2日目 1999年12月24日(金) | ||
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| 予定 | 結果 | |
| 午前 | ローマ市内巡礼 | ローマ市内巡礼 モーニングコール: 7:30 |
| 午後 | サン・ピエトロ大聖堂での開門式へ | サン・ピエトロ大聖堂での開門式へ |
| ミサ | 未定 | サンタ・マリア・マッジョーレ教会 |
(朝食後)
6:30起床。MKちゃんは朝が早い。モーニングコールのずっと前から起きてなにかしていた。それで目が覚めたから眠い。食事はおかずをとらなかったが、たぶん普通においしいと思う。コーヒーを飲まなかったのは失敗(エスプレッソではなさそうだけど)。明日は飲もう。
(開門式後)
現在1999.12.25。24日は、ローマ市内観光で始まる。フォロ・ロマーノを車窓から見学。その後バスを降りてコロッセオとコンスタンティヌスの凱旋門とティトゥスの凱旋門を見た。コンスタンティヌスの凱旋門は新造ではなくあちこちにあったレリーフなどをリサイクルして造られているそうだ。
サレジオ会が管理を任されているカタコンベへ。自分の所属教会がサレジオ会管轄なのでなんとなく嬉しい。青少年司牧を会の使命としているサレジオだけに、近くの建物脇にバスケットゴールがあって「いかにも」という感じがした。さて、カタコンベの中は閉塞感からちょっと怖く感じたときもあったが、1700年も昔、同じ信仰に行き、死んだ人たちのいたことを思った。信者のうちお金持ちが土地を寄付して貧しい人も使える「共同墓地」としてカタコンベが造られた。迫害時代にはここで信者が隠れ暮らしたのではという説もあるが、内部は湿気が多く死臭もあるので一時避難の場所とはしても、暮らしはしなかったのではないか、と現地ガイドの花川さんが言っていた。カタコンベは埋葬場所がなくなったら更に下に掘り下げる、という方法で造られているため上層ほど古い時代のものである。地面は石灰質のため、空気に触れると(たぶん湿気を含むと)固くなるのだという。
天国でお会いしましょうね、と思いつつ巡る。そういえば、入り口から近いところに聖セシリア(音楽の聖人)の遺体があったというところがあり、遺体をかたどった大理石の像があった。右手の指を三本伸ばしており、聖三位一体をあらわしているのだという。これは遺体そのままのかたちだということだった。(カタコンベ内は撮影禁止)
昼食は、日本人向けに野菜たっぷりのメニュー。
三越でお買い物後、夜に備えてシエスタをして、サンタ・マリア・マッジョーレ教会(左の写真)へ。2回にわたって建て増しされ、中に5世紀のモザイクが残されている。祭壇前のピオ9世の像はバカでかかった。「神の母」聖マリアという称号を、ニカイア公会議の際宣言をした教皇様だという。ここでごミサだということだったが、思いがけず個人の礼拝堂としてはもっとも豪華だという「ボルゲーゼ家の小聖堂」でご降誕の夕のミサに与った。旅程の短い別グループ(A)と合同。Aグループの神父様はメリノール宣教会(名古屋の修道院)の方だというが、お説教の声が大きい上によく響いて耳が痛かった。お説教の始めに政治と宗教は無関係ではないといわれたが、それがその後の話(神様のなさることは人の思いを超える)とどう関係するのか分からなかった。ミサ後、突然の雨にいったん雨具を取りにホテルへ戻り、あらためてバチカンをめざす。旅行会社提携おみやげ店を経由して、バチカンへ。 |
開門式開始2時間前にバチカンの広場前に到着。会場はまだ閉めきられているが、大勢の人で込み合っている。会場が開いたら、2回のチェックを受けて席取りに走らなければならない。身分証明のためのパスポートのコピーとバチカンからの招待状(右の写真)を握りしめて待つ。待っているあいだにアメリカのブラザーやシスターのグループと隣り合わせた。彼らは待ちながら次々と歌を歌っていた。英語の歌の時はIさんやMさんが唱和し、ラテン語の歌の時はわたしも唱和した。