101. 詩をどうぞ(5)
2004年11月23日



 「ユリイカ・現代詩の実験」1975年12月臨時増刊号に、1975年の詐術への憤怒をしたためた詩 もう一編発見。

オオ・ノー・モア・ヒロヒト     山本太郎

20数年ニナルカ
「オレハ アナタノ名ヲ 呼バヌ」
「モウ呼バヌ」 トイッタガ
オレノ聲ハ ムロンキコエヤシナカッタ
ヒロヒト アナタノ耳孔ガ
イチドダッテ ホンキデ
オレタチノホウニ 開イテイタコトガアルカ
ホンキト絶縁ノ
ホンキモ ソンキモナイヒトノ
笑イモ 泪モシラナイヒトノ
キミノワルサヨ
キショクノワルサヨ
オレタチハ アナタニ
数エキレヌ貸シヲモツガ
アナタハ ソレヲ知ラナイ
アンコール狎レシタ役者ノヨウニ
アンコール好キノコクミンニ
カラクリノ人形ヨロシク
カグン・カクント 首フリ腕フリ
オオ・ノー・モア・ヒロヒト
イマサラニ アワレ
ナドトイウツモリハナカッタガ
「亡霊ノ名ハモウ呼バヌ」 ト
モウイチド書イテオコウ
ジプンノコトバヲ モタヌ マレビト
血ノカヨワヌ カタコトノ
アナタハ ヤハリキケンナヒトダ
ヤッパリ邪魔ダ キッパリ無縁ダ
ヒロヒト アナタハタシカニ個体ジャナイ
一系ノ妖シイ流レニ
クラゲナシタダヨエル菊ノヒトモト
象徴劇ノ カーテンコールノ
ヨク似合り遺伝保持者デ
ユラユラユラリ
パントマイムノ アヤウサニ
オイタワシヤ ト
マタゾロ ワルノリノ
拍手ガチラホラ キコエルノデ
オオ ソウサ
「アア ソウ」 ト
ヒトコト スナオニ
呟イテ 消エル
イマガ 潮ドキナノダ
 太郎さんが「イマガ 潮ドキナノダ」と書き留めてからさらに14年間ヒロヒトは居直った。 ヒロヒトの即位が1926年、1989年に死去。
 太郎さんは1925年生まれで1988年になくなられた。奇しくも昭和と呼ばれた時期とほとんど重なった 生涯だった。まだ63歳だった。



102. 詩をどうぞ(6)
2004年11月24日



 久しぶりに山本太郎さんを思い出すことになったので、遅まきながら追悼をかねてもう一編選ぼう。
 太郎さんには「覇王紀」という長編叙事詩があり、私はその350部限定版というのを 持っている。この創作神話とも言える長編叙事詩は日本の現代詩では非常にユニークな試みだ。 その続編を心待ちにしていたのだが、いまは太郎さんなく、いまさらながらとても残念である。
 久しぶりにその「覇王紀」をひもといた。その一節を。


「覇王紀」・七のうた覇王への序曲 より     山本太郎  

「独り」を病む人間の
最も美しい症状は
集団を憧れるということだ
集団のなかでなお
独りであることの恍惚
すべての王 すべての帝王は
君同様人間のそんな特性を
家畜化の為めに活用したのだ
自分より「巨きなものに仕える」よろこび
その為めに流される血と汗に
輝かしい「意味」の勲章を授けるのは
王達の 昔も今も変らぬ詭計だ
適当な渇きと適当な授与を計量し
人間牧場(まきは)の中央で
あらゆる覇王は
「わが帝国こそ永遠」と夢みるのだ

(中略)

武力・制度そして平和は
人とともに育ったものゆえ
人とともに内側から腐ってゆく
この冷い星が劇場となる為めには
はじめ生命(いのち)の誕生が必要だった
この冷い星で幕が揚がる為めには
次に人間の登場が必要だった
家や町や国家は人とともに大きく育ち
人とともに汚れていった
優美な塀をめぐらした家の内部では愛と憎しみが
コンピューターで人民の意志を計算する市会では正と不正が
威圧的な武装をもつ国家の中枢では戦争と平和が
わかちがたく結びつき
世界を腐植土に変えていった
人間の出現以来この星は
危険な病気に憑かれているのだ
改めて問うがいい
孤独とは何か 渇きとは何かと
兵士は死にありて王の名を呼んだか
罪人は刑をうけつつ王にざんげをおくったか
その無表情 その黙殺の儀式を君は視たか
家畜化をのがれ
自分だけの「独り」を誰にも手渡さず
持去ろうとするものの最後の黙礼を君は視たか
僕は腐ってゆく肉体をみれば吐き気を催し
殺人者はまっすぐこれを憎む
神の代行者ではないから
さいわい「愛する」などといわずにすむ
王のように
愛し裁き憐れむことで
彼等を忘れてしまうわけにはゆかないのだ
彼等が世界の一部である限り
彼等の死 彼等の恐怖は僕の生と
結びついているのだ



103. 詩をどうぞ(7)
2004年11月25日



 前回『覇王紀』の最後の6行

「王のように/愛し裁き憐れむことで/彼等を忘れてしまうわけにはゆかないのだ/ 彼等が世界の一部である限り/彼等の死 彼等の恐怖は僕の生と/結びついているのだ」

を受けて。



『二度死んだ男たちへ』から

    要約せざるもの    田村隆一

きみは
戦中派についてつぎのごとく四つの命題をあげる−−
一、自分自身の生命と戦争とが必然的に密着していた事。
二、戦争の悲惨さの実感。
三、戦争目的に関する相対主義。
四、敗戦意識と戦争の挫折感。
昭和二十年三月十七日、琉黄島の陸海軍の守備隊が全滅したとき、
きみは戦艦大和の電信士だった。
まるで硫黄島の全滅と期を一つにして、
きみの船艦「大和」は沖縄にむかって出航する。
戦後、きみの証言と行動には、きわめて重要なふくみがある −−
「いっさいの要約を拒否するのが、戦中派
 の発想の特色であろう。これまで
 に述べた四つの命題は、
 要約されることよりも、
一つの基本的な姿勢の中に生かされることを
 待っているにちがいない」
では、一つの基本的な姿勢とは何か?
「戦争の悲惨さの実感に徹する以上は、
 自分だけが戦争から
 身を避けようとする姿勢ではなくて、
 自分の生活の中から平和″に
 相反する行動原理を駆逐すること、
 何よりも
 人間(ヽヽ)>を尊重し、
 人間(ヽヽ)>の生活の重みをいつくしむこと、
 そのことのために、
 地道な
 潜心が積み重ねられなければならない」

きみの葬儀は
東洋英和女学院の
マーガレット・クレイグ記念講堂で行われた

ぼくは電報を打った −−
「チカクオメニカカリタカツタノニ」「デハ」
「イツカマタ」 タムラリユウイチ

二度死んだ男たちよ
ぼくはぼくの「死」を大切にしたいと思う。
要約されざるものよ、
また逢う日まで。
   (「ユリイカ・現代詩の実験」1979年11月臨時増刊号より)


 「二度死んだ男」の一度目の死は、言うまでもなく、敗戦のときである。天皇の命による 聖戦を信じ真摯に戦ったものほど、「昭和」をのっぺらぼうに生きることが出来なかった。
 だから二度目の生も真摯たらざるを得なかった。

 自分の生活の中から平和″に
 相反する行動原理を駆逐すること、
 何よりも
 人間(ヽヽ)>を尊重し、
 人間(ヽヽ)>の生活の重みをいつくしむこと、

  私はこの基本姿勢を心底から肯うが、自らを振り返り、「自分の生活の中から 平和″に 相反する行動原理を駆逐すること」の言うは易く行うに難いこと痛感している。

 いらぬ注釈かもしれないが、二度死んだ男・「戦艦大和の電信士」とは 「戦艦大和ノ最期」の著者・吉田満氏である。1979年逝去。

 田村隆一氏は1998年に亡くなられた。青年時代、私が熱心に読んだ詩人のひとりだ。私が恩恵を 受けてきた人が次々に亡くなられる。


104. 詩をどうぞ(8)
2004年11月26日



 ブッシュの軍隊によるイラクでの虐殺が続いている。

 第2次大戦下、アメリカ軍の無差別爆撃で焼け野原となった東京、 残虐な原子爆弾で一瞬にして灰燼と帰した広島・長崎が二重写しになる。

 東京の無差別爆撃は1945年3月10日に始まった。
 3月19日付・朝日新聞の一面見出し「畏し、天皇陛下戦災地を御巡幸」「焦土に立たせ給ひ御仁慈の大御心」  大達内相謹話「聖慮に唯感泣」
  なんと醜悪な構図。ヘドだ!!

 五月二十三日夜、アメリカ空軍の空襲で原宿の家が一冊の書物みたいに、 あっけなく焼けあがった。五月二十五日夜、寄寓先きの四谷左門町のお寺の 離れが、同じくアメリカ空軍の空襲で焼けた。逃げ出したとき、わたし と母は炎の海のただなかに取り残された。手と手をにぎりあって、炎の海のな かを走った。どこまでも走った。掌がずり落ちた。わたしだけが、なおも走った。 わたしは母を置き去りにした。わたしは、わたしを生んで育ててくれた母を殺した……
(「現代詩文庫・宗左近詩集」(思潮社)所収「わだつみの一滴」より)
 宗さんは母親を見殺しにした自分を見つめ続ける。それをヒロヒトのように「忘れてしま うわけにはゆかないのだ」
 宗さんは母への鎮魂と自己処罰の書、約100編の詩よりなる300ページ余の長編詩「炎える母」を書く。
 しかし、たぶん、宗さんの心は、その真摯な営為にもかかわらず、なお慰撫されてはいまい。



『炎える母』第6章「サヨウナラよサヨウナラ」から

     サヨウナラよサヨウナラ 3     宗 左近   

見えている炎の海はたちさったけれど
見えない炎の海があふれかえっているのだから
炎えつづけて炎えやまない母だから
炎されつづけて炎されやまないわたしだから
この炎えている炎えあがってくる白い現(うつつ)に
サヨウナラはないサヨウナラはいいえない

   のびあがり
   身をよじり
   ひるがえり
   うねり
   くねり
   ねじれ
   まがり
   波だち
   たぎり
   湧きたち

炎えつづけて青く炎えやまない母だから
焦げつづけて赤く焦げやまないわたしのなかの母だから
サヨウナラはいいえないサヨウナラはない

   うめき
   うなり
   さけび
   泡をふき
   くいちぎり
   くるめき
   歯がみし
   あえぎ
   もだえ
   波だち

見えている炎の海はたちさったけれど
見えない炎の海があふれかえっているのだから
サヨウナラはないサヨウナラはいいえない
ああ炎えあがり炎えあがりつづける母だから
わたしのまるごと垂直に常に吸いあげられてゆきかねない
この白すぎる朝を焼きおとすために
この光りすぎる中空を煙らせるために
サヨウナラはいわないサヨウナラはいいえない
わたしは炎されつづけてゆかなければならないのだから
サヨウナラぐるみ炎していったもののためにわたしは
サヨウナラぐるみ炎されつづけてゆかなければならないのだから
懐かしい母の乳房の匂いのする
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ
幼い日の夕焼けの染めている
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ

(「長編詩・炎える母」(彌生書房)より)



105. 堀田善衛さんの奇しき体験
2004年11月27日



 1945年3月18日のヒロヒトの罹災地視察を偶然目撃した人がいる。堀田善衛氏。
堀田さんはその時の体験を、著書「方丈記私記」(とくま文庫)に書きとめている。そのくだりを 紹介しよう。

堀田さんは1945年3月18日早朝、知り合いの女性の安否を確かめるため深川へでかけた。 その道すがら目撃した戦災の様子を次のように描写している。

 『永代橋の途中で、私は思わず立ち止ってしまった。朝日が空の 途中まで上っていたけれども、その中途半端な朝日の下に、望み見る門前仲町や洲崎弁天町 や木場の多いあたりは、実に、なんにもなかった。実になんにもなくて、ずいと東に荒川放 水路さえが見えそうな心地がした。平べったく、一切が焼け落ちてしまっていた。 合流火災(ヽヽヽヽ)が、隅田川を飛び越えた、それは この広い川添いに方々で、右岸から左岸へ、左岸から右岸 へと火が飛び越えた、と聞かされていたのであってみれば、その猛烈さ加減は想像されぬこ ともなかったのであるが、現実はやはり想像を越えていた。永代橋を、とにもかくにも渡り 切ってもとの佐賀町、永代二丁目、門前仲町であったあたりのところへ入って行ってみると、 隅田川を渡る以前の地区との、一つの違いが見出された。それは、いまの中央区か港区にあ たるあたりの焼け跡には、すでに多く移転先や疎開先を記した板ッピラなどがたてられてい たものであったが、それが、川を越えてはほとんど見当らぬことであった。ということは、 多くの場合に、そこの住民が全滅したことを意味したであろう。生きながらの大量焚殺であ る。』


 このときの死者は10万人と言われている。
 目的の女性の住んでいた辺りはほとんど何もなかったので、尋ねる意味がなくなってしまった。 もう堀田さんには何もすることがなく、そこらここらでぼんやりすごして、富岡八幡宮の境内が あった辺りで佇んだ。

 『そうして、もう一度私はおどろいた。焼け跡はすっかり整理されて、憲兵が四隅に立ち、 高位のそれらしい警官のようなものも数を増し、背広に巻脚絆の文官のようなもの、国民服  の役人らしいものもいて、ちょっとした人だかりがしていた。もとより憲兵などに近づくも  のではない。何事か、と遠くから私はうかがっていた。
九時すぎかと思われる頃に、おどろいたことに自動車、ほとんどが外車である乗用車の列 が永代橋の方向からあらわれ、なかに小豆色の自動車がまじっていた。それは焼け跡とは、 まったく、なんとも言えずなじまない光景であって、現実とはとても信じ難いものであった。 これ以上に不調和な景色(けいしよく)はないと言い切ってよい ほどに、生理的に不愉快なほどにも不調和 な光景であった。焼け跡には、他人が通りがかると、時に狼のように光った限でぎらりと呪 みつける、生き残りの羅災者のほかには似合うものはないのである。乗用者の列が、サイド カーなども伴い、焼け跡に特有の砂埃りをまきあげてやって来る。
 小豆色の、ぴかぴかと、上天気な朝日の光りを浴びて光る車のなかから、軍服に磨きたて られた長靴をはいた天皇が下りて来た。大きな勲章までつけていた。私が憲兵の眼をよけて いた、なにかの工場跡であったらしいコンクリート塀のあたりから、二百メートルはなかっ たであろうと思われる距離。
 私は瞬間に、身体が凍るような思いをした。』


 そこで繰り広げられた儀式めいた光景に、堀田さんは三度びっくりする。
 あたりで焼け跡をほっくりかえしていた人たちが集まってきて、しめった灰の なかに土下座をしたのだ。

 『私は方々に穴のあいたコンクリート塀の蔭にしゃがんでいたのだが、これらの人々は本当 に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざ と焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、といっ たことを、口々に小声で呟いていたのだ。
 私は本当におどろいてしまった。私はピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴 とをちらちらと眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとる ものなのだろう、と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法は ないものか、と考えていた。ところが責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまり は焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることになる!そんな法外 なことがどこにある! こういう奇怪な逆転がどうしていったい起り得るのか!』


 『富岡八幡宮の焼け跡で、高位の役人や軍人たちが、地図をひろげてある机に近 づいては入れかわり立ちかわり最敬礼をして何事か報告か説明のようなことをしている− それはまったく奇怪な、現実の猛火とも焼け跡とも何の関係もない、一種異様な儀式として 私に見えていた−、それはなんとも、どう理解しょうにも理解の仕様もない異様な儀式と 私に思われた。この儀式の内奥にあるものは、言うまでもなく生ではなくて死である。しか もその死は、誰がなんといっても強いられた死であり、誰一人として自ら欲しての死ではな い。特攻隊もまた頻々として飛び立っていた時期であり、南の島々においての全滅もまた月 に何度も報ぜられていた。それらの死に対しての、最高の責任者を、予告もなくて突然に、 目のあたりに見ることは、それはどうにも現実としては信じられない、理解不可能な事柄に 属していた。
 信じられない、
 信じられない、
 というのがどこもかしこも焼け跡だけの焼け跡を風に吹かれて歩きながらの私の呟きであった。』  



106. 奴隷根性
2004年11月28日



 私はかねがね世襲君主を拝跪するような思想は、それがどんなに理論めかして 粉飾しようとも、奴隷の思想だと思っている。

 焼け跡の後始末の作業、絶望のどん底での辛く悲しい作業を中断してまで、灰燼のなかに 「土下座して、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざ と焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、といっ たことを、口々に小声で呟いていた」人々の心情を堀田さんは、さまざまな逡巡をしながらの 保留つきながらも、「無限に優しい優情」と言っている。
 私にはとてもそうは思われない。仲間として被抑圧者や弱者への共感や支援や共生へと向か う心性をこそ「無限に優しい優情」と言うべきではないのか。
 世襲君主に土下座をする心性は、奴隷の心情以外の何ものでもない。「無限に卑屈な劣情」 というべきだろう。
 しかし私は糾弾しているわけではなくただ痛ましいと思う。なぜなら私は土下座する人たち の高みからものを言っているのではなく、私の中にも巣くっている「奴隷の心情」を見据えなが ら言っているのだから。

 私は「99.『「非国民」手帖』を読む(6)」で次の文を引用した。
 
 加速する日本崩壊の根源を辿るとき、その原点にくっきり見えてくるのが、……日の丸や君が 代に象徴される理念や規範など、伝統的な精神文化の崩壊ではないか(田代京子「日の丸のこ と、君が代のこと」)

 このとき出典を明らかにすることを忘れていたが、これは『「非国民」手帖』の「どれだけ敗北 を重ねれば」(99年10月号/歪)からの孫引きで、この文について「歪」さんは次のようにコメント している。
 さすが、『正論』(9月号)の巻頭を飾る天才右翼高校生だけある。オリジナリティはゼロだが、 オジサンたちの論点をうまく整理して口真似はできている。もちろん全くの虚妄にすぎないけど。

 この文の田代京子という筆者は当時高校生だったということだ。
自ら守るのが真の平和主義 大学生 岩永拓也(神奈川県海老名市19歳)

 「共産と社民が9条守るには」(22日)を読みました。私は戦争を知らない世 代であり、その悲惨さを目の当たりにしないまま今まで当たり前のように平和な 生活を享受してきました。
 しかし私には戦後の日本が真の意味で平和を守れる国家として歩んできたとは 思えません。なぜなら、日本が憲法9条で戦力や交戦権を放棄したところで、相 手に戦争をする意思と力があれば戦争は起こると思うからです。今の日本の平和 な暮らしは日米安保条約が大きな支えになっているのが現状だと思います。  必要な武力は持つ、でも他国は侵略しないというのが、真の平和主義だと思い ます。しかし日本の防衛は日米安保が前提であり、他国による侵略があると自衛 隊単独では守りきれないことは明らかです。それでも多くの日本人は米軍基地が 自分の住む町に来ることには強く反対します。自衛隊の規模拡大に不可欠な徴兵 制も、導入されれば私は応じようと思いますが、自分で自分の身を守ることすら 拒む人がまだ大勢です。
 そんな姿勢が、沖縄県に米軍基地の7割余を押しつけたままにしているのでは ないでしょうか。現実から目を背けない姿勢が必要だと思います。

 これは11月25日付朝日新聞朝刊の読者欄の投稿文だ。
 いまさらその誤謬や欺瞞をあげつらうために引用したのではない。日々うんざりする ほど垂れ流され続けている支配者の口ぶりをそっくりなぞったものに過ぎないことを確認で きればよい。
 いずれも、単純明解にして、皮相である。耳目に入りやすい言説の常である。

 自分のハイティーンの頃を振り返ると、もっぱら背伸びをした読書にかまけて現実の政治問題 や社会問題についてはほとんど考えていなかったようだ。
 それにひきかえ上記の高校生・大学生は社会意識・政治意識が高く、感心する。 しかしその言説を私はとても痛ましいと思う。お二人ともおそらく支配されている側の 人間だと思うが、なんともたやすく支配者の思想に取り込まれてしまうことか。私には土下座を する人たちと同じに見える。

 被支配者が支配者を支持し、その支配をより強固なものにする権力の一翼を担ってしまう のは何故か。これについてはマルクスの分析以上のものを知らない。一度引用したことが あるが、再度引用する(出だしの部分のみ)。
 支配階級の思想はどの時代にも支配的な思想である。すなわち、社会の支配的な物質的な力 (ヽヽヽヽヽ)であるところの階級は、同時にその社会の支配的な 精神的な(ヽヽヽヽヽ)力である。物質的生産の手段を左右 する階級は、それと同時に精神的生産の手段を左右する。だから同時にまた、精神的生産の手 段を欠いている人々の思想は、おおむねこの階級に服従していることになる。

 しかし、被支配者が支配者の思想を受け入れてしまうのは、ただ「精神的生産の手段を欠いている」た めだけだろうか。
 被支配者の側の心性にすでに服従をこととする素地があるからではないか。

 大杉栄に「奴隷根性論」という論文がある。古今東西のさまざまな奴隷のおぞましい生き様を列挙して、 結論に曰く。
  主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する、これが全社會組織の暴力と恐怖との上に 築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、殆んど唯一の大道徳律であつたのである。そ してこの道徳律が人類の脳髓の中に、容易に消え去る事の出來ない、深い溝を穿つて了つた。服 従を基礎とする今日の一切の道徳は、要するに此の奴隷根性の名残りである。
 政府の形式を變へたり、憲法の條文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども、 過去数萬年或は数十萬年の間、吾々人類の脳髓に刻み込まれた此の奴隷根性を消し去らしめる事 は、中々に容易な事業ぢやない。けれども眞に吾々が自由人たらんが爲めには、どうしても此の 事業は完成しなければならぬ。 (大杉栄「奴隷根性論」より)

 90年も前の言説だけれど、なお色あせていない。


107. 支配者の心性
2004年11月29日



 非支配者の脳髄に刻み込まれたのが奴隷根性なら、 支配者の脳髄はどうなっているのだろうか。

 再び堀田善衛著「方丈記私記」を利用させていただく。

 方丈記が書かれた時期の天変地異を九条兼実の日記「玉葉」から の引用で列記した上で、堀田さんの文章は次のように続く。
 兼実が「言語ノ及プ所ニアラズ、日本国ノ有無タダ今明春ニアルカ。」と言うのもまた無 理はない。しかし、私は、兼実の言う「日本国」というものが、兼実の心持としては彼らの 貴族エスタブリッシュメントに限られたものであったろうと註しておきたい。一般人民のこ となどは彼らの「日本国」には入りはしない。
 そうしてそのことは、一九四四年において、直ちに公爵近衛文麿の書いた天皇に対する上 奏文を思い出すための道を拓くように思う。これは二月十四日に上奏され、秘密に附されて いたものであるから、言うまでもなく当時としてはわれわれ一般人民の知るに由のなかった ものである。支配階級というものは面白いほどに等質なものであるということの、一つの症 例になりうるか。

 堀田さんはその症例の一つは「国民と言うものの無視、あるいは敵視」であるとい、上記 「上奏文」中の国内情勢に関する部分を取り上げる。
これによると、少壮軍人の多数も、右翼も左翼も、官僚も、みな共産主義者であり、「抑々満 洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争まで導き来れるは」、軍部革新派であ り、「是等軍部内一味の者の革新論の狙いは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻 く一部官僚及民間有志(之を右翼と云うも可、左翼と云うも可なり。所謂右翼は国体の衣を着 けたる共産主義なり。〔=近衛の自註〕)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し 居り、」というわけである。資本家と貴族を除いたほかは、活発な人々は誰もかれもがぜんぶ 共産主義者だということになるのである。
(中略)
こんなにまで真面目で非常識な、真剣で滑稽な文書と いうものも少いであろう。「一億玉砕を叫ぶ声」さえが、「遂に革命の目的を達せんとする共 産分子なりと睨み居り候」となるに及んでは疑心暗鬼、悲惨というのほかない。しかも、 「此の事は、過去十年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亙り交友を有せし不肖が、最 近静かに反省して到達したる結論」だという。満州事変、支那事変、大東亜戦争などについ て責任があるのは、また、中国の「国民政府を相手にせず」などといったのは誰だったのだ ろう。その非常識滑稽は、社会から斥けられた法外者(アウトロウ)か、犯罪者の抱く歪ん だ社会観に近い。近衛氏は、共産革命を防止し、国体と称するものを守るためにのみ、戦争 終結を急いだ。そしてこの国体と称するものも、要するに自分たちと天皇ということにほか ならぬと思われる。                  
 堀田さんは「こんなことをいわれて天皇がそのココウの臣たちについてどんな感想を抱いた か、聞いてみたい気がする。」と書いているが、天皇の心のありようも近衛とほとんど同じだ ったろうと私は思う。天皇はこの上奏文に共感したに違いない。
 戦争終結の路線はこの上奏文と同じ方向に向かって進められた。
  かくて宜戦の詔書によって開始された戦争は、三年有余の年月のうちに完全に破綻の様相を 蔓延させながら、最後に「国体護持」の一点のみをめざした「終戦」の詔書によって幕をとじる ことになった。「終戦」の詔書は、この戦争が内外の民衆にあたえた甚大な被害についてのみず からの責任にはふれず、もっぱら情勢の悪化によって終戦がやむなくなったとし、降服という事 態にもかかわらず天皇制が持続することを国民に訴えていた。戦後日本史の歴史的前提はさまざ まな意味で、この「終戦」の詔書に凝縮されているといっても過言ではないだろう。
(「岩波講座・日本の歴史21」所収「国民動員と抵抗(粟原憲太郎)」より)

 被支配者に対する恒常的な強い猜疑心と恐怖心。これが支配者の脳髄に刻み込まれた深い溝だとしたら、 奴隷根性とこの貧相な性根と、人類は救いようがないではないか。
 支配者・被支配者をともに解放する道筋は果たしてあるのか。その可能性が支配者の側にはないこと だけは確かだ。


108. 詩をどうぞ(9)
2004年11月30日



 主人と奴隷の中間にいる者たちは、弱者に対しては主人と同じ心性をまねて 暴虐をいとわず、主人に対しては奴隷根性まるだしで媚びへつらう。中間者は 傲慢と卑屈を使い分ける心性を脳髄に刻み付けてきた。

 支配者の虚勢は被支配者への猜疑心と恐怖心を悟られまいと押し隠す。しかし 中間者=支配者の手先は忠誠心の証として、猜疑心と恐怖心をあからさまに表出する。



「不作法者」抄   中江俊夫

お前のおならは
法と秩序に対する挑戦であり
問題点を充分検討し
警備の万全を期したい
県警本部長が言った

お前のおならには
騒乱罪の適用に踏みきるか
思いきった立法で対処するか
慎重に検討し もちろん現行法規も最大限に活用する
国家公安委員長が言った

お前のおならは
国民に不安を与え 不信を抱かせ
国際社会からも批判を受けており
深く遺憾とする
首相が言った

お前のおならには
今度こそ絶対安全という状態で
長期にわたる警備体制をとり
抜本的な対策を練る
所轄警察署長が言った

お前のおならは
凶悪な過激臭と化した
これまで拳銃を携行しなかった機動隊員にも
拳銃の使用を許可するよう政府に要請した
警察庁長官が言った

お前のおならには
威嚇と抵抗抑止の目的で断固として
自衛隊の出動も考慮する
それが国民全体の期待にこたえることになる
防衛庁長官が言った

   (「ユリイカ・現代詩の実験」1978年10月臨時増刊号より)


 素晴らしさと愚かさを兼ね備えているのが人間さ、としたり顔で 分かったふうな御託はたれたくない。人間の歴史は、総じて、殺戮と愚行の オンパレードだ。それが人間だと言うのなら、一段高い別の生物に進化しない限り人間に 未来はない。

 「不作法者」よりもう一連。


うじ虫や
めだかだけが残る
人間は誰一人生き残りはしない
糞虫や
かなぶんぶんだけが残る
人間は誰一人生き残りはしない
鍬形虫にも読める(くねぎ)文字で書いておこう
人間どもの碑文をあと少々



109. 『「非国民」手帖』を読む(7)
 学級会レベルの民主主義
2004年12月1日




俎上の鯉:橋爪大三郎『民主主義は最高の政治制度である』(現代書館)
料理人 :歪
料理記録日:92年10月号

 橋爪大三郎『民主主義は最高の政治制度である』(現代書館) の正式タイトルは「陳腐で凡庸で苛酷で抑圧的な民主主義は人類が生み出した 最高の政治制度である」という。この物言いにはある転倒が加えられているが、 もう一度引っ繰り返してみるべきだろう。つまりこうだ。「民主主義を人類が 生み出した最高の政治制度であると論じる事は陳腐で凡庸で苛酷で抑圧的である」
 狙い目のよさは買いだが、踏み出す方向がずれているのはいつものことか。啓蒙を気取るね ちっこさも芸のつもりだろうが、論理が凡庸なら鈍重なだけだ。
「民主主義とは、《関係者の全員が、対等な資格で、意志決定に加わることを原則にする政治制 度》をいう」のだと橋爪は定義する。なにも救抜するまでもない。この程度の凡庸な民主主義 観は蔓延している。
 参院選をめぐつて投票率の低さから政治の現状を導こうとしたジャーナリズムが依拠したも のも、《凡庸な民主主義》でしかない。
 しかし橋爪などという大学教師より財界首脳や労組幹部の方が政策決定への影響力が強いと いうのが、近代国家における民主主義のうんざりするほど陳腐で凡庸な事実である。政治的権 利が平等でも社会的に不平等なら、《対等な資格》はフィクションにすぎない。理念の閉域で いくら論理を煮詰めようと、現実の政治構造には届かない。
 ここに描かれた学級会レベルの平板な民主主義からは、その退屈さも苛酷さも、ましてや優 越性も感じられない。民主主義擁護の戦略は、私意性の保障たる社会的不平等の存在を確認し た上ではじめて構築が可能となる。(後略)

十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
 政治的権利が平等でも社会的に不平等なら、《対等な資格》はフィクションにすぎない。

  このフィクションに気づかずに、あるいはこのフィクションに目をつぶっての民主主義論議を 「学級会レベルの平板な民主主義」と揶揄している。

 ここで揶揄されているような論議は典型的な「誤謬」に属する。この種の「誤謬」が 知を売り物にしている者たちの言説のいたるところに転がっている。かってエンゲルスによって 論破されつくしたはずのデューリング氏が絶え間なく再生しているいうことだ。ならば、 偽物の言説を見抜くためにも「誤謬」について復習しておくのも、あながち無駄ではある まい。

 ディーツゲンの著作、『一労働者の見た人間頭脳のはたらきの本質』が、こういう問題をどう論 じているか、しらべてみよう。
「真理はある一定の条件のもとにおいてのみ真理であって、ある条件のもとでは、誤謬がかえっ て真理となる。太陽は輝くということは、真実な知識である。ただし空が曇っておらぬことを前 提としてである。まっすぐな棒は、水の流れに突っ込めば曲がるということも、もし視覚上の真 理ということに限るなら、右に劣らぬほど真理である。……誤謬が真理とことなる点は、誤謬は それがあらわしている一定の事実に対して、感覚的経験が保証する以上にヨリ広い、ヨリ一般的 な存在を度はずれに認めるところにある。誤謬の本質は、逸脱ということである。ガラスの玉は、 本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。」
エンゲルスの著作、『反デューリング論』が、こういう問題をどう論じているか、しらべてみよう。
 「真理と誤謬とは、両極的な対立において運動するすべての思惟規定と同じく、まさに極めて限 定された領域に対してのみ、絶対的な妥当性をもつ。われわれが真理と誤謬との対立を、右に述 べた狭い領域外に適用するや否や、この対立は相対的となり、従ってまた、正確な科学的な表 現の仕方のためには役に立たなくなる。しかるにもしわれわれが、この対立を絶対的に妥当なも のとしてかの領域以外に適用しようと試みるならば、われわれはいよいよ破局に陥る。すなわち 対立物の両極はその反対物に変り、真理が誤謬となって誤謬が真理となる。」
   (三浦つとむ「弁証法・いかに学ぶべきか」季節社)



110. 『「非国民」手帖』を読む(8)
 《自由》と《民主主義》
2004年12月2日



 「政治的権利が平等でも社会的に不平等なら、《対等な資格》はフィクションにすぎない。」
 これが資本主義下での「民主主義」の実態なら、資本主義下での「自由」とは何なのか。


俎上の鯉:小沢一郎『日本改造計画』(講談社)
料理人 :歪
料理記録日:93年10月号

 小沢一郎は《自由》と《民主主義》を愛している。彼の政治改革の構想は《自由》と《民 主主義》の十全たる発現を願う想いに支えられている。
 手練手管と権謀術数に長けた腹黒政治家のイメージに押し込めて、《自由》と《民主主義》で 断罪すれば、なるほどたしかに安心は買える。しかし、問題の所在には永遠に辿りつけない。《自 由》と《民主主義》の理念とともに射抜かなければ、とどめはさせないのだ。
『日本改造計画』(講談社)。小沢は言う。多数決原理を貫徹し、少数派を封じ込め指導者に 絶大な権力を付託することによって、民主主義を確立する、と。あるいは、政治が個人や企 業を規制することをやめ、自由を保障する、と。
 これは、現在の政治にまつわる多くの議論と同様、拠って立つ原理も、社会に対する歴史 的な分析もない。ただ願望と嗜好だけで語っているに過ぎない。
 多数派が少数派の意見に妥協するのは、温情ではなく、権力の形成と執行をスムーズにす る為にすぎない。また国家が経済過程に介入することによって日本資本主義の《発展》はあ ったのではなかったか。
 しかし、《自由》と《民主主義》を体制への抵抗の原理としてきた側こそ、そのことばの意 味をまともに考えてこなかったことに気づくべきなのだ。
 《民主主義》とは社会的不平等の上に成立する政治的平等の制度であるから、社会的強者が 多数を占有することは必然であるし、《自由》とは社会的不平等の謂いである。
《民主主義》や《自由》の批判者としての保守には、《民主主義》や《自由》ということばの 持つ幻想性だけで戦えた。しかし、政治のリアルに覚醒した、戦後民主主義の鬼子たる小沢 には通用しない。社会党ごときが取り込まれてしまうのは不可避だ。
 もっとも小沢にも勝ち目はない。政権交代を生んだにもかかわらず史上最低の投票率に、《民 主主義》はその限界を露呈しつつあるからだ。

十分に咀嚼すべき最もおいしい部分:
《自由》と《民主主義》を体制への抵抗の原理としてきた側こそ、そのことばの意 味をまともに考えてこなかったことに気づくべきなのだ。
 《民主主義》とは社会的不平等の上に成立する政治的平等の制度であるから、社会的強者が 多数を占有することは必然であるし、《自由》とは社会的不平等の謂いである。


 私たちは社会的不平等を担保にして《自由》を享受している、と言っていると思う。 これは一体どういうことか。