は学校の専管事項
とされた。都教委は「学習指導要領」をもって「日の丸・君が代」強制の根拠として
いるが、それは「指導要領」の本来の趣旨に対するまったくの無理解あるいは曲解以外
の何物でもないのである。教育課程を学校が編成すべきことは「学習指導要領」そのも
のが書いていることである。戦後の日本の学校教育の体制は、大きな対立点があったに
せよ大筋おいては、(少なくとも建前においては)憲法・教育基本法のもと、教育行政
は条件整備に主眼を置き、教育の内的事項に関しては、あくまでも「学習指導要領」を
介して「指導」という体裁がとり繕われてきた。
「心の東京革命」で始まった石原教育行政は2001年には東京都の教育目標から
「憲法及び教育基本法に基づき」の文言を削り、2002年には法規外の制度である
「主幹制」を導入するなど「教育改革」の名のもとに教育制度の反動化を進めてきた。』
東京都の教育目標というのをすっかり失念していました。これまではそれをことさら思い出す
必要もないほど穏当な理念が述べられていたからでしょう。「憲法及び教育基本法に基づき」
の文言を削っていたとは、知りませんでした。
日頃から、現憲法を認めないといってはばからない石原が首都の知事を務め、「日の丸・
君が代の強制」とその処分が教育基本法に違反するのではという指摘に「どうせまもな
く改正(私たちから見れば、もちろん改悪)されるさ」とうそぶくやつが都の教育委員を
務めている醜悪さ。そのくせえこと、くせえこと。
「主幹制」がどういう制度で、実際に現場にどういう影響を与えているのか、私には分かりません。
どなたか、教えてくださいませんか。
54. 石原一派の真のねらい(3)
2004年10月7日
次の引用文は『良心的・・・』の青木さんの文章です。
『2003年の「10・23通達」はその仕上げであると同時に、戦後の教育体制の根幹に
対する新たなそして根底的な挑戦の始まりである。それは石原都知事と六人の教育委員、
一部の教育行政担当者及び一部の右派都議会議員などによって企てられている一種の
″クーデター″の始まりであるといっても過言ではない。「10・23通達」が従来のものと
質的に違うことは、@会場設営を含めて「式」の内容にまで詳細に立ち入っていること、
A「処分」という恫喝により全教職員に対し直接に実施を迫っていること、である。つ
まり、式典の内容を行政権力が一括管理し始めたのである。「日の丸・君が代」強制の
「法的根拠」は現在までのところ「学習指導要領」のみであり、「指導要領」は過去の判
例において、あるいは行政解釈においてすら「大綱的基準」の域を出ていない。都教委
は、それを大きく踏み越え、「学習指導要領」を口実にして教育課程の内容にまで深く
立ち入ろうとしているのである。式場の配置や教職員の具体的な行動にまでいちいち
細かく干渉してくることは、そのことのまさに象徴であり、これを突破口に教育の内容
にまで深く行政権力が介入してこようとしているのである。これは決して看過すること
のできない重大な問題である。』
次の引用文は『ボクラ少国民』からの孫引きです。
『日本の首相の教育に関する最近の言動は、短期的には、この夏に予定されている参議院選挙向けの、
(多分みずからの失政をおおいかくす性格をもっての)争点づくりという意味をもっていよう。しか
し長期的には、そこにはなんの気まぐれ性もなく、教育の局面に、戦前のナショナリズムの復活をめ
ざす強烈な意志がつらぬかれている。戦後の文部行政が、多く戦前の内務官僚たちによって、内務行
政的な感覚ですすめられてきた事実を思いみるだけでも、そのことは明らかである。
ただちがいは、戦前のナショナリズム教育が、当時の日本の資本の劣弱性ゆえに、ごく早熟的に
強行されなければならなかったのにたいし、現在のそれは、肥大した資本の対外進出をまさに完成
させるためのものとして要請されている点、目下のところではまだ、教育勅語あるいほ「御真影」
といった至上のシンボルを欠いている点のみである。
それだけに、教育における戦前的な体制への復帰が焦眉の急としてもとめられているといってよい。
サンフランシスコ講和条約以後の文教政策は、教科書検定の強化、教育委員の任命制への切りかえ、
勤務評定の強行、道徳教育の復活等々、戦前の国家主義的画一的な教育の再建を、
外郭からうずめるかたちで、着々とすすめてきたが、日の丸と君が代の法制化は天皇制イデオロギーの
直接の復活につながるものとして、いわば”画竜点睛”の意味を持つ。
わたくしはそのとき、かつての抵抗者たちのことを思い出す。明治中期に、天皇制の国家主義
教育をもっともするどく攻撃したのは、主としてキリスト教徒たちであったが、その一人である
植村正久は、「帝室を基礎とし、日本てふ国家を中心として人類の道徳を養成せん」とする教育を、
「私造せる紙弊を誇示」するにひとしいとのべて、教育勅語を批判した
(「日本の宗教的観察」、1891年)。
内村鑑三は、「愛国心養成の途は唯一なり、自由の拡張是なり」といい(「モンテスキヤの言」、
1899年)、また「『君が代』は国歌ではない、是は天子の徳を讃へるための歌である、国歌とは
其平民の心を歌ふたものでなくてはならない」とした(「歌に就て」、1902年)。』
この文はいつごろ書かれた文だと思いますか。
1974年5月7日付読売新聞夕刊に掲載された「ナショナリズムと教育」と題した鹿野政直氏の論文です。
この頃の読売新聞はこのような権力批判の論文も掲載していたんですね。
鹿野氏も<ボクラ少国民>世代です。この引用文の後で中山氏は「こういう見方に対しては、
神経質過ぎるという見解があるかも知れない。しかし、<ボクラ少国民>世代は、このことを観
念論ではなく、肉体的な痛みを伴う肉声として言えるのである。」と述べています。
国家権力は、この論文が書かれたときから30年後に悲願を達成したことになります。私
たち被支配者側からは、ついに最後の砦を落とされたということです。あるいは、30年間よく
阻止してきたというべきでしょうか。
このような明らかな危機的状況になっても、「日の丸・君が代の強制」に強い危機感を持っている
私たちに対して、問題の本質を見ようとはせずに「神経質すぎる」とやり過ごしてしまう生活保守主
義者たちや、国家権力に取り込まれてしまったイデオロギー的偏見で冷笑する擬似インテリたちが相
変わらず多数派です。あるいは、これら多数派の人たちは自分たちの子どもや孫に、大日本帝国時代と同じような
教育を望んでいるのでしょうか。あるいは、徴兵制には喜んで応じるのでしょうか。
55. 石原一派の真のねらい(4)
『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(1)
2004年10月8日
『良心的・・・』の青木さんの文章の続きです。
『3月11日の都立板橋高校での「事件」の直後に、同日付で都教委が高校教育指導課
長名で学校長宛てに出した文書には「校長や教員は、関係の法令や上司の命令に従って
教育指導をおこなわなければならないという職務上の責務を負う」とある。つまり「法
令や上司の命令」によって教育内容の管理・統制をおこなおうとすることが、今回の卒
業式・入学式における「国旗・国歌」の強制の真の目的であることを如実に物語っている。
石原教育行政の東京における今回のクーデター″の目的は、戟前・戦中の勅令主義
(勅令によって教育内容を決定すること)を部分的に復活させようとすることにほかなら
ないのである。ことは東京における学校教育全般にかかわってくる問題である。「学校
経営上の最重要課題」ということはそのような意味である。現に次なる標的にされて
いるのが「性教育」と「ジェンダーフリー」である。その次はおそらく平和教育で、沖
縄修学旅行なども槍玉にあげられるかもしれない。2003年7月の七生養護学校にお
ける「事件」と今回の「卒業式・入学式」がまったく同様な経過をたどっていることか
らもそれは明らかである。』
上記引用文中の『都立板橋高校での「事件」』については、卒業式での校長・教頭・都議の
無様な様子についてだけ、前に少し触れました。
ところで、本日の朝日新聞朝刊に板橋高校の元教師が「威力業務妨害」とかの罪状で
書類送検されたという記事が掲載されました。卒業式を妨害したというのがその理由です。
これが『都立板橋高校での「事件」』です。書類送検された方は藤田勝久さんという方で、
『良心的・・・』に、文を寄せて、卒業式のときに行ったことと、その後の事件
でっち上げの経緯を書いています。
石原一派にかかると、いつだれがどのような罪状を押し付けられるか、知れたものでは
ない。後々のためにも全文紹介します。今日はまず、前半の卒業式の様子を述べているくだりを
掲載します。
『つくられた「板橋高校卒業式事件」 藤田 勝久
都立板橋高校は、地下鉄有楽町線で、池袋駅から二つ目の千川駅を降りて五分ほど歩
いたところにある。正門前の道路には見事な桜並木があるが、ある日その門の前の縁石
にお年寄りが座っていた。
「おばあさん、お年は?」
「大正五年生まれだよ(なんと88歳)。ここは昔川が流れていて蛍がいっぱいいたよ」
満州事変のときに15歳、敗戦のときに29歳ということになる。
「警官が、その蛍にどなっていたんだよ」
「え、蛍に?」
「そう、蛍に。『灯火管制中、灯を消せ!』って」
いやはや、88歳の経歴には脱帽するしかない。
今は桜に包まれている板橋高校のこの3月11日の卒業式での出来事が大きなニュー
スになり、事件になっている。私は卒業式が始まる前に会場から締め出されてしまったが、
式は次のように進行したと聞いている。
板橋高校では、全国のほとんどの高校で卒業生全員が起立して「国歌」を斉唱する形
式が定着しつつある中で、何と九割をこえる卒業生が潮が引くように着席してしまった
のだ。卒業生270人のうち、起立したままの生徒は10〜20人くらいだった。
卒業生入場のあと、「開会の辞をおこないますので全員ご起立ください」の声ととも
に教頭が「国旗」と「都旗」を背に壇上に上って開式を宣言して降壇。ここで司会の
「国歌斉唱」の声がかかる。そこで「予測せざる事態」(横山教育長、3月16日都議会予
算委員会発言)が起きた。会場にいた校長、教頭、指導主事、教職員、来賓ら、誰もが
あっけにとられる事態の発生だった。
驚愕した校長は必死に叫ぶ。「立って、歌いなさい!」五、六回は叫んでいただろう
か。教頭も叫ぶ。あげくの果ては来賓としてきていた土屋敬之都議(民主党)までが
「立ちなさい」と大声を張り上げはじめた。この間、わずか一分ほどだっただろうか。
起立した卒業生の一人が「思想・信条の自由はどうなんだ」と発言した声に教頭が応
じた。「思想・信条を持って座っているもの以外は立ちなさい」。
この発言ほど矛盾、滑稽、馬鹿馬鹿しさを象徴している言葉はない。
一方で内心の自由はあると言い、他方で起立して歌えと言えばこうなる他にない。し
かし信念を持って起立していた少数の卒業生にとっては、この上なく迷惑で失礼な言い
方ではないか。だが、私は教頭にひどく同情している。あのような状況下では結局あの
ようにしか答えようがないではないか。
やがて全体が落ち着いたところでピアノが鳴り始め「国歌斉唱」が始まった。管理職、
指導主事、来賓、保護者、一部教職員と生徒によって式次第の「国歌斉唱」は無事終了
した。以降、「全員着席」「校歌斉唱」「卒業証書授与」と式は整然と進行。私語もなく
厳粛な雰囲気の中、最後に卒業生の選曲による「旅立ちの日に」の合唱が続く。
中学のときに歌ったことがあるせいか、前日ほとんど練習していないのに見事なハー
モニーだ。高音、低音、各自が好きなパートを歌って感動的な合唱になった。今の若者
の音楽のセンスの良さに改めて感嘆する。伴奏は視覚障害者のTちゃんが弾いた。三年
間彼女を助けてくれた仲間へのお礼の気持ちもこもっていたのだろう。さらに一層の感
動を呼んだ。かくして卒業式は無事に終わった。
土屋都議も直後のTBSのインタビューに答え「立派な卒業式だった」と語っている。
しかし、式中の問題点がいくつかあった。
その最大のものは、司会の「国歌斉唱」発声後の50代と思われる大人三人の罵声で
ある。特に来賓の土屋都議は学校にとっては部外者に過ぎない。あまつさえ彼の携帯電話
の使用は問題だ。日頃から「『君が代』を大切にしろ」「心を込めて歌え」と言ってい
た土屋氏本人が斉唱の最中に携帯電話を取り出して写真を撮っていたのはどういうつも
りなのか。開式前に司会が「携帯電話の電源をお切りください」と言っていたにもかか
わらず。
このことは式の直後に参列者の口の端に上り、大勢の顰蹙を買うこととなった。当然
のことながら「何であんな男を呼んだのか」と都教委や校長の責任を問う声も強い。』
56. 石原一派の真のねらい(5)
『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(2)
2004年10月9日
青木さんは次のように文章を締めくくっています。
『2004年卒業式・入学式における「日の丸・君が代」の強制に見られる「都教委の
暴走」は教職員や生徒・保護者の「思想・良心の自由」にかかわる問題で、憲法の保障
する基本的人権の重要問題であることはまちがいない。
しかし、それのみに限定するとするならば事態の一端しか見ていないと言わざるをえない。
このことは東京都の教育委員会を突破口にしておこなわれようとしている、権力によ
る全面的な教育支配であり、教育基本法に代表される戦後の民主的な教育体制の存続い
かんにかかわる重大問題である。近代国家と教育の問題、教育など文化現象と国家権力
との関係の問題、教育権の問題、戦後の教育論争の重要な論点が再度捉え返されなけれ
ばならないし、それらの論理的な深化がなければ運動の深化もないであろう。
いつのまにか雲散霧消してしまった「国民の教育権」論の再構築が焦眉の課題である。
』
「日の丸・君が代の強制」の職務命令が『権力による全面的な教育支配』の始まりなのです。以来
ほとんどの都立高校で、都教委の出先機関にしか過ぎなくなった校長の独裁的な学校運営がまかり通る
ようになっているのではないかと推測しています。実態を知りたいと思います。
「日の丸・君が代の強制」の問題を『「思想・良心の自由」にかかわる問題』とだけに限定することは
出来ないし、
同時に「日の丸・君が代の強制」の問題を放置しておいては、教育や学校の「自由・自主・自立」は
奪い返すことも護ることも出来ないのです。
次は『つくられた「板橋高校卒業式事件」』からの引用です。当日の藤田さんの言動が
「卒業式を妨害」したと歪曲されていく過程が述べられています。
『翌朝、産経新聞は、「元教員、卒業式攪乱」という見出しの大きな記事を出した。「教
職員の制止にもかかわらず、事情聴取」とあたかも式の間中騒動があったかとしか思え
ない内容の記事だった。
3月16日の教育長答弁ではこうなる。
「校長などの制止にかかわらず元教員が週刊誌の記事のコピーを保護者に配布して、
この卒業式は異常であるなどと大声で叫んだことは、卒業式に対する重大な業務妨害行
為でございまして、『法的措置』をとります。」
これは式後、卒業生に対する発言を問題視された教頭、さらには、気付かず配布され、
説明されたことに責任を感じた、校長、指導主事らによる虚偽の報告をもとにした教育
長答弁である。この虚偽報告に都教委、都議らがかんでいた可能性も捨てきれない。
前述したように卒業生入場から最後の歌、退場までの間、式を妨害、撹乱した、など
という事実は何もない。では、いったい何があったのか。
卒業式では先に保護者が着席し、卒業生の入場を待つ。二年前に板橋高校を定年退職
し、当日来賓として呼ばれた私は、この三月のあまりにも尋常とはいえない卒業式のあ
り方について保護者に説明しておく必要があると考えた。そこで開式30分ほど前から
15分間ほどの空き時間での出来事である。私は保護者席で『サンデー毎日』(3月7日号)
の2ページ分の記事を配った。多くの保護者の方が横の席にまわしてくださった。
配り終えたところで誰に制止されることもなく、私は、教職員は起立しないと処分され
るということを説明した。最後に「……できたら着席お願いします」と呼びかけた録音
から、TBSの「報道特集」(3月28日)は始まっている。ちょうど話し終わったとこ
ろに教頭がやってきて「やめろ」と言うので「もう終わった」と言ったところ、彼は苦
笑いしていた。直後に校長がやってきていきなり「退去しろ」と怒鳴ったのだ。
今は民間の勤め先にいてようやく休暇を取って遠路参列した私はこの程度のことでと
あきれかつ憤慨し、抗議しつつも無抵抗で退去したのである。ただそれだけだ。この時、
「なぜ来賓を追い出すんだ。……私は、卒業生が一年のときの生活指導担当だ!」と退
去時に抗議した言葉を、「『異常な卒業式だ!』と大きな声で騒いだ」(教育長答弁)とす
りかえている。
土屋氏は、直後のインタビューでこう答えている。
「立派な卒業式だった。これは校長のおかげである。(生徒が起立しなかったことは)教
員が仕組んだものである」
「国歌」斉唱よりも写メール(携帯電話付帯のカメラ画像機能)で証拠写真を撮ること
ばかり考えていた土屋氏は、直後からこのことを問題にし、元教員、教員に制裁を加え
るべく動き始めた。産経新聞に連絡を取り「卒業式攪乱」という記事を書かせ、都教委
中枢と協議して質問と答弁をつくりあげ、都議会予算特別委員会に臨んだ。こうして事
件はつくられていったのだ。
この手法は土屋氏の常套手段だ。彼は前々から独断と偏見をもって、左翼的だと彼が
思う教職員には徹底的に個人攻撃をかけてきた。北千住駅頭で足立区のある中学校社会
科教員をさして「偏向教育だ、問題教員だ」と騒いだ挙句、二年半にわたって研修所に
送ったりするように、政治目的のためには個人攻撃をも平気でしてしまうという人物だ。
今回も「国歌」斉唱の最中にカシャカシャ写真を撮りまくり、産経新聞を使って「事
件」を捏造した。』
57. 『つくられた「板橋高校卒業式事件」』(3)
2004年10月10日
都教委と校長はこれを警察沙汰にします。
『3月16日、校長は直ちに板橋署に赴いた。25日の終業式の翌日、警視庁は捜査員10人
以上動員し私が立ち寄ったとされる三年教室を中心とした実況検分や三年担任
への三時間前後に及ぶ事情聴取を朝9時から夕刻までおこなった。その後、校長は、都
教委、学校連名の被害届を提出した。以降、五回余にわたる捜査、職員室、印刷室、体
育館等の実況検分・事情聴取がおこなわれた。
三年教室で私が以前に教えていた卒業生に挨拶に行って「しっかりやれよ」と声をか
けたことから教室の実況検分に及んだらしい。私がそこで何を言ったかが、問題にされ
ているという。私が何を教え子に語ろうと自由ではないか。そこで以前、担任をしてい
たときの生徒の妹がいたので、二人で写真を撮ったということを付け加えておこう。
なぜ、このようなことになったのか。「内心の自由」を仕方なく認めながら、都教委
にとっては九割もの卒業生が不起立を選択したことが許し難い行為なのだ。
一年以上も前から横山教育長らが「東京から日本を変える」と息巻いて完壁な制圧を
もくろんだ三月の卒業式。この三月でこの間題に決着をつけたかったのだろう。「校長
さん、死なないでくださいよ」(校長会での発言)と釘を刺してまで臨んだ今回の卒業式
で「予測せざる事態」にもくろみは根底からくつがえされた。だからこそ激しい怒りを
覚えたのだろう。
卒業生は18歳だ。教員の言うことなど聞かない年頃だ。しかしそんなことはお構いなし。
「誰が教唆したのか。あおったのは誰だ。見つけ出して徹底的に処罰しろ」。頭に
血が上った土屋都議や横山東京都教育長の狂乱が始まった。挙げ句の果ては「起立しな
い生徒が多いクラスの担任を処分する」とまで言い出した。これでは「教育長ではなく、
脅迫長」だ。
5月21日朝、7時55分、突如自宅のドアがノックされた。「どなたですか」……
「警視庁!」。いきなりの家宅捜索だった。10時15分まで二時間余にわたって、二階
の洋服ダンスの服一つ一つまで捜索がおこなわれた。あっても「任意出頭」呼び出しと
思っていただけに、驚いた。掲示板のアドレスを書いた紙片(ハガキ大)一枚、組合大会
のビラ一枚、記念にとっておいた私の過去の組合役員選挙立候補の公報、選挙ビラ等の
つづり40枚一組。そして何と、明石書店編集部(『良心的・・・』の出版社-仁平注)から
のハガキ一枚を押収していった。』
今日の「澤藤統一郎の事務局長日記」に「板橋高校事件」が取り上げられていました。
共同通信の配信記事が紹介されています。その記事によると、罪状は「威力業務妨害」と「建造物侵入」
とありました。「建造物侵入」は朝日新聞にはなかったので初めて知りました。改めてあきれています。
教え子たちの教室に立ち寄ったことが「建造物侵入」だというのです。
また「校長さん、死なないでくださいよ」とは恐れ入りました。教育者としての矜持を持っている
校長にとってとてもつらいことだと承知で、校長を石原クーデターの先兵とみなしているのです。
校長さんたち、腹立ちませんか。情けないと思いませんか。やはり不服従を貫くべきですよ。
最後のくだりを掲載します。
『「呼び出し状」は、5月31日10時とあった。いきなりの家宅捜索という無法・屈
辱を受けてなぜに呼び出しに応じられようか。弁護士の方六名が板橋署に行き、抗議し
た。6月1日に再度、6月9日の「呼び出し状」(二回目)が配達証明で郵送されてき
た。弁護団は、東京地裁へ準抗告したが棄却され、現在最高裁へ抗告中だ(6月13日
現在)。地裁の決定書を見ると、「抵抗し」「会場を喧喚状態にした」とねつ造されてい
る。簡裁の捜索令状には、「招待状を詐取」とあった。どこまでも、追い込みたいとの
執念からか、恐ろしいことだ。
憲法が「思想及び良心の自由」を保障している以上、不起立は犯罪ではないのだ。誇
るべき国、社会をつくれば、人は自分たちが選んだ歌を高らかに歌うだろう。愛国心を
強要しなければならないのは、その国が歪んでいる証拠ではないのか。
作家(だった)としてもっとも心の自由を尊ぶべき人間が権力の座について人心を操
ることに快感を覚えている、この皮肉をどう見たらいいのか。ついに首相にはなれな
かった悔しさからか、都知事として大統領になったかのように振る舞う。本当にみっと
もないと思わないのか。
私はTBSニュース23のインタビューに名前と顔を出して応じる決心をした(6月8日放映)。
そして仕方なくその前日、勤務していたガードマンの会社に退職を伝えた。
若く輝いている卒業生に管理職と都議が怒鳴っている姿は、光放つ蛍の群れに警察官
が「灯を消せ」と叫んでいる戦争中の狂気と重なって見えてならない。』
藤田さんがこの文を書いた段階では2回の呼び出しがあったとのことですが、その後もしつこく
呼び出しがあって、「澤藤統一郎の事務局長日記」によると呼び出しは5回もあったそうです。
「澤藤統一郎の事務局長日記」は、垂れ流し記事でお茶を濁すだけで事実に切り込まないマスコミの
報道姿勢を厳しく叱責しています。また弁護士さんならではの文章があります。とても参考になります。
ぜひ読んでみてください。
「澤藤統一郎の事務局長日記」
58. 「10・23通達」から処分まで(1)
2004年10月11日
今回から、主に『良心的・・・』に掲載されている 榊 明夫 という方が書かれた「いつもの春の風景が少しだけ
ちがって見えた」を読みながら、処分がどのような手続きを経て、どのように行われていったのかを
追ってみようと思います。いつ何時どんな難癖をつけられるか分かりません。あらかじめ敵の手の内
を知っておくのも必要かと思います。
今日はまず、「10・23通達」と言われている悪名高い都教委の通達を紹介します。学校関係者
以外の方はその全貌を知る機会が少ないと思いますのであえて全文を掲載します。
平成15年10月23日
都立高等学校長・都立盲・ろう・養護学校長殿 東京都教育委員会委員長 横山洋吉
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)
東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊
重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校
を指導してきた。
これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国
旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施様態には様々な課題がある。このため、各学校
は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。
ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施す
るよう通達する。なお、「入学式、卒業式等における国旗掲揚および国歌斉唱の指導について」(平
成11年10月19日付)ならびに「入学式、卒業式等などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹
底について」(平成10年11月20付)は、平成15年10月22日限り廃止する。
記
通達 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」
l 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び
国歌斉唱に関する実施指針」のとおりおこなうものとすること。
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わ
ない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
別紙 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」
1 国旗の掲揚について
入学式、卒業式における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 国旗は式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、
都旗にあっては右に掲揚する。
(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等
、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者、その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
2 国歌の斉唱
入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等によりおこなう。
3 会場設営等について
入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
(2) 卒業式をその他の会場でおこなう場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。
(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。
(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は厳粛かつ清新な雰囲気の中でおこなわれる式典
にふさわしいものとする。
読んでいるうちに気分が悪くなってきます。誇張ではなく本当に気分が悪くなりました。なんという
醜悪で愚劣な思想・精神。こんな時代錯誤なものを得意になって取り決める連中が都知事であり
都の教育委員です。教育を語る資格など一片ももない連中が学校を牛耳っています。
59. 「10・23通達」から処分まで(2)
2004年10月12日
もうずいぶん以前のことですが、全国一斉に学校給食をカレーライスにする日を
作ろうというまるで冗談のような企画がありました。全国の小中学生が全員一斉に
カレーライスを食べるなんて、あまりにも気味の悪いことです。当然立ち消えになりました。
全校が全く同じ卒業式をやるなんていうのも、私には「一斉カレーライス」と同じく気味の悪いこと
です。こちらは立ち消えになりません。石原が知事をやっている限り、ますますえげつなくなるでしょう。
さて、「10・23通達」に基づいて、仰々しくも次のような「職務命令書」が全教職員に
出されます。
職務命令書
平成16年 月 日に実施する卒業式については、平成15年10月23日付15教指企569号
「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」及び地
方公務員法第32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)に基づき、下記のと
おり命令します。
記
1 当日、教職員は全員勤務し、「平成15年度東京都立 高等学校卒業式実施要項」による
役割分担に従い、職務を適切に遂行すること。
2 式の実施に際して妨害行為・発言をしないこと。また、各自の役割業務を遂行し、式の遂行
が円滑に行われるように協力すること。
3 式会場において、会場の指定された席で国旗に向かつて起立して国家を斉唱すること。着席の指示があるまで起立していること。
4 式中は、会場に留まり、生徒を指導すること。
5 本校の施設及び敷地内及び周辺において、私文書のビラ配り等式の円滑な進行を妨げる
行為をしないこと。
6 服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式にふさわしいものとすること。
7 時 分までに指定された席に着くこと。
以上
校長はこの職務命令書を必死になって徹底させようとします。(引用文は全て『良心的・・・』から)
『私の身辺での様子を語ろうとする時、最も印象深く思い返されるのは、我々の上に立
つ者のロボットぶり、とでも言ったらよいだろうか。まず、校長は、式の数日前から当
日の朝に到るまでひたすら職務命令を読み上げたり、職員にそれを手渡ししたりするこ
とにのみ必死であり、様々な観点からの教職員の意見に対しても「これは職務命令で
す」「私も職務命令を受けています」「今年は状況がちがいます」といった台詞を「もう
一度言いますよ」と前置きしながら繰り返すだけであった』(P.234)
『校長から、個人宛てに職務命令書を出すので校長室に受領に来るようにと言われたが、
勤務時間を過ぎていたためほとんどの職員は当日は受け取りに行かなかった。翌六日、
昼休み、校長室に受け取りに行くよう再度教頭に言われたが、行かずにいると五時限が
始まって間もなく校長・教頭の二人が図書館司書室に職務命令書を持ってやってきた。
「かつて教員の両親を『戦争に反対をしなかった』と非難した私はこのような理不尽
な命令に従うことができないので、当日は国歌斉唱時に着席します」と通告をして職務
命令書を受け取った。「話は聞いたが私としては起立をお願いするだけだ」と校長は
言った。』(P.97 筆者・菅谷敬子さん)
『 3月5日の職員会議で、校長は「卒業式実施要項・会場設営図」を担当する分掌をあ
らかじめ示すこともなく、一方的に提示した。教職員多数からその不当性が追及された
が、「細部は改めて示す」とした。更に、「卒業式予行で生徒に内心の自由を説明させ
よ」との多数意見には「その必要はない」とかたくなに拒み、「それは都教委の指導か」
との追及には「私が答える中味ではない」といつもの官僚答弁で職員の失笑と抗議を
誘っただけであった。そして、突如「職務命令書」の読み上げを始め、多数が抗議する
声の中全く聞き取れず、「また改めて職務命令を出す」と校長も譲歩したのであった。
卒業式を二日後に控えた3月10目早朝、当日の「後期入試」の全員打ち合わせでの
最中、校長はまた「職務命令読み上げ」を始めたが、多数の抗議で「読み上げ」を断念
せざるを得なかった。ところが、午後、校長は入試の採点・得点入力作業を中断し、再
び「職員打ち合わせ」を招集し、「職務命令の読み上げ」を始め、「適正な入試の作業を
中断するな」の激しい抗議の中、校長は「大変なことになる」という恫喝ともとれる発
言をした。これによりほぼ全員の教員があきれて退席してしまった。校長は慌てて職員
室や、各担当教員の退避した教科準備室に出向き、「卒業式は生徒の卒業を祝う場だ。
『日の丸・君が代』のためにあるのではない。職務命令は納得できない」と私たちが抗
議する中、個々の教員に向かって「職務命令書」を読み上げ、なかば強制的に手渡した
のであった(その場で職務命令書を破った人、机に置いたままにした人等様々であった)。』
(P.126〜P.127 筆者・近藤徹さん)
職務命令を出さなかった校長は数名いたそうです。
『 今回、通達を発した都教委、卒業式の監視役の都職員、職務命令しか発することができなかった校長、全員に「良心のカケラもない」とは思わないが、辛うじて職務命令を出
さなかったのは数名の校長のみで、叛旗をひるがえした人はほとんどいなかった。』(P.223 筆者・西川随一さん)
60. 「10・23通達」から処分まで(3)
2004年10月13日
今回は卒業式(または周年行事)当日の「君が代斉唱」のときの様子です。まずは
榊さんの文章から入ります。
『卒業式当日、教員席に座ろうとすると、教頭が「そこではない、あそこに座れ」と言
う。個々に座席指定がなされているようだ。「君が代」斉唱が始まると、私は腰をおろ
した。それは短く、あっという間に終わってしまい、一分とかからなかった。教頭が
「先生立ってください」と声をかけてきた。自動車教習所で踏切の安全確認をするよう
にわざとらしい。これで彼の役割を果たしたことになるのだろう。周りの教員に隠れて
生徒からも保護者からも私の姿は見えない。ほとんど影響力のない行為である。
これで戒告になった。たった一分足らずの行為のために私は戒告されたのだ。まった
く不条理このうえない。卒業式の終わる頃になると教員席には人がいなくなってしまっ
た。それでも私はそこに座っていろと言われた席に座り続けた。別に特段の高揚感があ
るわけではない。「まあこんなものかな」というところである。
卒業式の後で教頭が改めて相談室に来いと言ってきた。校長と教頭が事情を聞くと言
うのだが立会人も記録も認めずとうてい適正な手続とはいえない。これでは勝手な報告
を都教委にされたところで何の反証もできない。校長は事実確認をしつこく求めてきた。
私はそのような質問は思想・信条の自由を犯すものであるから不当であると答えた。校
長はこれは単なる事実確認に過ぎない、なぜ答えられないのかと繰り返した。恐らくは
都教委のマニュアルどおりなのだろう。何としても本人から不起立の言質を取ろうとす
る。そうすれば訴訟になったとき都教委は立証責任を免れる。そこでそのことがいかに
も重要でないことのように、単なる事実確認と繰り返す。校長の頭には憲法も教育原理
もない、それが良いか悪いか考えもせず都教委の言われるままに動く機械に成り下がっ
ている。このような者が教育の場に存在してはならない。間違ったことをしているにも
かかわらず校長は自分の目論みがうまくいかないと、苛立って怒り出した。若い指導主
事が入ってきて現認したと言った。私が彼の目をじっとにらみつけると、彼は下を向い
た。こんなやつを指導主事にしておいてどうするのだ、そんな金があるなら現場の教師
の数を増やせばよいではないか。』
「若い指導主事が入ってきて現認したと言った。」とありますが、教育庁からスパイと
して派遣されていた都職員です。なんと各校に数名ずつ派遣されたと言うことです。
『校長から職務命令が出されましたが、記念式典において国歌斉唱時には着席しました。
教育委員会からは八名が派遣され、二名は来賓として壇上に上がり、あとの六名の指導主事
は教職員を監視できるように一番後ろの座席になっていました。しかし、三人の指導主事は
決められた座席には座らず、二人は二階の生徒の席に、もう一人は会場の外にいたことが確
認されています。私が着席した直後、教頭はかなり大きな声で「立川先生、起立してくださ
い」と叫びました。式典が終わったあとすぐ舞台裏の小部屋で、校長及び教頭とともに着席
したことの確認を求められ、私はそれを認めました。』(P.93 立川秀円さん)
『式典当日は教育庁から来賓として名簿に載っていた二名の外に監視役として四名、合
計六名が来た。私は式典開始の起立号令で起ち、国歌斉唱ときたので着席、続く校歌斉
唱の後、式場を出て受付を続けた(職務命令書によればPTAにまかせて式場に着席してい
なければならなかった)。式典の第一部終了後10分の休憩の際に、教頭が来て校長が話
があるので来るように言われ、楽屋裏の衝立の陰に連れて行かれた。教育庁の一人、校
長、教頭の三名立会いで校長から着席の確認をされた。「着席しました」と応えたら「今
は時間がないので確認のみ。話はいずれ後で」と言われた。教育庁の監視役四名はその
日、建物の外や式場・会場を出たり入ったりして終了後も五時過ぎまでずっと居続け
た。』(P.98 菅谷敬子さん)
『 卒業式場の教職員の座席には校長があらかじめ番号札を貼り、座席を「指定」していた。
職員が着席する式開始時間の10分以上前から、教職員の「監視」のために派遣されてきた
都教委職員三名のうち二名の指導主事が職員席の後ろに立ち、職員の着席状況に目を
光らせていた。来賓入場では校長がPTA、同窓会の役員と共に、都教委の「幹部職員」
を案内して会場に入って来た。前列の右端がその「幹部職員」の席で、次に校長、教頭、事務長、
卒業学年担任の順に、後列の両端が指導主事(監視役)の席である。私の席は後列のほぼ中央であった。
ほどなくして、生徒が入場し式が始まった。開式の辞の後、いったん着席し「国歌斉
唱。一同起立」と司会が発声した。起立した教職員もそれぞれが抗議の意思を身体で表し、
時間差でゆっくりとイヤイヤの態度で起立した。その瞬間、教頭と指導主事二名は教職員の
動きを把握しょうと、きょろきょろあたりを見回していたが、遅れて立つ教職員が多数な
ので一瞬驚きと動揺の表情を浮かべたように見えた。「整然と式をおこなう」との校長
の口癖にもかかわらず、斉唱開始から15秒ほどたってから、教頭が席を離れ、
「現認」のため「不起立」の教員の後ろに移動し、トントンと肩をたたき、「〇○先生お
立ち願いますか」と小声で言って回った。勇敢にも前列の担任の席で起立しなかった教
員には、教頭は日立つので前にも行けず、当惑の表情を浮かべながらしばらくじつと見
つめていた。斉唱終了の直前教頭は席に戻った。』(P127〜P128 近藤徹さん)
『開式の言葉に続いて「国歌斉唱」、その時は頭の中が空白になり、気がつくと、いつ
の間にか私は着席していました。その直後、私の前に小声で「起立」を促す教頭が立っ
ていました。その様子を職員席の中で「監視」している都教委職員の視線を背後から感
じながら、今年の卒業式の異常さを身にしみて感じました。「職務命令」を出した校長も、
「起立」を促す教頭も、「監視」している都教委職員さえも、どこまで本心で行動し
ているのだろうか。この得体の知れない「強制力」は一体何だ! やっぱり、私は立て
ない。このわずか40秒のでき事が、半月後「全体の奉仕者たるにふさわしくない行為
であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるもの」である
という理由で「戒告処分」となったのです。』(P161〜P162 筆者・堀公博さん)
この堀さんの記述の中の『「職務命令」を出した校長も、「起立」を促す教頭も、「監視」している都教委職員さえも、
どこまで本心で行動しているのだろうか。この得体の知れない「強制力」は一体何だ!』という感歎に、
私は強い共感を覚えます。『得体の知れない「強制力」』とはいったい何なのかを分析したい欲求が湧
きますが、今は私の力に余るようです。この国の国民性に関わる重要な問題が含まれていると直感し
ていますが、いずれ挑戦しようと思っています。
ただ今は、次のことを指摘しておきたいと思います。
私は「44. 頼もしい保護者たち(2)」で、パスカルの有名な言葉をもじって「人間は一本の葦に過ぎない。
しかも風にそよぐ葦である。」と書きました。被支配者にも拘らず、常に支配者の動向になびく葦。
願わくば一人でも多く、「考える葦」であって欲しいと思います。